1976
どうも最近、持ち帰りでオーダーと違うものが入ってる事が多い。どの店も対応は誠実で、無問題だが、精神年齢8才の僕はショボボンとしてしまう。そんな僕に妻が言う。「今まで人に恵まれ、仕事に恵まれ、大過なく生きてこられたでしょ?充分じゃん」。ベランダから見た夕日が実に赤い。うむ。充分だ。
1977
最近「アンインストール」という言葉を知り、嬉しくて多用している。外では恥ずかしいので家で多用している。「俺、アンインストール俳優だからさ」と意味もなく言ったりする。妻は完全にシカトだが。先程また新たに言葉を知った。今後は俺を「カーキ色俳優」と呼んでくれ。一体何を書いてるんだ俺は。
1978
有り難う。みんな大好きかは知らんが、西園寺1期の最終話は傑作。今作をいまだ愛でてる方々、意外に多いのも陰ながら存じ上げてる。本当にありがとう!
twitter.com/kintoki_hontak…
1979
某CM撮影で両手を上げるリアクションをしたら、監督が僕のマネをして、その度にシャツの丈が短いため監督のヘソが見え、なぜに昼間から中年のオッサンのヘソを見なければならんのだとツッコみ笑い合ったが、ブーメランという言葉がよぎり、決して人様にヘソは見せまいと誓った佐藤二朗であった。完。
1980
今回の舞台、本当に歌と踊りが凄い。そんな中、アンサンブルのS、名前は伏せるが坂元宏旬という若造が「二朗さん、あそこ、もっとああした方がいいっすよ」と言ってきた。ちょっと泣きそうになるくらい嬉しかった。もう、こいつらと最高の舞台を作るしかない。舞台「プロデューサーズ」、間もなく本番
1981
なんじゃこりゃああ!妻にバレるじゃにゃあきゃああ!あっ!元々俺がラジオで喋ったからかああ!俺バカぁあ!あっ!コレ呟いたから余計バレるぅう!…今夜はアレかな、野宿かな。
rbbtoday.com/article/2020/1…
1982
いよいよ劇場入りが近づき、主催側からガイドラインを渡される。その中で「お客様へ本作品をお届けする。これが最大の目的」という太字で書かれた一文に身が震える。あまり神頼みはしないが今回ばかりは神よ。どうか、どうかこの作品を、演者たちの熱を、最後まで千秋楽まで、無事に、お客様方に。
1983
各位。ああ各位よ。ミュージカル本番近い。マネージャーには「この期間、集中したいから先の仕事の話は全部ミュージカルが終わってからに」と言ってある。なので申し訳ないが、ちょっと12/6の楽日まで待って頂戴。僕がミュージカルに出るのはこれが最後。だから、しっかりとその世界に入り込みたい
1984
いま毎日稽古場で歌っているが、不思議なもので、他でも歌うことが続いている。なんだ。歌の神が俺に手招きしているのか。怒らないで冗談だから。こちら黒木華ちゃんと。
prtimes.jp/main/html/rd/p…
1985
息子が幼稚園児だった頃、幼稚園3年間の思い出ビデオをママ友有志の方々が作ってくれた。その中で我が子供への一言メッセージがあり、我が細君が送った息子へのメッセージは「生まれてきてくれてありがとう」。体内の水分を全部費やしても足らぬほど涙が出る。本当に、生まれてきてくれてありがとう。
1986
今回僕登場いきなり歌で、更にそこ非常に難敵で休日最後の今日、一日中どうするか考えたが答え出ず。芝居は知恵熱出るほど考えて掘り当てる鉱脈もあれば酒かっくらって翌朝思いつく鉱脈もある。あと共演者。芳雄も吉沢も拓郎も圭吾も皆、素晴らしい。アンサンブルもキラキラだ。よし。奴らと紡ぐぞよ。
1987
昨夜の呟き、拓郎でなく拓朗。ごめん拓朗。更に140字制限のため書けなかったが、無論、晴香も達も春風さんも本当に皆輝いてる。地方在住の方々、またコロナ禍等により今回観劇を控えた方々、可能な限り、舞台の様子、お伝えしますね。僕も皆に遅れを取らぬよう精一杯頑張ります。間もなく本番です。
