「安いから」という理由で新電力を選んでいた人たちは、価格高騰や新電力倒産のリスクも負ってるわけですよ。それを承知で契約してるんだから、仕方ない。「ノーリスクで安いだけ」とか、あり得ないじゃないですか。
河瀬直美が「ロシアの正義」と呼んだものは現実には「プーチンの野望」に過ぎず、ロシアの正義ですらないでしょう。これを「ふたつの正義の衝突」と言って理解した気になるのは安直な「識者しぐさ」であって、僕たちが最も注意深く避けるべき態度だと思います。 「一方的な悪」はあるんですよ
河瀬直美の祝辞を全文読んだけれども、ロシアのウクライナ侵略についてのくだりは全く見識も何もないものでした。世の中には「一方的な悪」があるという現実を我々に突きつけたのがこの戦争だと思います。河瀬はその現実から目を背けています。 この祝辞でウクライナ侵略に言及する必要はなかった
かっこ付き「リベラル」のポジション・トークとしては「月曜日のたわわ」の新聞広告は失敗だったことにしなくてはならないのだろうけど、恐らく失敗ではなく、むしろ成功だったのではないかと思いますが、どうでしょうか。 理由は、文句を言ってるのはもともと読者になるはずがない人たちだから
僕が批判しているのは治部先生が「見たくない人に情報が届いた」ことを第一の問題として挙げたことです。 あらゆる情報には「見たくない人」がいます。それをひとつひとつ認めていたら、あらゆる広告もテレビ番組も新聞も雑誌もなくなります。 個人の「見たくない」感情は表現の自由に優先しません
表現の自由の問題を論じるのに好き嫌いだの快不快だのを持ち込んではいけないんですよ。表現の自由はそういう個人的な感情よりずっと重い権利です。嫌いでも不快でも守らなくてはならないんですよ。 治部先生が問題点の第一に「見たくない人に情報が届いた」ことを挙げられたのは大問題です。だめです
岩上安身のこのツイートは決して忘れてはなりません。これが放射能デマの姿ですよ。「何も理解していない」とはこういうことです。科学も人権も理解していない。これが害悪です。 今読み直しても怒りが込み上げてきます。 twitter.com/junmurot/statu…
宇崎ちゃんを理由に「献血ボイコット」を言い出したのが大きいかな。 何がより重要なのかを全く理解していないことが露呈した。常識とかけ離れていた。 どう考えたって献血のほうが重要だというのが社会の常識だと思うんですよね。 twitter.com/blauerseelowe/…
近藤誠や内海聡や武田邦彦や広瀬隆が有害なニセ医療本や放射能デマ本を出すのも表現の自由だし、その広告を新聞に出すのも自由ですよ。僕はそんなものを見たくないけど、それを排除するのがいいことだとは思いません。 出たものを批判するしかない。「出させない」というのは危険思想でしょう
「月曜日のたわわ」の広告より近藤誠の本の広告のほうが圧倒的に反社会的じゃないですか。近藤誠の本のせいで何人もの人が亡くなってると思いますよ。マンガなんか、どれほどエロくたって人は死なない。人を殺す本の広告は野放しで、罪のないエロいマンガの広告を叩くことに意味があるんですか
治部れんげ先生は「見たくない人に情報が届いた」ことを問題の第一点にあげてるんですが、そんなのありですか?例えば僕は新聞に近藤誠や武田邦彦の本の広告が載るのなんか見たくないですよ。そういうのを各自が言って通るの?治部先生の考えはおかしいと思う | huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
ちょっと前までは、「財務省はお金を出さないためなら国民の命が失われようが国が滅びようが構わないと考えている」と言ったら、「財務省陰謀論」と揶揄されたりもしたんですが、矢野財務事務次官論文が出て「財務省陰謀論」は事実だと明らかになったじゃないですか。 財務省は国民の敵ですよ
物価上昇より、賃金が上がらないことのほうが問題なんじゃないですか
ロシア軍の残虐行為が明らかになるにつれ、「どっちもどっち論」がいかに無意味かはっきりしてきましたね
貧困に苦しむ人たちに環境問題だのプラスチックだの平和運動だのを訴えてもなんら響かないでしょう。脱原発も脱炭素も関係ないじゃないですか。貧困を救ってくれないもの。やはり第一は貧困問題であり、結局は経済だと思います。 それが理解できない人たちは想像力がないんですよ。高齢富裕左翼に多い
むしろ、「ハリー・ポッターと」のあとに絶対につけられないタイトルはあるのか。 「ハリー・ポッターと犬神家の一族」でも全然いける
「日本すごい」って言ってる人たちがいるらしいんだけど、僕の観測範囲にはありません。どこで言ってるのかな。くだらないテレビですかね。 日本はかつてすごかったけど、21世紀の日本はすごくありません。どんどん国力が落ちてる。それは国が未来に投資しないから。未来にがんがん投資しないと
製造業に節電を求める事態はよくないと思いますよ。日本に工場を維持する理由がなくなるでしょう。 安定した電力が安価に供給されることは重要だと思います
山の森林を伐採して、そこに鉄パイプを組んだ足場に太陽光パネルが固定されてるだけのソーラー発電所を置くののどこがエコでどこが「持続可能な開発」なのか全く分かんないですね。 あんなのは禁止するべきだと思います
東電原発事故のあと、節電のために駅のエレベーターを止めたりしたじゃないですか。あれで困ったのは車椅子の人とかなんですよ。健常者の観点で「歩けばいい」で済ませるわけにはいかなくて、バリアフリーは電気で実現している部分がかなりあるのですよね。 電気は文明に不可欠です
「たかが電気」と言えちゃう人は絶望的なまでに想像力がないんです。特にさまざまな意味での弱者に冷淡です
太陽光発電をどれだけ増やしても、冬場は役に立たないので。 「安定供給」の観点を無視する「再エネ・ポジショントーク」はものすごく多い
「本当は電力が足りているのに、原発再稼働を進めるために足りないと言ってる」と主張する人がいればそれは嘘だし、今日うまく停電せずに乗り切れたとして「やっぱり電力は足りていた」と言い出す人たちがいるでしょうが、それも嘘です。 誰が嘘をつくか、よく見ておくといいと思います
電気がなくなると弱者から死ぬんですよ。それは2011年から繰り返し言われてきたことのはずです。 安定した電力を安価に供給することは重要ですし、災害リスクを考えると充分な余力を持たせることとリスク分散はだいじなのではないでしょうか。夏冬は常にぎりぎりというのでは問題です
停電は人の命にかかわるので、停電しないことを願っています。 しかし、ここで停電が回避できたとして、「やっぱり電気は足りてる」と言い出す人々が出てくるでしょう。そういう人々に対しては、あらかじめ怒りを表明しておきます。 停電が回避できたとしても電気が足りているわけではありません