野井之介(@QmHSxpgqThzrxfk)さんの人気ツイート(リツイート順)

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つまり、宗教勧誘を論破すると街が火の海になります(極論)
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「文化財に金を割く余裕は無い」というのは分かりますし、行政や国民がそう判断するのであれば仕方ないかなとも思いますけれど、それならば、いざ文化財に何かあった時にも博物館側のせいにするような真似をするなよということに尽きる
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まあ、現代社会ではこんなこと起こるとは思えないですけど、一瞬の快感のために面倒臭い連中との間に変な因縁作らない方が良いんじゃないかなぁと個人的には思います
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そういや、嫌いなくせに毎回畠山重忠と一緒にいる和田義盛はツンデレか何かですかね #鎌倉殿の13人
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藤原隆家役をやる予定だった方が不祥事で降板するの、ちゃんと藤原隆家だったんだなという感がある
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そういえば去年、北条義時を描いた恐らく唯一の絵が発見されたということで『承久記絵巻』が話題になったりしたけれども、これ平六くんとのツーショットなのですよね #鎌倉殿の13人
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今気づいたのだけれども、宗盛の「人が一生で出会うあらゆる楽しみを味わってきた」という一言、『平家物語』における徳子の述懐の真反対ですよね 三谷さん、この辺意識してやってるのかな #鎌倉殿の13人
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俄に話題の九条兼実、あの頃は後白河と意見が合わないためか出仕して来ないことも多くて、わざわざ兼実の意見を聞くために後白河が使者を送ることも多かったらしいのですよね。 …という、900年前にリモートワークやってた兼実おじさんのお話でした。 #鎌倉殿の13人
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義仲軍の狼藉についても色々言われてますけれども、前提となるのは養和の飢饉ですよな 干魃に加えて頼朝や義仲の反乱で年貢の上納がストップしたことで当時の京都は相当に深刻な大飢饉に陥っていて、突然入ってきた大軍勢を食わせるものなど無いわけでございますよ #鎌倉殿の13人
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北条義時の歴史上の評価、まあこれに尽きるよなと思う (『図説 鎌倉北条氏』より)
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戦乱の発生を受けて「応仁」に改元した直後にドえらいことになるのだから、改元などあてにならないぞ
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ロシア情勢に伴って、またしても「失敗したクーデターは「乱」、成功したクーデターは「変」と呼ばれる」などといういつものデマが流布してますね
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これは兄弟好きの人にブッ刺さりの回ですわね twitter.com/yk_sales/statu…
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【北条政子書状(意訳)】 お手紙、たしかに頂きました。 あってはならない事が世の習いなのでしょう。 こういうことがあってこそ心も善くなるのであり、心を痛めずにいることこそ恐れ多いものです。 しかし、母としての嘆きは浅からぬものです。悲しみは癒えそうになく、危ういほどです。 #鎌倉殿の13人
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既に突っ込みが入ってますけれども、公家の古記録は平安期以降もそれなりに残っているので、主な古記録の一覧表をお出ししときます。 ①平安〜鎌倉 ②鎌倉〜室町 ③室町 ④室町〜江戸 (続く) twitter.com/aoiken72/statu…
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ピエール瀧さん(コカイン使用)も出てる →完全に忘れてました 作品まで累が及ぶ風潮やめて欲しい →それは本当にそう
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鎌倉殿の頼朝が「ワシなりに礼は尽くした」と言ってるの、まあそれはそうかとも思うのだけど、「これからも頼むぞ」とか言っといて葬り去るのは寧ろ外道の度を高めた感がある #鎌倉殿の13人
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江戸幕府が安定した要因がまた話題に上ってるけども、色々あるにせよ、やはり戦国期を通じて荘園制社会が解体されていたことが大きいかなと 鎌倉幕府や室町幕府とは足場そのものが違う
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「そして、何よりも若い鎌倉殿の姫君こそ、もっとも不幸であった。もちろん、頼朝の親族に幸運な人間など、一人もいやしなかったのだが」 美川圭『院政』中公新書 2006年(p194) #鎌倉殿の13人
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明応の政変後の義稙派と義澄派の抗争を一望できる素晴らしい図があった 改めて見てもなかなかカオス
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水野氏や東条吉良氏が出てきたので、とりあえず地図とか見ときましょうか (大石泰史編『今川氏研究の最前線』pp152) #どうする家康
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意味するところはともかく、世間に敷衍している「天下統一」ではなく「天下一統」という語を選ぶ辺り、やはり史料上の表記を意識してるのは感じる #どうする家康
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「鎌倉の防御力が高かったか高くなかったか」みたいな話、『図説 鎌倉幕府』にはこう書いてますね
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「ちゃんと確認してから花押を据えよう!」というのが話題ですが、これはちゃんと確認せずに「もち持」の署名で出されてしまった足利持氏の文書です。 これ見て和んでクレメンス… #鎌倉殿の13人
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「歴史に学ぶのは良くない」と言いつつこれを言うのは自己矛盾でもありますが、桶狭間の戦いを参考に日本軍が迂回奇襲を行ったガダルカナル島作戦がどういう結果に終わったかというのは頭に留めておいて良いかとは思いますわ…