人にgiveしなければtakeできない、だから自分からgiveする、というのは一見よさそうに見えてスタート地点から間違っている。giveもtakeもなくただ他者への関心や好意が先にあって、関係性が生まれ、giveもtakeもその中で偶然発生する副産物。
国交相が「畳まずに乗車OK」としているのだから「波紋」とか言って両論併記する必要ないよね
車椅子専用の場所に車椅子の人が乗っていて乱暴者が車椅子を蹴ったとして、「正直邪魔だなと思うこともある」とか載せる?
その理由がまさに日本語の冠詞の運用能力の低さに通じる話で「a」とか「the」がないから。「つまり古典を学ぶということは日本語の暗黙の了解を知ることでもある。これによって世界も広がりますよ」と先生がお話してくださったらしく、娘はいたく感動して帰ってきたよ。
まさに贈与の話。自分が生まれて死ぬまでの時間ばかりに気を取られてしまうけど、私が死んでからの世界にも人は生きていて、もし生きている間に何かを動かすことができなくても、その後の世界のほんの一端を支える何かに貢献できたら。少なくとも、そんな風に思って生きていけたらいいな。
フランスにいる娘の学校で、保守派の政治家、環境系の政治家、ビジネス金融系の政治家、頭のおかしい政治家になりきってロールプレイをやるというエッジの効いた授業があったらしい。演説場所やトピックが用意されていて、生徒たちはそれぞれの立場になりきって持論を展開したとのこと。面白い。
同じように、「痛みや苦しみから逃げずに向き合え」ってことも、子供の頃には全く意味がわからなかった。なぜなら子供の頃には受け止める以外の選択肢がなかったから。けれども大人になって、さまざまな逃避スキルを身につけた今となっては、それが極めて難しい要求であることがわかるように。
19のときに産んだ息子がついに成人式を迎えた日の話をウーマンエキサイトに寄稿しました。なんともないと思っていたけど、いざ当日を迎えると急に過去と現在がごちゃごちゃになって、大変な1日でした。 woman.excite.co.jp/article/child/…
ラジオ体操も人生訓も大人のもの。そんなことを考えると、大人ってつくづく大人の目線でしか物を見たり感じたりしていないなと思う。それとももしくは、子供の目線で大人が言ってくれたことはその場ですっかり腑に落ちて、腑に落ちたからすっかり忘れてしまったのかな。
さすがに今から開会式の音楽担当の人だけを辞職させるというのも難しいだろうし、やはりいっそオリンピックそのものを中止にしよう。IOCなんて開催国が日本なのか中国なのかも分かっていないし開催国に後々どんな問題が残ろうとどうでもいいと思っている。政治家だって間違いなく責任を取らない。
これまで通りの生産性を維持するというのは今は無理、とみんなで思っておかないと、誰かが持てなくなった荷物がどんどん弱い人の肩に乗っかって行ってしまう
オリンピックだけは開催できる緊急事態ってなにさ! twitter.com/kyodo_official…