飲みにも行けず、映画も見れず、美術館にも行けず、デートもできず、仕事だけできるっておかしくない?
コロナによる外出自粛が始まって22時からのミーティングが増えた。なんでそんな遅い時間にやるかって、働く親たち(大半はやはり母親)が休園中の子供たちを寝かしつけてからでないと落ち着いて話せないからだ。
自粛生活に「幸福を感じた人」が口々に語る理由 150人調査で見えてきた、意外な「要不要」 | コロナショックの大波紋 toyokeizai.net/articles/-/350… コロナによって人々の仕事観や物欲はどう変わったのか。無職の焦りから解放された、推しに興味がなくなったなど、手前味噌だけど、すごく面白いです。
LINEのスクショを撮るときに投稿者の名前とアイコンを一発で隠してくれる機能がデフォルトであることを知っていましたか。。!!メッセージの吹き出しを長押し→スクショ→情報を隠す、で偽名にしてくれる、すごい!
ご存知かもしれませんが乾燥して固くなったパンは霧吹きシュッしてオーブンに入れるとふわカリになります。しかしうちには調理用の霧吹きがないので、精神を統一し、シャワーにした水道水に秒速でくぐらせる。そうして焼くと、やはりふわカリに焼き上がります。
今日食事のときに娘と話してて、可愛くないといけない、せめて可愛くなる努力をしないといけないという強迫観念に女の子たちが苦しめられるのって、小中学生時代に男の子たちから何気なくかけられる意地悪な言葉によるところが大きいんだなぁと思った。子供同士の一見何気ないやりとりに深く傷ついてる
インターネットがない時代の海外留学、母国にはせいぜい手紙を送る程度で、お金がかかるから電話もろくにできなかったんだよね、と娘に話すと「それ津田梅子?何使節団?」とか言ってきて我々もついにそっち側にカテゴライズされるようになったかと愕然とした。
おじちゃんおじいちゃんだらけの新内閣には最早白けるばかりだけど、何が腹立つってこちらが白けて関心を失ってると彼らにはより好都合ということだよ
ホームレスの人たちを取材したcakesの記事、たしかにあまりにも無邪気なんだけど、だからと言って簡単に非難もできない難しさを感じる。誰かと深い関係を築こうというときには必ず好奇心があるし、自分のやってきたことが不可避な不幸な結果だと同情的な目線で見られることが必ずしも優しさでもないし
養育を放棄し子供を死なせてしまえば当然犯罪だけど、養育費を払わない、あるいは子供が生きていくのに必要な額に到底及ばない額しか払わないというのもネグレクトじゃないのか?といつも思っている
「『降ろしてやったぜ』って感じが気持ち悪い」EXIT兼近が森会長辞任巡り #ldnews news.livedoor.com/article/detail… 私も子どもの頃、政治や社会を他人事だと思っていたときには、怒って声を上げる人を白い目で見ていた。自分の暮らしと世の中とがどうつながっているかを、考えるきっかけがあるといいね。
子供の頃はラジオ体操をやる意味がまるでわからなかった。あの程度の運動が体に効くわけなかろうと思っていた。しかし歳を重ね、体が固まっていくにつれ、悔しいかな、ラジオ体操の一つ一つの動きが地味に練られた、にくいやつであることがわかってきた。
同じように、「痛みや苦しみから逃げずに向き合え」ってことも、子供の頃には全く意味がわからなかった。なぜなら子供の頃には受け止める以外の選択肢がなかったから。けれども大人になって、さまざまな逃避スキルを身につけた今となっては、それが極めて難しい要求であることがわかるように。
ラジオ体操も人生訓も大人のもの。そんなことを考えると、大人ってつくづく大人の目線でしか物を見たり感じたりしていないなと思う。それとももしくは、子供の目線で大人が言ってくれたことはその場ですっかり腑に落ちて、腑に落ちたからすっかり忘れてしまったのかな。
昨日のお話会で研究職の子が「名高き研究者の成功の影には、名もなき研究者たちが無数に積み重ねた研究の蓄積がある。私は名もなき研究者として勤めを終えるだろうけれど、それは決して無価値ではなく、人間の想像できないような長い時間の中では何かしら価値がある」と話してくれて、涙が出そうだった
まさに贈与の話。自分が生まれて死ぬまでの時間ばかりに気を取られてしまうけど、私が死んでからの世界にも人は生きていて、もし生きている間に何かを動かすことができなくても、その後の世界のほんの一端を支える何かに貢献できたら。少なくとも、そんな風に思って生きていけたらいいな。
オリンピックだけは開催できる緊急事態ってなにさ! twitter.com/kyodo_official…
さすがに今から開会式の音楽担当の人だけを辞職させるというのも難しいだろうし、やはりいっそオリンピックそのものを中止にしよう。IOCなんて開催国が日本なのか中国なのかも分かっていないし開催国に後々どんな問題が残ろうとどうでもいいと思っている。政治家だって間違いなく責任を取らない。
数年前には予想もしなかった世の中に変わって、でも仕事や子育てなど以前と変わらずに継続させなければいけないことはあって、その疲れを紛らわせるための気晴らしだけは見事になくなって、いよいよもう無理という人が周りに少しずつ増えてきてる。
これまで通りの生産性を維持するというのは今は無理、とみんなで思っておかないと、誰かが持てなくなった荷物がどんどん弱い人の肩に乗っかって行ってしまう
娘「授業でランボーの詩を読んでる」 私「かーっいいねぇ。私も授業でランボーの詩を読む人生を送りたかったよ。私の地元じゃあランボーなんつったら生卵一気飲みするやつじゃろって言われるよ、それはロッキーですよってね」 娘「お母さん何を言ってるの?」
昨夜、フランスにいる娘と話していると、「子供はちゃんと自分の人生を生きている大人が好きだよ」と言い出してどきっとした。日本ではなかなか出会えないけど、フランスではそういう大人によく出会うらしい。自分の感情に素直に、好きな格好をして、楽しく生きる大人。
眞子さま佳子さまのハグ、彼女たちも今この瞬間に我々と同じように心を持って生きる人間って当たり前のことを、優しくも横っ面引っ叩くような強さでもって思い出させてくれるね
大量生産、大量消費のサイクルに労働や環境の問題があるとわかっていても、新しいものを買う、素敵な自分になる、競争して勝つ、みたいな俗っぽい欲望を全部手放したら、気を紛らわせて生きていくことが相当難しい。生まれてこの方身につけてきた暇つぶしの手段の大半がこのサイクルに立脚してる。
フランスにいる娘の学校で、保守派の政治家、環境系の政治家、ビジネス金融系の政治家、頭のおかしい政治家になりきってロールプレイをやるというエッジの効いた授業があったらしい。演説場所やトピックが用意されていて、生徒たちはそれぞれの立場になりきって持論を展開したとのこと。面白い。