1988
出が小劇場な僕は、メイクが不慣れ(大劇場ではメイクで多少陰影をつけないとのっぺらぼうに見えちゃうらしい)。不慣れの不安を妻に漏らしたら、「でも君、メイクしないと、紙じゃん。白い紙」と言われたので、今回のお客様方、白い紙に多少陰影のついた顔が出てきたら、僕だと思ってくださいませ。
1989
「めしばな刑事タチバナ」は芝居で食べられたが、これ声のみゆえ毎回収録でお腹空く。飯テロ仕掛けて飯テロに遭う。ミイラ取りがミイラになる。ごめん例え間違えた。是非。
prtimes.jp/main/html/rd/p…
1990
料理を作ってくれてる妻のすぐ横に行って「先生、今日の料理のポイントは?」とか聞いて、料理番組収録ごっこみたいな遊びをよくでもないがたまにやるのだが、先ほど昼飯作り中の妻に「ごめん、乱れる、テンポが。向こう行って」となかなか的を射たダメ出しが来たので仕事に出掛けることにするんだぜ。
1991
役者は「演じる」に没頭すべき。当然の事。だが我の内にどうにも消せぬ「書く」という別腹の欲求。「お前は書いていい」。そう背中を押してくれた方々に、そして「何度読んでも魂が震える」と主演を快諾した山田孝之に深い感謝を。映画「はるヲうるひと」、韓国の江陵国際映画祭で最優秀脚本賞、受賞。
1992
福田よ。落ち着け。まずは落ち着け。そら始まるよ。明日から始まるよ。まあ落ち着、うおおおおお!プロデューサーズが始まっちゃうよおおおおお!ドキドキやあああ!
twitter.com/fukuda_u1/stat…
1993
韓国の第2回江陵国際映画祭、各受賞者の声。最優秀監督賞はフランス作品。最優秀作品賞はベルギーとオランダの合作。改めて。「はるヲうるひと」、最優秀脚本賞を取りました。沢山の祝いの言葉。ありがとう。日本では来春公開予定です
youtu.be/9qu5l4e5Ewo
1994
マジで同感。が、愚痴は的外れ。とにかく、精進するしかない。ただ、何の後ろ楯もなく、ガチで取った、異国の最優秀脚本賞。それだけは何万回でも呟き、感謝し、誇ろう。
twitter.com/rei_il_/status…
1995
福田は大変にヘナチョコである。作品を見極め、俳優を見極める才は大変にあるのに、大変にヘナチョコである。俺はその25倍ほどヘナチョコである。そのヘナチョコ2人が大変に才あるスタッフキャストに恵まれた舞台、それが「プロデューサーズ」である。故に2人は大変に感謝し大変に必死なのである。
1996
さっき妻のお尻をコンコンとノックし、「コンコン、誰かいますか?」とやったら、わりと本気の低い声で「やめな」と言われたよ。殺し屋の目だったよ。少しチビったよ。バイバイ。
1997
芝居で生活する、芝居で生きる、芝居で息を吸って吐く人間に本当になれるのかと、暗い澱の中で息もできなかった20代を思うと、日々お客様方の前で芝居ができるのは大袈裟でなく文字通り、夢のよう。さあ、明日も舞台の上で、思いきり息をしよう。お客様方のために。20代の頃の自分のために。
1998
これ、アレですね、編集ですね。編集でグダグダに見せてるだけで、実際の進行は立て板に水のごとく、ごめんなさい嘘です。明日放送です。
video.yahoo.co.jp/c/6103/1cdac1d…
1999
舞台。自分の出の直前、鏡を見てビックリ。自分の顔のあまりの大きさにビックリ。出の直前に僕は鏡を見ない方がいいですね。動揺するから。そんなことはいい。いやよくもないがとりあえずいい。今夜99人。日本のグルメSP。新クイズ99秒の壁も白熱。白熱のあまり僕、小顔になってるかも。見ろし。
2000
ちょ、ちょ、ちょ、即席ラーメンがあああああ、食べたくなるじゃにゃあきゃあああああああああ