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実篤の弔辞は原稿の用意はなく、その場で心に浮かぶ思いを述べたもので、書いたものは残っていません。ご遺族やその場にいらした方に何度も確かめましたが、会場の録音も不鮮明で聞き取れないとのこと。ただその場に列席した方々の耳と心に残るのみです。
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だから文学者の苦心は全精神をこめて、作品をつくることになるのだ。自分の人格を全部、たたきこんだ作品をつくることが必要なのだ。(中略)文学は文学者から自然に生れるもので、他人から要求されて、それにあはせて生れる種類のものとはちがう。内から純粋に生れるものが、一番純粋な文学と言へるのだ
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「歩く時この杖をつかうと志賀と一緒にいる気がする」(武者小路実篤)【漱石と明治人のことば212】 serai.jp/hobby/222957 @seraijpさんから
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なにやらゴッホ「向日葵」が話題に上がっているようですね。ゴッホ“幻の「ひまわり」”は、白樺美術館計画のために大正9(1920)年に神戸の実業家・山本顧弥太が日本に招来しました。芦屋の山本邸にありましたが、昭和20(1945)年8月6日、第二次世界大戦末期に空襲で焼失しました。
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【創刊110年『白樺』表紙しおりプレゼント】昨年秋にご好評いただきました『白樺』表紙しおりプレゼントを、現在開催中の特別展でも実施します。期間中にご来館いただくと、入館一回につきランダムに1人1枚特製のしおりを差し上げます。期間は特別展開催期間の6月13日まで。
mushakoji.org/info/info_146.…
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86歳だった実篤は、その頃ほとんど外出しなくなっていたことから、志賀の葬儀には出ないものと思われていました。そのため、葬儀次第に実篤の名はなく、弔辞は里見弴のみとなっています。里見は彼らしい情感のこもった弔辞を書き残しています。
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"日当たりのいい部屋"。実篤は草稿に「僕は明るい室で仕事をするのが好きだ。それも明治子だから電燈の光より日光を愛する」と書いていて(武者小路辰子「ついの住家ー座敷」『父・実篤の周辺で』)、仙川の家を建てる時も、設計士に全面的に任せた一方で、「明るい家を」と注文をつけたそうです。
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大事なのはいい作品をつくり、多くの人に文学的な深い喜びを与へることである。多くの人に精神の糧を与へることである。(中略)文学者の仕事は一時的の効果さへ上げればいいと言ふ仕事ではない。何年たつても、何度よんでも、益々感心しないではゐられないやうなものをかくことが必要なのである。(続く)
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武者小路実篤『友情』は恋するすべての人が読むべき最良の教科書だ #3_1|光文社新書 @kobunsha_shin #note #コンテンツ会議 shinsho.kobunsha.com/n/nd0cbc7d0ac8d
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【関連情報】『週刊朝日』7月8日号の記事がネットに掲載されました。
武者小路実篤の孫が明かす“文豪の素顔” 小遣いは大金、美食家ではなかった dot.asahi.com/wa/20220630000… @dot_asahi_pubより
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少年画報社のコミック誌『ヤングキング』で連載が始まった漫画「めぞん文豪」に、武者小路実篤が登場するとのことです。
文豪たちが現代日本でシェアハウス生活、新連載「めぞん文豪」がYKで開幕 natalie.mu/comic/news/427…