若い女性の中には「歳を取ったら終わり」と思い込んでる人も多いと思うけれど、負け惜しみでもなんでもなく、ババアになったからこそ得られる楽しみもあるのであまり将来を悲観しないでほしい。
たとえば、若い頃は嫉妬心が渦巻くと「私はなんてイヤな人間なんだ」と自己嫌悪に陥ってたけど、最近は「ま、嫉妬くらいするよね。にんげんだもの」と思える。中年になってから、いい意味での「諦め」や「開き直り」ができるようになって、ずいぶん生きやすくなった。
幸せそうな人を見てもイライラしなくなったどころか、自分のことのように嬉しくなることも増えた。歳を食って、あらゆる「欲」が消えつつあるのかもしれない。解脱するのも時間の問題。
「貴司くんとは友達でいたいねん。もし告白してしもたら今の関係には戻られへんやんか」 舞が貴司に対して事あるごとに「友達」を強調してたのは、何でも話せる幼馴染の関係を壊したくないからと知って嗚咽。舞を相手に告白させたら勝ちなものスゲー計算高い女と思ってた自分を殴りたい #舞いあがれ
恋人関係になったことで柏木という大切な”友達”を失い貴司のかけがえなさを知った舞。あの別れは貴司への想いの深さを舞に実感させるためのエピソードだったんだろうし、ここにきて柏木が大いなる当て馬だったことがハッキリしたの、ジワジワくる。#舞いあがれ
耳鼻科が閉まってて軽くパニックになったんだけど、よく考えたら今日は祝日だった。土曜日に病院かかる民のみなさまはマジでお気をつけください。
「エゴイスト」観了。ゲイカップルの物語として紹介されがちだけれど、普遍的な「愛」のお話だった。ただ純粋に与え続ける”無償の愛”も実はエゴなのではないか。その矛盾に日々苦しみながら子育てする私には非常に刺さった。阿川佐和子さんの演技には涙が止まらなかった。#映画エゴイスト
朝、幼稚園バスを見送るとママ友との井戸端会議には参加せず「じゃっ!」と軽く手を上げてダッシュで家に戻ってたんだけど、1時間くらいして買い物に出たらまだ会議が続行してたことがある。「なぜ折角のひとりの時間を満喫しないのか」と不思議だったけど、あれがストレス解消の人もいるんだろうな。
リプ欄に「とにかくオトナとしゃべりたい」って理由を見つけてめちゃくちゃ納得してしまった。私はできるだけ人と関わりたくないタイプなので、ダッシュで家に帰って録り溜めたドラマに没頭して現実逃避する派だった。いまだに疲れると映画や小説など、エンタメで自分を取り戻してるフシがある。
「見下すな」とお𠮟りを受けたので補足すると、これは「暇でよろしおますな~」的な皮肉ではなく「ガチで不思議だったけどどうやらストレス解消目的の人もいるらしい。幼児とばかり接していると会話の通じる大人と話せる時間は重要でそのひとときを満喫している人もいる。なるほどな~」の気づきです。
ママ友トークにうっかり参加したら、家事をしないダンナの大悪口大会が始まったんだけど、私には共感ポイントがなく、かと言って「ウチは割とちゃんとやってますね…」と言える雰囲気でもなかったので「旦那使えねえ」の嘘エピソードを捏造して罪悪感でいっぱいになったことがある。向いてなさすぎる。
大のコミュ障ながらも何かのご縁で関わった方にはできるだけ丁寧に接しようと心掛けているのだけど、丁寧に接すれば接するほどナメてくるタイプもいて「やっぱ人間無理」ってなる。人間向いてない。
ほぼ女性だけの部署に異動した時、過去の偏見から「女だらけの職場とか地獄じゃん」と鬱々としたんだけど、これが驚くほど快適。年齢や家族構成、生活レベルといったいわゆる”スペック”が近い者同士だと同性の方がむしろ仕事しやすいのかもしれない。
「朝ドラ」の爽やかさで誤魔化されがちだけど、実質ミザリーだった。盲目的なファンは思い込みが激しいので少しでも違う側面を見せると「そんな人だとは思わなかった」「裏切られた」と攻撃に転じることがある。もし貴司が秋月女史の”私の思う梅津先生”から外れたら、と想像するだに怖い #舞いあがれ
締め切りの日に突然訪問したり、長居したり、女房気取りで舞にマウントを取ったり、「この調子であと9首頑張って」と上からコメントしたり、貴司にストレスを与えることしかしてないのにまったく気づいてないどころか支えるのは私しかいないと思い込んでる秋月女史、マジでホラー。#舞いあがれ
「素晴らしい第一歌集を出していただくために私も精いっぱい支えたいと思います。そやから先生のそばにおること悪く思わんといてくださいね」 かつて柏木学生が貴司に吐いた「舞のことはこれから僕が支えていきます。安心してください」の本歌取りである。#舞いあがれ
秋月女史が登場してから終始貴司が迷惑とも困惑とも取れる複雑な表情をしてたのがツボだった。ずっと「早く逃げてーーーー!!!」って思ってた。#舞いあがれ
「女は服やメイクにお金を掛けてるんだからデート代は男が払うべき」って主張にビタイチ共感できないんだけど、私にとってデートは「好きな男と楽しい時間を過ごす」が主たる目的であり、「元を取りたい」っていう発想がないからだろうな。
「女は服やメイクにお金を掛けてるんだからデート代は男が払うべき」って主張を見るたびに、「そもそも男も服は買うだろ。お前の彼氏、待ち合わせに全裸で来んの?」とか思ってしまうのやめたい。
「自分が梅津先生を一番理解している」と豪語していた秋月女史よりも、本を売ることしか考えていない俗物にみえたリュー北條の方が遥かに貴司を理解していた。そして、貴司もそれに気づいたゆえに悩みながらも彼の提案を受け入れようとする。リューと貴司が通じ合うという想定外の展開。#舞いあがれ
リューはもともと貴司の作風を否定していない。商業ベースに乗せるならそのままではいけないと諭しているだけだし「梅津さんは本を出したいの?」と貴司に確認するところにリューの配慮が感じられる。あんな風体なのにめちゃくちゃ最高な編集者だった。俗物だと思って本当にすまなかった。#舞いあがれ
0歳児育児の真っ最中にこんなことされたら反射的に裏拳キメる自信ある。 twitter.com/ripapapapa2/st…
自称イクメンが発信する「これからパパになる人へのアドバイス」、だいたいが的外れなので「とりあえず『自分のことは自分でする』。話はそれからだ」みたいな気持ちになってしまう。
「イクメン」に限らず、何かを”自称”する人は「他人からそう見られたい」という自意識の塊であり、非常にめんどくさいタイプと認識してる。
引き離された想い合うふたりが七夕の夜に再会して、貴司が初めて短歌を作ったあの日の思い出を語り合う。「なんで短歌作ってんのかわからんようになってしまった」と悩む貴司にさりげなく初心を思い出させようとする舞。このシーン自体が美しい一首の短歌のようだった。#舞いあがれ