いやしい豚でございます(@bikeandriding)さんの人気ツイート(リツイート順)

してくるザコ市民は、加害者よりよっぽど敵なんだよね。言葉ではなかなか伝わらないけど、ちょっとすごい敵意をバンバン向けてくるわけ。ぼくが被害者なのにだよ?😂最終的にはテレビ放送なんかもあってもみ消しできないと思ったのか事件から1年近く経ってようやく被害届受理。結果は一切連絡なし。
しかも立ったまま。かな〜りきっつい口調で「なんでテレビ局と話をした?」「容疑者が逃げたらどうする!」などと押し問答。「逃げられるのは警察に事件を握りつぶされるよりマシだからです」などと、けっこう長い時間囲まれてた。警察にとって、自分たちが受けとらないと言った被害届をごり押し
だからぼくは、ある程度な度を超えた悪質な煽り運転は積極的にネットに上げていいと思うのよ。それから被害届の提出を試みる。その経過をできるだけネットに書きこむ。そうすることで、オマワリさんも動かざるを得なくするしかない。だって、裁判になれば罪を問われることだからね?その裁判を
実際ぼくのドラレコ動画が出回ったとき、自分も煽られて悔しい思いをした、でも警察はとりあってくれなかった、という連絡が山ほど来たのよ。ドラレコ見せてくれた人もいるけど、はっきり言ってぼくのケースより酷いのもあった。それが警察に握りつぶされていると。そういうのは放置でいいんだろうか?
で、連絡してきたのは裁判官。これがけっこう丁寧で、忙しいだろうに電話でいろいろ説明してもらった。「相手が謝っているので、謝罪文を送ってもいいか?」とのこと。「真摯な謝罪なら真摯に応じたいと思います」というと、加害者の代理人経由で手書きの謝罪文。代理人いわく「謝罪金で解決したい」。
だから人は、たとえ気が向いた時だけであっても、ごくわずかな支援であっても、自分より恵まれない人たちへの配慮というのをためらうべきではない。気が向いた時でいい。わずかでいい。そのほんのちょっとの善意と行動こそ、社会の希望だ。ほんのちょっとの善意をかき集めるのが社会福祉だ。
ぼくはその謝罪文を読んで、けっこう受け入れた。しかし全部チャラというのはあり得ないので、謝罪を受けて提訴は取り消して、刑事の方では罰を受けてもらうことにした。もちろんカネは受けとってない。裁判所は結果が出るとすぐに書面で報告してくれた。ようするに、当初警察がいっていた
事件当時は子うさぎみたいに震えることしかできなかったのよ。そういう事件があったというのに、天下のオマワリさんが必死になって被害届の握り潰しをやってくるとは、善良な市民は普通思わないでしょう?これ変えないといけないのよ。ばくだけの、煽り運転だけの問題ではないことは、理解できるはず。
ぼくはそういうので逆にやる気出るタイプだから根気の燃料供給嬉しかったけど、普通の人がそういう状況におかれたら、どうなのかを考えて欲しいのよね。ぼくの感覚でいえば、ほぼ99.9%の人が被害届を諦めたと思う。たしかに煽り運転は接触しない限り被害があったとはいえないケースもある。でも、
煽ったことによって、あるいは煽られたことによって、他の人も巻き込んで事故を起こすリスクは相当に高いわけよ。なにより心に負った傷はそう簡単には癒せない。ぼくも大声で何言ってんのかわかんないこといわれて、特濃小便チビりましたわ。たしかクソも漏れたかな。実際ぼくはよわよわ貧弱系なので、
じゃあ日本の労働者は何をすればいいのか?やることは一つ。本当の労働運動(←欧州でやってるやつ)とは何かを理解し、日本の労働組合を猛烈に批判することだ。労働組合や労働運動が不用だというのではなく、日本の労働組合が労働運動を行っていないことを批判することが死活的に重要。
困窮層のボランティアやるとわかるんだけど、彼らはやはり社会から孤立していて、身の周りに手を差し伸べてくれる人がいないんだよな。その理由をはっきりといえば、社会性に問題がある人たちがかなりの割合でいる、ということだ。もちろんみんながそうって訳じゃない。ただやはり、社会性の欠如と
