妙に張り切っていた人がその後ボロボロに崩れることがありますが、張り切っていた時点ですでに崩れかかっていたのかもしれません。人は肉体的・精神的に追い詰められて限界に近づいた時、そのことを自覚しないまま、状況を挽回しようと焦って無謀な張り切りかたをすることがあるのではないでしょうか。
新元号は「令和」
人生に破綻し社会から排除され孤独に陥ったとき人は独りで意味をなさない事を喚いたり、自分の身辺を破壊していくしかなくなります。生体のエネルギーを残していながら自己破壊を余儀なくされるプロセスは悲惨を極めます。私は極力最後まで秩序とバランスを保ちながら穏やかに自分を終わらせていきたい
江ノ島で初日の出をみました
きょうは田園都市線梶が谷駅で人身事故が発生したそうです。やはり寒くなってくると、どうしても夜に切迫した焦燥感のようなものがつきまといます。低温は死を予感させ、いずれにしても死はやがて訪れますが、むしろ自分を「まだ動く死体」だと思いつつ、そこにやはり心が動いているのをみとめます。
新宿東口で亀甲縛りをしてもらいました
「千年の歴史を持つ、釘や接着剤を使わない日本の木工技術」 Tips & Tricks @awkwardgoogle The Joinery @TheJoinery_jp twitter.com/awkwardgoogle/…
自分は感情と思考と肉体でできていますが、この3つはどれも自分でコントロールできませんし、これらをどのように組み合わせても、生きることへの意志、前に進もうという選択が出てこないです。こころは、自分の中にはなく、想像を越えた遠い所からときどき自分に何かを指し示しているようにも思えます
願望は心に抱える問題を反映して表れる幻であり、それは自分を理解する手がかりになりますが、願望を自分と自分の周りの現実に投げかけても、何も答えは返ってこないようです。「自分」という世界を創り出すのをやめて存在しなくなるとき世界もまた存在しなくなり、初めて現実が答えをくれるでしょうか
疲労によって体力・気力が奪われることは確かですが、心の苦しみによって体力・気力がブロックされて、いくら休んでも動けないというのが、より深刻だと思います。人は食物や睡眠によって得た物質的エネルギーによってのみ生きるのでなく、人はまた心に抱く一つ一つの希望によって生きるのだと思います
本厚木で花火大会でした
おはようございます
ハイヒールで歩くとすごく疲れます
渋谷でドラえもんといわれました twitter.com/seesaakuma/sta…
アルタ前で待ち合わせしました twitter.com/blust_SOLIDEMO…
新宿で遊んでもらいました
新宿で遊んでもらいました
モンテーニュの「エセー」を初めて読んだのは10年くらい前ですが、今でもこれほど真実にあふれた本は他に見つからないと思っています。最近また読んでいない部分を読み始めました。英語訳と日本語訳を比べるのが楽しいです。普通の当たり前のことが最も難しく、最も貴いのだということを感じました。
待ち受け用のフリー画像です