国末憲人 Kunisue Norito(@KunisueNorito)さんの人気ツイート(古い順)

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この墓地は私も昨日訪ねました。通常の墓地の横に造成したスペースがあり、真新しい花輪で一面が埋まっていました。隣のブチャの墓地では、これほどの規模の新たな墓はありません。イルピンは葬儀をできたが、ブチャではまだできていない、といえるかもしれません。
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イルピンは、ブチャに比べると被害が少ないとの印象を持たれていますが、それでもこの数の新たな墓です。必ずしも全員が殺されたわけではなく、最近安らかに亡くなった人の墓も含まれてはいるのですが。
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帰還が認められたイルピンを15日再訪しました。まだ電気や水道が完全には復旧していないにもかかわらず、自宅を一目見ようと、多くの人が故郷を目指します。イルピンからキーウ市内まで10キロほどの渋滞。3時間かけて歩いてくる人、途中から諦めて車を捨てて歩く人も。
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渋滞の横を闊歩する市境なき山羊団。このような森の中には、決して踏み込んではなりません。おびただしい数の地雷が仕掛けられているとみられています。
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少し遅くなりましたが、ウクライナ北部チェルニヒウを9日に当局のツアーで訪れた時の記録です。この街は、日本で言うと金沢のような古都ですが、1カ月にわたりロシア軍に包囲され、人道危機に陥りました。4月にようやく解放され、訪問が可能になりました。最初は、空爆を受けたサッカースタジアム。
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スタジアムの空爆で犠牲者は出ませんでしたが、民間施設への攻撃の典型例と、ウクライナ側は受け止めていました。このサッカー場はユーリ・ガガーリン・スタジアムという名称で、ウクライナ当局者は「ロシアが英雄ガガーリンを爆撃するなんて」と皮肉っています。
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チェルニヒウ中心部チョルノビル街では、マンション群に3月3日、航空機から少なくとも6発の爆弾が落とされ、市長によると49人が亡くなりました。がれきの下にはいまだに遺体が残っているといいます。
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ウクライナの街の被害は、中心部が空からの攻撃中心なのに対し、周辺部の農村地帯は装甲車両による砲撃が加わり、悲惨になる傾向がうかがえます。チェルニヒウ郊外ノヴォセリウカ村は、ほとんど原形をとどめないほど破壊されていました。本来は緑に囲まれた郊外農村でした。
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ノヴォセリウカ村で、自宅の片付けに来ていた病院職員のオレクサンドル・チュハイブさん。彼によると、この村は第2次大戦時にもナチス・ドイツに徹底的に破壊されました。「だから、廃虚になるのは今回が2度目今回もまた、再建しますよ。ただ、戦争が終わった後になると思いますけどね」
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これは、ノヴォセリウカ村の空爆跡。チェルニヒウはロシアやベラルーシの国境から近く、爆撃機による攻撃が多かったといわれます。
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まともに残った建物がほとんどないほどの壊れよう。
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チェルニヒウ中心街の歴史的な地区は、表面上大きな被害はうかがえませんでした。ただ、少し裏に回ると崩壊しかかっている家屋も少なくありません。
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中心部で大きな被害を受けたウクライナ・ホテル。
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ウクライナ・ホテルの前にいたら、元首相ユリア・ティモシェンコがすたすたと歩いてきました。慌てて呼び止め、インタビュー。しかし、メディア慣れした彼女のことですから、プレスツアーを聞きつけて偶然を装って通りがかったのかもしれません。
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トレードマークの髪形健在。
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包囲された1カ月、街を支えたのが人道救援の地元ボランティアたちでした。食料を外部から搬入する一方で、病気になったり困窮したりの市民を包囲の外に連れ出す役割も果たし、このルートを通じて避難した人は少なくありません。中央は、最大規模の組織「善意の炎」中心メンバーのオレフ・ビビクさん。
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「善意の炎」が配布する食料パック。これで1人3日分の食料がまかなえるそうです。
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チェルニヒウ報告の記事はこちらです。 digital.asahi.com/articles/ASQ4B…
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何と、キーウの海鮮料理チェルノモルカが開店していた。早速行きました、ペチェルスク店。侵攻前の2月にここで取材先と宴会を開いた。その時は満席だったが、今は人影まばら。宴会参加者も、みんなどこかに避難してしまった。
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ロシア軍侵攻は、包囲戦やミサイル攻撃にさらされた都市部だけでなく、農村部にも深い傷痕を残しました。中には、嫌々ながら送られたロシア兵との奇妙な交流を経験した村人も。キーウ周辺で大きな被害を受け、約1カ月の占領を経験した村々を訪ねた拙稿ルポ。 asahi.com/articles/ASQ4M… #ウクライナ情勢
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というか、ブチャは今、飼い主を失った猫であちこちいっぱい。イヴァナフランカ街。 twitter.com/karategin/stat…
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マクロンとルペン、差はやや広がりつつあるようだが。 twitter.com/LCI/status/151…
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ロシア軍はキーウ(キエフ)包囲を目指したと思われ、一部の部隊が首都西方の農村地帯を南下しました。その途上で与えた被害は甚大です。典型的な例は、マンションを崩壊させて多数の住民を生き埋めにしたボロジャンカですが、その先にあるアンドリーウカ村の被害も尋常ではありません。その一部です。
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最初に訪ねたのは14日で、ウクライナ当局のプレスツアーでした。まだロシア軍が残した兵器の残骸が散らばっており、危なっかしくて仕方ありません。兵器の知識に乏しい身としては、近寄らないのが一番。
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何か地雷みたいなものも。違うかもしれませんが、気味悪くて近寄れず。地雷の被害は本当に深刻なようです。毎日あちこちで踏んでしまう例があり、脚を飛ばされた人、亡くなった例も報告されています。