普通の人は「やめて」と言えばやめてくれる。虐待、モラ、いじめをする人は「やめて」と言われると「かまってもらえた!」と喜んで、加害がエスカレートする。 私の父はDV中に家族から「やめて!」と声が上がるとニヤリとした。
毒親やモラは「自分はOKだけど相手は許さない」ことが多い。自分は嫌うけど、相手が自分を嫌うのは許さない。人の話は聞かないけど、自分の話を無視する奴は許さない。暴力暴言は振るうけど、自分に振るうなんて最低。つまり「本来は絶対許されないことで相手に許されたい」し「大事にしてほしい」。
毒親やモラは「完璧には出来ない完璧主義」が多い。完璧に出来ないと分かると途端に全て投げ出したくなるし、そうなると嫌だから挑戦しなくなる。そして家族にも完璧を求め、出来なかったら責め立て、失敗恐怖を植え付け、新たな「完璧には出来ない完璧主義」を作り出す。私も親にそうさせられた。
虐待やモラハラを受けると「不安」が行動理由になってしまい、自分のために頑張れなくなってしまう。 怒られないように、指摘される前に、あらゆる可能性を考慮して、不安を解消することに精一杯になり、自分のためだけに行動することにはメリットを感じなくなってしまう。そして欲を失う。
虐待を受けて育ち、ボロボロでいると「いつまで親のせいにするの?」「まだ過去を生きているの?」と言われるけれど、心を癒す努力をし、人との関わりや社会人としての振る舞いを磨いて啓蒙活動の先頭に立つと「全然被害者には見えないね。もっとつらい人いるよ」と言われるので、各位好きに生きよう!
親が子を「愚痴/悪口の聞き役」にすることは親子の役割が逆転しています。しかし、人は共通の敵がいて悪口を言い合うと親密になることがある。 「子どもに聞いてもらう」「同意を求める」という行為の裏には「私の味方になって」という強いメッセージがあったのかもしれません。 子に甘えるな!
被虐待経験の結果「自分には中身がない」と悩む人がいる。親に怒られないための行動を取り続けて、何にも打ち込めず、対人に弱くて友達も少ない、夢も自信もなく、嬉しいフリ、気にしないフリ、真面目そうな雰囲気、優しそうな雰囲気で乗り越えてきたけれど、無欲で無難な選択をする人生は虚しい。
親しくなると、容姿、年齢、境遇に関する失礼な冗談を言う人がいる。本人が嫌がると「かまってもらえた!」と喜び、周りが笑うと「ウケてる!認められた!」と感じてエスカレート。ウケたやつを何度もしつこくやるので、毎度同じ欠点を笑われて被害者はつらいが、キレると「冗談じゃん!」で逃げる。
与えることが愛だと思ってる人は「恩を売ることで支配している」のです。 上手い人は相手を喜ばせ、疑いもなく配下にしますが、虐待やDVをする人は自己満足な恩で支配しようとするので喜ばれず「こんなによくしてやってるのに!」「誰のおかげで!」とキレるのです。求めてないのにいい迷惑ですね。
あ、これが #面前DV です。 ※閲覧注意 多分「いい加減にしてよー!」と叫んでいるのが子どもです。 私も車で遠出は最悪だった。閉鎖空間で逃げ場がなく、父が怒鳴り、母が泣きながらヒスって、父が高速道路でも急に蛇行し出して、「今吐いたら心臓が出る」と思った。 これから墓参りシーズンで憂鬱。 twitter.com/q60970810/stat…