Suzuki(@finto__)さんの人気ツイート(いいね順)

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「繊細なあなたは"芸術家タイプ"です」を真に受けた結果、こんな感じの仕上がりの大人になってしまった。これっておれが始めた物語ですか?
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おれには自分の人生の当事者としての意識が決定的に足りない
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これは自戒として何度も書いておく。できないことを、報われないことを、不幸でいることを、自分のアイデンティティにはしない。おれはおれの健康と幸せを諦めない
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いわゆる「ネタ的」な、何かを茶化すユーモアって、その人が何を軽んじているか、どういう属性の人だったら笑いものにしていいと思ってるかが顕著に出るから、本当はすごく扱いが難しくておそろしいものなんだよ
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努力は報われないことの方が多いが、たとえば数年経ってから、「あの時の頑張り」が、当初想定していたのとは全然関係ないところで、それも思ってもみなかった形で実ったりすることがままあるので面白い
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接客業で連勤してると急にゾーンに入って、店と自分の体が一体化したような不思議な感覚を覚える時がある
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「考え過ぎじゃないよ そういう闇の中にいて 勇気の眼差しで 次の足場を探しているだけ」 ↑すごすぎる歌詞
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自分みたいな不安を感じ取りやすい人間は、色んなことを考える暇がないほど予定を詰めて、とにかく忙しくした方が却って心身の健康にいいということが分かってきた
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お酒を飲んで体にアルコールが入っただけで陽気な気分になったり、薬を飲んだだけで不安が和らいだり、脳の神経伝達の回路が少し変わるだけで自分という人間の身体感覚/心理感覚がこんなに大きく左右されるんだと思うと、色んなことが馬鹿らしく、同時にその不安定さがとても恐ろしく感じられてくる
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すみません、本当は思ってないと思うんですけど、なんか好きとまで伝える勇気はないけど、あわよくば自分の存在を意識させておきたい現実の異性に、傷つかないための予防線張りながら「推し」とか言って目くばせするのダサいなって思ってるだけだと思います
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最近、仕事場でのおれの評価が「寡黙で思慮深い人間」から「無口なポンコツ」に移行しつつあることがひしひしと感じられる
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Twitterで「こいつは叩いてOK」となった時の集中攻撃の容赦のなさ恐ろしい。みんなイジメは嫌いなんだと思ってたけど、ただ自分がターゲットになるのがイヤなだけだったんだね
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以前「『頭がいい』っていうのは知識が豊富だってことじゃなくて、『優しい』ってことだ」というツイートをした時に「どうして断定形でそんなことが言えるの?」と詰問されたことがある。それは断定を避けるのが誠実さを装った自己弁護に過ぎず、恐くても言い切るのが書き手としての責任だからである
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池の水全部抜く 君のこと全部知る
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中高生の頃、「将来自分がサラリーマンとして働くの全然想像できないなあ…( ᷇࿀ ᷆ )」と思ってたけど想像できなくて当たり前なんだよな。なぜなら、なれないから
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ここ1~2年は、朝から昼すぎまでなんとなく働いて生活最低限度のお金を稼いだら、あとは本を読んだり映画を観たり、たまに文章を書いたり絵を描いたり、気が向いたらちょっと凝った料理を作ったり庭の手入れをしたり、一度も就職したことがないのに退職したあとみたいな暮らしを続けている
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海が見たい。人を愛したい。本当の話をして、真っ当に傷ついたり傷つけられたりしたい
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面接の前に「ショートコント、面接」と呟くと緊張が適度にほぐれるというtipsがあるけど、おれも同じように考えていたから、ある面接の時にとにかくボケて、そしたら気持ちいいくらいめちゃくちゃウケて、「やっぱり面接ってコントなんだ」って得心してそれでそのまましっかり落ちたことがある
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さっきまで「もうなにもかもダメだ…人生終わりだ…」と思っていたのに、モコモコのあったかい靴下を履いただけで自律神経が整って心までポカポカになってしまって悔しい
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おれは返信が速すぎてブロックされたことがあるくらいLINEの返信が速い
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それでも別にいいじゃん、幸せじゃんと思うときと、このコンテンツ過多の時代に自分が常に消費者(受け手)でいることへの罪悪感や後ろめたさが鬱積してどうしようもないときがある。何もしないでいることが、誰の何に対する罪なのかは分からないけど
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「自己肯定感を養おう」「自分を大切にしよう」といった自己啓発のエンパワメントが時に鬱陶しく感じて受け入れられないのは、これらが総じて"自己否定の感情の否定"だからなんだよね
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辛い時に心を落ち着かせるために聞いていたお気に入りの音楽のいくつかは、ゆえにその時の暗い記憶と完全に同期しているから、逆に何でもない時にその曲を聴くと当時の苦しいイメージが頭に直接流れ込んでくるパラドックスに陥って最近はもう聴けなくなってしまった
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少し前まで自分にとってインターネットは現実逃避ができる場所だったけど、多くの人にとってネット環境が身近になりすぎて、その上に目に入るのは誇大広告と罵詈雑言ばっかりで、今はむしろ"インターネットの逃避先としての現実"という逆転の構図になってきている
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カネコアヤノ聞いてるといつも太宰の『女生徒』のこと思い出す。思春期の全能感みたいなものの裏に、実社会に対する憂いや強い不信感もあって、それらが今にも壊れそうなギリギリの均衡のうちに保たれている感じというか、とにかくそこに宿っている少女性にすごく似たものを感じる 太宰治『女生徒』