「明らかに子を愛していない態度の親」の家よりも「子を愛しているように見える親なのになんかこの家はつらい」っていう家庭の方が、本人や周りも精神的な虐待に気がつきにくく、治療にもたどり着きにくい。 更に本人も「この程度で虐待なんて…言わないよね。私が弱いだけ」と思いがちで逃げにくい。
加害者は、攻撃中にこちらが黙れば「勝った」と思うし、数日黙っていれば「服従した」と思うし、更に期間があいても蒸し返されなければ「許された」と思うし、いつの間にか「とてもいい関係」なんて思い込み、こちらが限界に達して言い返すと理由が分からずキレるが、こちらは一度も許した覚えはない。
年末年始の親戚の集まりが地獄ってこんな感じじゃないですか。ちなみにうちの実家は毎年これです。#面前DV
毒親やモラは「自分のジャッジを口に出してしまう」人が多い。知らない通行人やテレビを見て「何あの服」「うわ、ダメな親」「今の店員感じ悪かった。絶対育ちが悪い」「あの外人日本語下手」と嘲笑う。人の株を下げると自分の株が上がると勘違いして楽しんでいる。これを聞かされて育つ子はつらい。
毒親やモラは「自分はOKだけど相手は許さない」ことが多い。自分は嫌うけど、相手が自分を嫌うのは許さない。人の話は聞かないけど、自分の話を無視する奴は許さない。暴力暴言は振るうけど、自分に振るうなんて最低。つまり「本来は絶対許されないことで相手に許されたい」し「大事にしてほしい」。
毒親やモラが、他人の失敗や欠点を執拗に責めるのは「自分のミスじゃなくてよかった」と心底安心し「ミスをしていない自分には責める権利がある」と勘違いするから。更に僅でも自分に被害があれば「被害者様」の本領を発揮してたたみかける。 彼らが近くにいると、正常な人が失敗恐怖症になりやすい。
両親が不仲の家庭で育った子どもの多くは「自分がいい子であれば家がうまくいくかも」「自分が頑張れば両親が仲良く暮らせるかも」と思いがちです。しかし、幼い子どもには精神的な負担が多すぎる上に、大抵結果が出ないので病みやすく、貴重な子ども時代に甘えられなかったというダメージも残ります。
毒親やモラは「完璧には出来ない完璧主義」が多い。完璧に出来ないと分かると途端に全て投げ出したくなるし、そうなると嫌だから挑戦しなくなる。そして家族にも完璧を求め、出来なかったら責め立て、失敗恐怖を植え付け、新たな「完璧には出来ない完璧主義」を作り出す。私も親にそうさせられた。
毒親やモラは「大袈裟に言う」。落としてちょっと割れただけなのに「あー、もう粉々だ」少しこぼれただけなのに「わー!ベチャベチャになった」と過剰に言う。それは相手のミスを大きく表現し、攻撃力を高めるため。相手の罪悪感をたっぷり煽るため。
「どうして怒ってるのか考えろ!」という人に明確な答えはありません。自分で分からないからご機嫌取りをさせたいのです。 相手の回答を聞いて、いいのがあれば便乗することもあるし、全部「違う!」と否定し、相手が必死に考え苦しむ姿を見て楽しんだり、ひたすらの謝罪を求めている場合もあります。