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知識が増えれば増えるほど言動の可能性は広がるけれど、それを統括する意志がなければならない。知識とはいわば小さな船頭で、船を一方に導いてはくれるが、たくさんあつまれば情報がパンクして山に登ってしまう。意志薄弱なやつは知識に振り回される。
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みんなラピュタを見ていたんじゃなくて、「ラピュタを見ているという共通認識」を求めていただけなんだろうな。
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「豊かである」ことは一種の欠損。貧しい人の感覚を知ることができない。「パンがなければ~」じゃないけど、生まれて元から豊かな人間は、生きるために何かを生み出す努力を知らないまま育ち、世の中に散らばる普遍を感じ取ることができないザル人間になる。自分のあり方に疑問を抱けない。
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「動画や人を批判してはいけない」って、恐ろしい発想だ。それの何が面白いんだろうか。
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嫌いなものに対して「嫌いだ」と言えるからこそ好きなものが好きでいられるのであって、片方を無理やり押し殺したらもう片方も自然に意味をなさなくなるようにできてる。そのどちらかしかありえない場所なんてないし、あったとしても気持ち悪すぎる。
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誰だって嫌いなものっていうのは少なからずあるだろうし、それを表明するしないは各々の考えた結果であるべきでしょう。強制すべきではない。モラルやリテラシーを説くために「批判するな」はおかしい。
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と、この人の記事を見て思いました。彼の言っていることは理解できるし、実際僕も批判を受けると傷ついたりもするけれど、作者に対して阿った意見ばかりのものはきな臭すぎる。ameblo.jp/glutamine2525/…
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もし仮に批判のない場所というものが成立したとして、そこで何事もなく安穏な日々を過ごしていけたとしても、そうやっているうちに器官のどこかが停滞してしまって、末端から徐々に腐っていくのは目に見えてる。受け入れられない人たちがいることを受け入れないと。
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やっぱり僕は運動神経がすこぶる悪い。小さいころから、横になってものを考えてばかりいたら、起き上がることすらおっくうになるようになってしまった。
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絵を描くなどした。「あぐら」 twitpic.com/7xbjwk
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整形してても今が綺麗ならそれでいいと思うけどな。各々の倫理観に触れるのかもしれないけれど、昔の写真引っ張ってきて「騙されるな」ってのはよくわからん。人はどんどん変わっていくものでしょう。
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「飽きっぽい性格」を自称してあっちこっちふらふらしてる人は、大抵のことじゃない限りまず熱中してすらいない。やり始めの楽しさが薄れてきて、続けていくのが面倒になったころに「自分飽きっぽい性格だから」という理由で正当化してほっぽりだしてるだけだ。
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自分の非を認めようとしないから、システムが悪い、社会が悪い、船頭が悪いと自分以外に非を求めて、結局自分は知らん顔でいるまま。そういう奴は自分の感覚を全く疑わないので、平気でアホみたいなこと言うし、周囲にいらいらを振りまいて、尚且つそのことに気付かない。
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「理解できない」ということをちゃんと理解しないと、誰かに対して優しくなれないな。
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誰かを好きになるということはどこまで行ってもさびしさやかなしさの誤魔化しでしかないと思うのだけど、だからといって誤魔化すのをやめてしまったらさびしさばっかりの人生だ。どうせ皆いつかはじじいばばあになって死ぬのだから、誤魔化しながらでも満たされていたい。
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作品が誰かの表現物としてあるかぎり、素晴らしい作品と出会えば「一体どんなやつがこれを作ったんだろう」と気になるのは至極まっとうな流れであって、「自分は作者とか全く気にしない」と主張する人は、ただ作品の素晴らしさに気付けていないか、そこまで好きになれていないだけなかもしれない。
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ずっとがすっとになってるという指摘が一億人くらいからきてるけど最近要所要所で濁点を抜くのが流行ってると昨日そこらへんで聞いたのを実行しているたけなので間違いてはないてす。
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外見と心というのは密接にリンクしていて、片方が変化すればもう片方も同じように変化する。変な顔の人は変な性格になっていくし、変な名前の人は変な顔になっていく。外界との接触によって自分がどういう存在であるのかを知ると、それを誤魔化す、または正当化するために自分を騙し変わっていく。
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「自分はどこかおかしいんだ」と思い込むとその思い込みに心身は引っ張られていき、もとは別に全然おかしくない人でも本当におかしい人に変わってしまう。鶏と卵どちらが先かは人それぞれだけど、結局自分を形作るのは自分自身ではなくて自分以外の誰かだ。
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自分の外見に全ての信頼を置いている美男美女は中身が薄っぺらいし、常に何かを疑っている不細工は足りないものを補おうとするため一芸に長ける。どちらがいいとか悪いとかではないけど、自分を省みる存在として他人がいて、相対的に自分は変わっていく。もっといろんな人と話をしてみたい。
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たまにふと昔の友達や恋人に会いたくなる瞬間があるけれど、それは記憶の中にいるその人に会いたいのであって、今現在のその人ではない。時がたてばたつほどその人は変わっているだろうし、何かの拍子に会えたとしても「あなたはこういう人だ」という認識の押し付けあいになる。
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直感的にどうやっても自分にはできないであろうと感じたことは「これはできない、しゃあない」と思うように努めてるんだけど、たとえば「ポテトチップスの袋を開けられない」みたいなしょうもないものに出くわすたびに、内臓がひっくり返るくらい悔しくなる。
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「これを好きな人がいるんだし、悪口は言わないでおこう」みたいな考え方って、いずれ勃起不全になりそう。
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マイナスの部分に触れて批評したからって、それだけで嫌いなんだと思われちゃきりがないな。
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人間は自分の視野の中でしか生きることができなくて、視野外のものには畏怖を覚える。それを誤魔化すために視野外にあるものは自分より愚鈍な存在であれと願ったりするわけだけど、そこで放り出さずに一歩踏み出して「どんなものなのか見てやろうじゃないか」と目を凝らすだけで随分賢くなれるはず。