Twitterには四季(日本アニメキャラ白人説、仕事を無料で依頼してきた人のスクショ、サイゼリヤデートは有りか無しか、キャベツを食べるウニ)がある。キャベツを食べるウニ以外は、過酷な季節である。
勝浦海中展望塔は、潮の流れに身を任せきった野生の魚が可愛かった。
『耳をすませば』みたいな青春は十代の頃ですら99.99%の人は無理なので、せめてみんなで『カントリーロード』を演奏する時に後ろでタンバリンを叩くジジイになることを目指したい。
経験を積んだ学生「…擬似体験ってどういうことです?」 面接官1「だから、十代の頃から各国を留学していたのは、全部偽物の記憶で夢のようなものなんです。あなたは何者かに利用されて、弊社にゴーストハックを仕掛けてたんですよ」 経験を積んだ学生「そんな、まさか?」
「マジで!?私も超オタクだよ!?」のギャルの子は、相手のオタクと話を合わせようとしている優しさを感じるので、大喜利ネタにしたくないというか。オタクに優しいギャルが好きなら、オタクもそういうギャルに優しくしようぜと思ってしまって、ネタにしたい気持ちが薄れてしまう。
オフラインの現実でなりたくない自分や生きたくない人生を過ごしていて、「なりたい自分になれば、良くなるはず」と期待している状態よりも一歩先の救われなさであって、そういう境地だからこそ描ける物語もあるのかもね。
VRでなりたい自分になって、行きたい場所に行って、それで生きやすくなるというのは魅力的だけど、どちらかというと「なりたい自分がいない人」とか、「なりたい自分になっても、結局救われなかった人」とか、そういう人達が仮想の世界をとぼとぼ歩いてどこに到達するのか、みたいな話に興味ある。
作品の感想への「◯◯の視点が抜け落ちている」みたいな評価は、大抵、「自分で書け」以外に何も言えない。何で自分の視点を他人に代筆してもらおうとしているんだ、という。
喫茶店でモーニング食べていたら、死ぬほど疲れた感じの男子小学生が「うう〜、アイスください」と言いながら入店してきて、店のおばちゃんが「ちょっと休んでてね。今、お好み焼き作ってあげるから」と話が噛み合ってない現場に遭遇した。良いなー。
数年前から、『メイドインアビス』にしろ『宝石の国』にしろ『チェンソーマン』にしろ、読む地獄みたいな漫画がまた人気になっていて、(作品のジャンルというより読者の消費の仕方としては)『タコピーの原罪』も似ていてその流れに乗っている気がする。
タコピーを読んでいてその酷い展開に傷つくとかはなくて、最悪をせっせと作る最悪職人の技を見て「巧みだな…」「こうきましたか…」と唸らされている感じに近い。
成人式はあるのに中年式はないので、いつまでも若者気分の中年が発生して、成人式の思い出を語ったりする。
Twitterを見ないで密教の本を読んだりして休日を過ごしていたら、「公害企業主呪殺祈祷僧団」という熱い団体がいたのを知った。法律家の見解も良くて、嫌がらせとしてもハイレベルだ。
鬼死骸八幡神社…国内トップレベルに強そうな神社だ。
鬼死骸というのは、坂上田村麻呂が大武丸という蝦夷の首長を討伐し、亡骸を埋めたことに由来しているらしい。ちなみに斬首した時の首は、鳴子の鬼首温泉まで飛んで地名の由来となった。
「鬼死骸停留所」という、あまりにも伝奇物と相性が良い場所に来ている。
最近、この方がどれだけ大人の対応だったかを痛感する。
葬式で故人が好きだった音楽をyoutubeで流していたら、突然、楽天カードマンが現れた時の葬祭場の空気について考えたら、居た堪れない気分になってきた。
四十年後の老人ホームで、『とらドラ!』の話で激しい口喧嘩になるも、すぐにアンドロイド介護士さんが音楽レクリエーションを始めて、強制的にタンバリンを叩かさせられるオタク老人のことを考えると涙が出てくる。俺たちの未来だ…。
細田守作品がイラつかれがちなのは、社会的な枠組みで対応可能に感じる問題を、御伽噺みたいなリアリティラインで突き進めようとする点が大きいと思う。だから、次回作は社会では対応できない問題を描いてほしい。具体的には、ショタしか出てこない『寄生獣』を映画化したら、名作になると思う。
エモいものが好きな人でたまに「自分の感情を言語化されたくない人を見かけるのだけど、それは言語化能力がないというより、言語化しないことで感情を自分だけの所有物にしておきたい欲求が強い気がしてきた。それに対して、何かの記事で読んだように「語彙力がない」と評するのはあまりよくないな。
自分のためだけに生き続けるの、大体、三十歳くらいで自分自身に飽きてくる人が多い気がする。その後は、好奇心の消化試合が何十年も続く。
江ノ島に行く時に、多くの人が気になるであろう旅館へ、会社帰りに宿泊してきました。大変良かったです。
シン・エヴァの制作ドキュメンタリーのはずなのに、みずほ銀行システム再構築のドキュメンタリーを見ているかのように、心臓が痛くなる。