Suzuki(@finto__)さんの人気ツイート(新しい順)

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「頭がいい」っていうのは知識が豊富ってことじゃなくて、優しいってことなんだぜ
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「自分がされていやなことはしない」というのを、暴力を振るわないとかそういうレベルではみんな分かってるけど、一方で、自慢話をしないとか、人の話を遮らないとか、もっと手前の会話の段階になると途端にその不文律を忘れてしまう人が結構いるから、自分もそこら辺は常に気をつけていたいなあと思う
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学歴の話、就活の話、年収の話、税金の話、投資の話、副業の話、容姿の話、セックスフレンドがなんたらかんたらとかいう話、こんな自分でもどうにかなったからどんな境遇でも諦めずに頑張ろう!みたいな生存バイアスでしかない話、全部さようなら
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"運の強さ"なんてものはもとより存在しないが、「自分は運が強いんだ」と信じるその力こそが それそのまま"運の強さ"となるのである
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学校のトイレで吐き続けたことも、一人で急行に乗れないことも、成人式に行けなかったことも、就職できなかったことも、それを冗談で誤魔化していることも、いつか全部大丈夫になる。全てが大丈夫になっていく
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おれはリプライを送ったりDMを送ったりみたいな直接的な関わり方はほとんどしないけど、フォローしてる人が薦めている本をちょっと買って読んでみるとか、オススメしてる映画を観てみるとか、Twitterを通したそういう絶妙な距離感での生活の交わり方が結構好きだったりする
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作品の感想を自分の語彙で言語化できないことに頭を抱えてる人がよくいるけど、そもそも言語化できない感覚を音や絵に変換して出力してるわけだから、「なんか良い」くらいの素朴な受容態度の方が変に考察したり分析したりするより むしろ製作者と作品に対して誠実なんじゃないかと最近はよく思う
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「ガクチカ」って略し方初めて聞いたとき舐めんなよと思った
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人生は取り返しがつかなくなってからが本番
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全てがどうでもいいはずなのに何も諦められなくて、何も捨てられない。本当は全てがどうでもよくないから
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満開の桜には、生命の神秘的な美しさと薄気味の悪さが同居している。梶井基次郎はその不気味を、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と形容した。"春"のもたらす不穏に居心地の悪さを感じる人間が自分の他にもいると知った時、おれは初めてこの春の憂鬱と折り合いをつけることができたのである
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人生のあらゆる局面で一番楽な方法や一番楽な道を選び続けた結果、色んなことが遠回りになって普通のコースからもどんどん外れていって、最終的に良くないことわざみたいな状況になった
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星野源「ギャグ」には、「ギャグの隙間に本当のことを祈るみたいに隠して」という歌詞があり、これはおれの生き方そのものなのである
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丁寧に暮らすとは、着飾ることでも、写真を綺麗に細工することでも、料理をオシャレな小皿に盛りつけることでもない。丁寧に暮らすとは、いつでも相手の立場に立って物事を考え、常に自己批判を加えられる潔さと勇敢さを持ち、あくまで謙虚に、素直に、自分の人生と信念に一つの嘘なく生きることである
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おれはつまらないとされる天気の話、季節の話、衣替えの話、他人の夢の話が大好きなコミュニケーションサイコパス
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お世話になったアルバイトの最終勤務日に、「Suzukiくんは優しくて気が利くからどんな会社にいっても大丈夫だよ」と励まされ、おれはその言葉を胸に刻み、そのまま無職になった
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世の中の全てのツイートは「助けてほしい」と「愛してほしい」の言い換えである
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ニュースで悲痛な事件や凄惨な事故の報道を耳にするとその時は一丁前に悲しんだり憤ったりするわけだけど、一週間後一ヶ月後もずっと気持ちを寄せ続けられるかといったらそんなことは全然ないから、ふとそういう自分の軽薄さ、白々しさ、ウソっぽさみたいなものに目を向けるとなんとも己が情けなくなる
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「陰キャ」とか「陽キャ」とかそんな下らないラベリングでみんながはしゃいでるあいだに、おれが一人の人間の中で明るさと暗さを完璧に両立させてみせる
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おれが全く馴染めない上に通学に片道2時間以上かかる大学を辞めなかったのは、2年の終わりに突然謎のウイルスが登場して学校に行かなくてよくなったから
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パニック発作が怖くて通勤ラッシュの電車に乗れないから、学部1,2年の頃はそれより早い始発の電車でどうにか大学に通っていて、その頃はただただ毎日苦しかったんだけど、誰もいない朝のキャンパスの澄んだ空気が好きでよく写真を撮っていたのを時々思い出す。本日、無事に大学を卒業しました
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おれには自分の人生の当事者としての意識が決定的に足りない
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映画のレビューサイトをみると 感想を「よかった」の一言だけで済ませてる人が結構いるけど、毒にも薬にもならない批評文をつらつら書き連ねるよりもそっちの方が作品に対して余程誠実だと思えることがある。すなわちそれは、書かない/言わないという一方の極の誠実さである
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面白い人は、面白くないと誰にも話を聞いてもらえないから面白くなった