今はデジタルも絡んできて 作品ごとに 作られるフローが違うと思うけど 基本的な知識は ファンの人も持ってたいんじゃないか。 演出、撮影、編集、とか 特に伝わりにくい部分とか。
アニメの批評が 成り立ってないみたいな話も 最近よく聞くけど ファンやマニアが きちんとした感想を言いたくても 基礎知識がないとなかなか 言葉にしにくい。 結果気に入らない作品で 目立ってる人を叩くだけの ムーブになりがち。 アニメを扱うメディアは ファンの人を育てる意識がほしい。
問題は昔ほどみんなアニメ雑誌を読まなくなってるんじゃないか、 ウェブ媒体でも そういった記事にいかにアクセスしてもらえるかが 難しいのかもしれないけど。 今はとにかく紙面を作るのに 役者の人に頼り過ぎだと思う。 ファンの潜在的好奇心に答えてこその専門誌ではないのかと。
アニメね、 たとえ 続きが劇場版であっても 二期が決まっていても 1クール見たかいがあった! っていう一段落をつけてほしい と思う派。 3ヶ月見続けるっていうのは 短くはない。 あんまり無責任だと 信用無くしちゃうじゃん、って思うなあ。
嘘でもいいから なんか理由言ってくれたらいいのになあ
おっきい会社の コンテンツって トップダウンで スパッッと切っちゃうとこあるから 理不尽だし 意外と粘りきかないんだよなあ 配信に出てた三人も 静かに怒ってた感じしたしなあ
レイアースは TVもOVAも海ちゃんを描くことが多かったから 思い入れあるなあ
最近「推し」って言葉が 変質し始めたなあと思っていて ほんらいユーザー側の言葉だったんだけど 商売する側が奪い取って 「推し見つけませんか!」 「楽しそうでしよ、推し活!」 「お金の使い道探してるんでしょ?!」 「推しがいないなんて損してる!」 って煽ってくる言葉になってて
ユーザー側も コンテンツを応援するのに 「推し誰にしよう」 「推し決めなきゃ」 ってそれはそれで楽しいけど なんかせっつかれて 追い立てられるみたいになるの しんどくならないかなぁとか 思っちゃうんですよね
なんかこう 本来は キャラでも役者でも 同時代を生きてることが 嬉しい! って人生を伴走する存在 だと思うんで (それをアピールするのが推し活かな) 商売側の思惑で 推し活楽しー! みたいなのがディスコで流行ったパラパラみたいな 存在にさせられるの やだなあなどと 思っているところです
まあ、 言葉って 望むと望まないに限らず 変質していくものですけどね
自分が手に入れられなかった (手に入れる勇気がなかった) 女を聖女扱いして 「汚した」とかいう シャディク 自分が穢れてるという思い込みがあるんだろうけど 女に対する幻想が酷くて やべえよ
描こうとして あきらめた セセリアさん もっと足太くても ええかもしれん #水星の魔女
@ichirou_o 「もう僕にすがっちゃいけない」って PCちゃんが しゃべりませんでした?
あとクワイエットゼロって 概念じゃないの?! なんかあんな ガンドロワから毛抜いたみたいな あれがクワイエットゼロなの?!
ラブライブで初めて描いた原画担当シーン。 twitter.com/llimgfunbot/st…