「可愛い子は努力してる」「整形は努力」などの、美容にかける「努力」を褒める風潮が妙に引っかかり続けている。美容にかける努力は好きな人がすれば良い、したってしなくたって良かろうに、若者の間では半ば国民の義務のように扱われている気配を感じて。
娘が突然見せてきたTikTokが地獄だった。どこかの可愛い女の子が「お金がない子必見!髪の毛売れるって知ってた?」と語り掛けて始まる動画。「これがお母さんたち大人が私たちに残した日本だよ」と娘が言い放ち、尚一層地獄だった。
国交相が「畳まずに乗車OK」としているのだから「波紋」とか言って両論併記する必要ないよね
車椅子専用の場所に車椅子の人が乗っていて乱暴者が車椅子を蹴ったとして、「正直邪魔だなと思うこともある」とか載せる?
バスで「ベビーカー畳め」に波紋 ルールではOKも…(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース ルールを守って専用座席に固定して乗っているにも関わらず蹴ってくる人が明らかにおかしいのに「正直邪魔だなと思うこともある」と加害した側に寄り添う声を入れる必要ある? news.yahoo.co.jp/articles/315f7…
子育て終わったら退職金出てほしい
その理由がまさに日本語の冠詞の運用能力の低さに通じる話で「a」とか「the」がないから。「つまり古典を学ぶということは日本語の暗黙の了解を知ることでもある。これによって世界も広がりますよ」と先生がお話してくださったらしく、娘はいたく感動して帰ってきたよ。
娘が学校で「古典が苦手」と先生に話したところ、先生がおもむろに「古池や蛙飛び込む水の音、この句の蛙は何匹だと思いますか?」と尋ねられたそうで。娘が「一匹…?」と答えると、日本人はそう思うけれども、外国の人は何匹いるんだろう?と疑問に思う事が多いんですよ、と。 twitter.com/cle_et_serrure…
19のときに産んだ息子がついに成人式を迎えた日の話をウーマンエキサイトに寄稿しました。なんともないと思っていたけど、いざ当日を迎えると急に過去と現在がごちゃごちゃになって、大変な1日でした。 woman.excite.co.jp/article/child/…
京都、すごい!街をあげて泣いている赤ちゃんをあたたかく見守ってくれています!
人にgiveしなければtakeできない、だから自分からgiveする、というのは一見よさそうに見えてスタート地点から間違っている。giveもtakeもなくただ他者への関心や好意が先にあって、関係性が生まれ、giveもtakeもその中で偶然発生する副産物。
フランスにいる娘の学校で、保守派の政治家、環境系の政治家、ビジネス金融系の政治家、頭のおかしい政治家になりきってロールプレイをやるというエッジの効いた授業があったらしい。演説場所やトピックが用意されていて、生徒たちはそれぞれの立場になりきって持論を展開したとのこと。面白い。
大量生産、大量消費のサイクルに労働や環境の問題があるとわかっていても、新しいものを買う、素敵な自分になる、競争して勝つ、みたいな俗っぽい欲望を全部手放したら、気を紛らわせて生きていくことが相当難しい。生まれてこの方身につけてきた暇つぶしの手段の大半がこのサイクルに立脚してる。
眞子さま佳子さまのハグ、彼女たちも今この瞬間に我々と同じように心を持って生きる人間って当たり前のことを、優しくも横っ面引っ叩くような強さでもって思い出させてくれるね
昨夜、フランスにいる娘と話していると、「子供はちゃんと自分の人生を生きている大人が好きだよ」と言い出してどきっとした。日本ではなかなか出会えないけど、フランスではそういう大人によく出会うらしい。自分の感情に素直に、好きな格好をして、楽しく生きる大人。
娘「授業でランボーの詩を読んでる」 私「かーっいいねぇ。私も授業でランボーの詩を読む人生を送りたかったよ。私の地元じゃあランボーなんつったら生卵一気飲みするやつじゃろって言われるよ、それはロッキーですよってね」 娘「お母さん何を言ってるの?」
これまで通りの生産性を維持するというのは今は無理、とみんなで思っておかないと、誰かが持てなくなった荷物がどんどん弱い人の肩に乗っかって行ってしまう
数年前には予想もしなかった世の中に変わって、でも仕事や子育てなど以前と変わらずに継続させなければいけないことはあって、その疲れを紛らわせるための気晴らしだけは見事になくなって、いよいよもう無理という人が周りに少しずつ増えてきてる。
さすがに今から開会式の音楽担当の人だけを辞職させるというのも難しいだろうし、やはりいっそオリンピックそのものを中止にしよう。IOCなんて開催国が日本なのか中国なのかも分かっていないし開催国に後々どんな問題が残ろうとどうでもいいと思っている。政治家だって間違いなく責任を取らない。
オリンピックだけは開催できる緊急事態ってなにさ! twitter.com/kyodo_official…
まさに贈与の話。自分が生まれて死ぬまでの時間ばかりに気を取られてしまうけど、私が死んでからの世界にも人は生きていて、もし生きている間に何かを動かすことができなくても、その後の世界のほんの一端を支える何かに貢献できたら。少なくとも、そんな風に思って生きていけたらいいな。
昨日のお話会で研究職の子が「名高き研究者の成功の影には、名もなき研究者たちが無数に積み重ねた研究の蓄積がある。私は名もなき研究者として勤めを終えるだろうけれど、それは決して無価値ではなく、人間の想像できないような長い時間の中では何かしら価値がある」と話してくれて、涙が出そうだった
ラジオ体操も人生訓も大人のもの。そんなことを考えると、大人ってつくづく大人の目線でしか物を見たり感じたりしていないなと思う。それとももしくは、子供の目線で大人が言ってくれたことはその場ですっかり腑に落ちて、腑に落ちたからすっかり忘れてしまったのかな。
同じように、「痛みや苦しみから逃げずに向き合え」ってことも、子供の頃には全く意味がわからなかった。なぜなら子供の頃には受け止める以外の選択肢がなかったから。けれども大人になって、さまざまな逃避スキルを身につけた今となっては、それが極めて難しい要求であることがわかるように。