日本のユシ協約は独特で、その企業に入社した労働者は、強制的にその会社の労働組合に加入する義務をおう。もし労働者が会社の労働組合に加入しない場合、あるいは脱退した場合は、会社はその労働者を解雇しなければならない。そしてユシ協約の場合はほぼ確実にチェックオフが導入されている。
チェックオフとは何かというと、労働組合が労働者の賃金から組合費その他を直接徴収できる制度だ。チェックオフ労働組合は労働者に支払われるべき賃金を企業から直接、組合費として受けとることができる。もし労働者が組合費の支払いを拒んだり、労働組合の動員に応じない場合、労働組合は労働者を
除名することができる。除名された労働者はユシ協約によって企業から解雇される。労働組合でメシを食う連中にとって、これ以上オイシイ制度があるだろうか?まだある。大企業労働組合の多くが打ちもしないストライキ資金を蓄える目的で『闘争資金』の積み立てを行なっている。その資金力は絶大で、
たとえばNTT労組は闘争資金『だけ』で550億円くらいの無駄金を積み立てている。原資はもちろん労働者の賃金だ。だいたいの労働組合は闘争資金を運用するので、その益だけでも毎年数億は組合に入ってくる。うまい!うますぎる!こんな素晴らしい制度でメシを食っていて、これを産業別労働組合なんかに
変えたいと思うか?普通は思わないだろう。そういうわけで、日本の労働組合は欧州みたいな産業別労働運動なんぞ興味もへったくれもない。と、いうことだ。しかし日本の労働組合が労働運動を行わないということは、日本の労働者の労働時間が減らない、賃金が上がらない、という結果につながる。
じゃあ日本の労働者は何をすればいいのか?やることは一つ。本当の労働運動(←欧州でやってるやつ)とは何かを理解し、日本の労働組合を猛烈に批判することだ。労働組合や労働運動が不用だというのではなく、日本の労働組合が労働運動を行っていないことを批判することが死活的に重要。
他者を批判するには、自分自身に正しい知識と論理がなければならない。だから欧州の労働運動を学び、理解することが批判に先立って必要となる。そのうえで日本の腐敗しきった労働組合を批判し、産業別労働運動が日本に広まるようにしよう。道のりは遠いが、道はこれ一本しかない。
いまから『なぜ日本人の労働生産性が低いのか』『なぜ欧州は労働時間が短いのに賃金が高いのか』を説明するよ。結論からいうと日本に労働組合とか労働運動が存在しないことが原因だよ。引用のツイートと合わせて読むと理解がより深まるよ👇(続) twitter.com/bikeandriding/…
なぜ自民党が支持されるのか。 日本の有権者がバカだから、で済ませるのは簡単だが、しかし「なぜ」を解明しないことには今後もずっとこれが続いてしまう。『若い人ほど自民党支持の割合が高い』という事実がある以上、若い人ほど経験した、あるいは学習した何かに自民党を支持させる要因があるはず。
昔はそれなりに、いまでもたまに困窮者支援のボランティアをするぼくが言わせてもらうわ。 『中途半端な救済はだれも幸せにしないんだな』 ↑この薄っぺらい感情こそ人と社会を不幸にしていくのよ。ぼくがたびたび指摘する日本人のゼロサム思考なわけだけど。 twitter.com/philosopium/st…
困窮層のボランティアやるとわかるんだけど、彼らはやはり社会から孤立していて、身の周りに手を差し伸べてくれる人がいないんだよな。その理由をはっきりといえば、社会性に問題がある人たちがかなりの割合でいる、ということだ。もちろんみんながそうって訳じゃない。ただやはり、社会性の欠如と
困窮との間には、傾向として明確なつながりがあることは否めない。違う言い方をするなら、困窮する人たちの中には「嫌なやつ」がけっこうな割合でいる。ぼくもムカついたことが数えきれないほどある。でも手を差し伸べたいという気持ちが萎えたことはない。なぜならぼくは個人主義者であり、
この社会の中では個人こそが最も大切であり、尊重される存在だという信念を持っているからだ。その『個人』とは自分自身を含めたこの社会すべての個人だ。自分と他人の間に区別はない。みんな同じ個人だ。だから困窮した個人が社会のどこかにいる以上、同じ社会の中にいる、より恵まれた境遇にある
個人が力を合わせて困っている人たちに手を差し伸べなくてはならない。個人の困窮をなくす社会を目指していかなければならない。困窮者が好ましい人物なのかムカつくクソ野郎なのかは関係ない。一切関係ない。だが人はみんな弱い。自分が大切だ。自分の生活だけで精一杯だ。出来ることには限界がある。
だから人は、たとえ気が向いた時だけであっても、ごくわずかな支援であっても、自分より恵まれない人たちへの配慮というのをためらうべきではない。気が向いた時でいい。わずかでいい。そのほんのちょっとの善意と行動こそ、社会の希望だ。ほんのちょっとの善意をかき集めるのが社会福祉だ。
この世の中に完璧な善意などない。完璧な社会福祉もない。そこにあるのは中途半端な善意の寄せ集めにすぎない。それを機能させるのが人間の知恵だ。かつて熊沢誠が指摘したように、社会福祉は『嫌なやつら』のためにある。中途半端な善意は素晴らしい。その善意をみんなが発揮してくれたなら。
なんでオタクが「フェミ」を敵視すんのがさっぱりわからん。ぼくが理解するところでは「フェミ」はフェミニストの略だろ?つまりオタクはフェミニズムを敵視してるわけだよ。じゃあフェミニズムとは何かといえば、ウーマンリブはじめとした平等な市民権を獲得しようという運動だろ?何が問題なんだ?
いまからめちゃめちゃ表現が難しいこというわ。読む人は慎重に読んでくれ。日本社会の『社会的合意の形成』とか『社会的規範の形成』についてなんだけど、結論からいうとすげー未熟だよな。どういうことかというと、たとえば街の景観。海外経験多い人は気がつくよね?(続)
日本の街の景観って本当に汚い。ゴミゴミしていて、不規則で、成金趣味で、そのうえ使い勝手が悪い。これが欧州なんかだと、西も東も街がそれぞれの社会の流儀において統一されていて、整然としていて、しかも美しい。それぞれの国、それぞれの街に、それぞれの美しさがある。大きな街だけでなく