いちおう、マスクかぶれって放送あったから
銅鑼湾の平和デモが過ぎて、だんだん戦闘やる気の黒服たちが増えてきた。
ウィアーブリティシュと叫びながら 英国領事館前に集まってましたよ
沙田にいるんだが、グローリートゥ香港の大合唱。毎晩やってるみたい。いろんなとこで。
復光香港 時代革命ってさけんでる。沙田のショッピングモールで。
逮捕された時用に弁護士にパスポート情報わたした。どんだけ、厳しい状況なんだ。
レストランで、友人からプレス用の最低限の装備うけとる。それをみた板さんから、サーモン刺身がサービスされた。今、デモを取材する記者は街中から尊敬を受ける。それくらい、危険な 仕事と思われている。
周庭さんが、警官に意味もなく服を脱がされ下着一枚で身体検査されと聞いて、みな怒りまくっている。いつの時代だ。ありえない。そのうち夜間外出禁止令も出そう。
立法議員の鄭松泰さんも逮捕されたみたい。えげつない。明日はみんな、おうちでじっとしてるんだ。無事に生き延びてこそ続く運動だ。
周庭さんは、平和主義の穏和派なのに、さては穏和は潰してデモの過激化誘導で、軍事介入の口実作りか?こういうときこそ、冷静さを保って欲しい。
アグネス.チョウとジョシュア・ウォンまで逮捕だと?
あしたのワイドナショーに専門家枠ででます。武田鉄矢さんに本読んでます、といわれて、すごくうれしかったぉ。 twitter.com/gesutocom/stat…
香港のデモの方が、自由と暴力のギリギリのはざまでの表現だと思う。引き受けるリスクの覚悟も 葛藤も段違いだ。香港の未来のため、という彼らなりの公共の福祉のための、命がけのパフォーマンスアートと言えなくはないか。
同じテーマでも、やりようによっては、自由と暴力のギリギリのはざまを狙って、公共の福祉にも叶う、普遍的価値を見出せる展覧会もできただろうに。中国や韓国の優れたアーチストを本気で発掘して、彼らが本国で表現できない表現の機会を与えるとか、意義あることができただろうに。
公共の福祉とは、単純に言えば社会にプラスになるか、世の為、人の為か。くだんの展覧会の作品、報道ベースで見る限り、自由表現と暴力の葛藤も見えないし、リスクを引き受けることの恐れも感じない。中国のひと昔前のポリティカルアートとそこらへんが違うよね。
私も人が神聖視するもの、権威あるものを批判的に報じることはあるが、その言論の自由を行使する時には、それなりに慎重に考えているよ。考えないと、新たな暴力を引き起こす可能性もあり、自分や取材協力者の安全にもかかわる。判断基準は、自分が引き受け可能なリスクと公共の福祉との兼ね合い。
人々が神聖視するもの、権威あるものをあえて壊し挑発する芸術について、芸術とはそういうものだと主張もあるが、それはやはり公共事業として助成を受けるのは変だ。政治権力を批判する芸術が権力から金を受けとり、その権威をかさにきる矛盾に、そうした芸術への本来の賛同者は納得できるのか?
表現の自由も報道の自由も徹底すれば、「暴力」だ。だから自由を行使する側がどの程度の自由が、暴力にならないか、を常に自問自問しながら発言したり行動するんだよ。それは自主規制とか、そんな軽い揶揄で言われるものではなく、表現者、報道者の責任感だ。自由と暴力の分け目の判断基準は公共の福祉
ちなみに、私の取材に関してもコストがかかり、それを原稿料や印税や講演料やメルマガなどで賄っているわけで、社会意義があるからただでやれ、金のこと言うな、とか言われても、大変困るわけです。
ちょっと某大手メディアが彼らを利用した時の協力費が安すぎて、びっくりしました。フリーランスの私ですら、その何倍か払ってるんで。
香港の若者の中には親中メディアに反発して、セルフメディアを立ち上げている人たちがいます。彼らは自前の機材でプロに見劣りしない映像や写真をとり、リポートができます。そういう彼らの映像や写真をかりたり、協力を得るときは、正当な対価を払ってやってください。
罠にはめられた感は、あったみたい。突入に2時間近くかかっていたから。でも、後戻り出来ない、と。香港に今一番必要なのは、革命だ、という意見もたくさんある、とも。
30日の夜の占拠作戦会議の現場にいた若者とも、話したが、彼らは200万人デモで動かせないなら、立法会に突入するしかない、という話でまとまったという。だから、中国の扇動に乗ったわけではない、といっている。
香港に来る前に、中共側からの今回の香港デモについての見方を色々きいたのだが、香港親中派議員が面従腹背だった、じつはこの法案ができたらこまるのは、中国で商売している彼らで、わざと審議を長引かせた、という声も。
香港の勇武派デモは、市民を傷つけない、テロ行為をしない、独立を宣言しない、の三つをまもれば、香港市民と国際社会の支持は得られる、という判断で立法会占拠を断行。一方、中国側は立法会占拠を暴力として報道させて世論誘導できると踏んで、立法会占拠を座視した、ということ。