個人が力を合わせて困っている人たちに手を差し伸べなくてはならない。個人の困窮をなくす社会を目指していかなければならない。困窮者が好ましい人物なのかムカつくクソ野郎なのかは関係ない。一切関係ない。だが人はみんな弱い。自分が大切だ。自分の生活だけで精一杯だ。出来ることには限界がある。
困窮との間には、傾向として明確なつながりがあることは否めない。違う言い方をするなら、困窮する人たちの中には「嫌なやつ」がけっこうな割合でいる。ぼくもムカついたことが数えきれないほどある。でも手を差し伸べたいという気持ちが萎えたことはない。なぜならぼくは個人主義者であり、
他者を批判するには、自分自身に正しい知識と論理がなければならない。だから欧州の労働運動を学び、理解することが批判に先立って必要となる。そのうえで日本の腐敗しきった労働組合を批判し、産業別労働運動が日本に広まるようにしよう。道のりは遠いが、道はこれ一本しかない。
まず欧州では高い水準の賃上げが継続的に行われている理由から。欧州では労働組合が『産業別』にストライキを打って、その産業を代表する『企業連合』と交渉する。これを『産業別労働運動』という。だから欧州の労働組合は基本的に『印刷産業労働組合』とか『医療労働者組合』とかいう、
この社会の中では個人こそが最も大切であり、尊重される存在だという信念を持っているからだ。その『個人』とは自分自身を含めたこの社会すべての個人だ。自分と他人の間に区別はない。みんな同じ個人だ。だから困窮した個人が社会のどこかにいる以上、同じ社会の中にいる、より恵まれた境遇にある
それができない。次に日本の労働者がなぜ貧しくなるのかだけど、これは欧州の説明をするなかでだいぶ理由を解明してしまったわけだが、それ以外にも問題がある。それは日本の労働運動でメシを食っている連中が、極めて無能で悪質なことだ。連合にせよ全労連にせよ、この点では共通している。
産業や職能別である必要があるのか? それは市場競争の緩和が目的だ。たとえば労働組合が日本のように企業ごとにあったとしよう。それぞれの労働組合は、それぞれの企業に対して待遇改善の交渉を行う。そうすると、労働組合のいうことを聞いて時短や賃上げに応じた企業ほど、労働運動のいうことを
聞かずに待遇改善を行わなかった企業に対して、市場競争するうえで不利となる。つまり、労働者の環境を良くしようとする企業ほど、市場競争で淘汰されやすい仕組みを労働組合自身がつくってしまうことになる。それを防ぐのが産業別労働組合だ。たとえば賃上げするとき、産業別労働組合は
たとえばNTT労組は闘争資金『だけ』で550億円くらいの無駄金を積み立てている。原資はもちろん労働者の賃金だ。だいたいの労働組合は闘争資金を運用するので、その益だけでも毎年数億は組合に入ってくる。うまい!うますぎる!こんな素晴らしい制度でメシを食っていて、これを産業別労働組合なんかに
同時同一。一方、日本の場合は労働組合が企業別だから、労働者としても過剰な待遇改善やストライキが自分で自分の首を絞める結果となり、誰もが積極的に労働運動に取り組めない結果になる。そういうわけだから、欧州の労働者は毎年積極的にストライキを打ち労働環境を改善するのに、日本の労働者は
一つの産業をすっぽりカバーする形で、企業の枠組みを超えて労働者を組織している。日本でいえば大日本印刷とか凸版印刷とか別々の会社の労働者が、印刷産業労働組合(労組①)とか印刷出版労働者組合(労組②)とか、そういう産業を一まとめにした労働組合に加入してる感じだ。この労組①と労組②は、
一つの産業全体で、同時に同額の賃上げを企業連合に対して要求する。そして所属企業に関係なく、産業全体でストライキを打つ。ストで企業連が折れたら産業全体で、同時に同額の賃上げが行われる。つまり、賃上げした企業だけが市場競争で一方的に不利になる状況にならない。ストライキの影響も全企業で
よく「他の企業が賃上げすれば、それが他の企業にも波及してみんな豊かになる」といわれるが、それが可能なのは労働組合が産業別に組織されている場合であって、日本では賃上げの波及などしないばかりか、むしろ格差を広げる結果にしかならない。では「日本でも労働組合を産業別に組織したら?」