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今夜はsadsを品川で。好きに生きて好きに死ね。ということで、sads、お疲れさまでした。
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自分の道を見いだした者は、その道をどこまでゆけるか、元来そのことしか眼中にない。困難もあろう、誘惑もあろう、しかし、道を問うことを止め、自分で自分を見限らない限り、この世においてやることはまだまだ沢山あって、退屈するというようなことはありえないのである。
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昨夜の清春50thバースデーライヴは慈愛に満ちた祝福の空間でしたね。あそこには途切れること無くやり続けてきた清春だからこその何かが、尊いものとして存在していました。この先も死ぬまで突き進んでいってほしいと願います。
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他者に於いては日々起こり、こんなに当たり前なのに何故こんな事象があるのか誰にも分からず、さりとて誰も逃れられない「死」というもの。コロナでなくても人は死ぬ。生まれた限り人は死ぬのである。一度は真剣に考えておくのがいいだろう。死とは何か。それは「生とは何か」を考えることでもあろう。
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【対談】MORRIE×清春、“スタイリング=清春”の理由と映し出された“ロックのリアル”「人生が見える感じ」 barks.jp/news/?id=10001…
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皆さん、祝いの言葉をありがとう。自分が自分であるところのこの〈私〉には始まりも終わりもなく永遠なので、生まれた日というものはありませんが、この世の日付けを持つこの肉体に「宿った」のも何かの縁。それはそれで何か意味のあることでしょう。来れる人は後ほど鴬谷で Let's make our own world!
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ふむ、どうも魔界の住人とか言われているようで、実際そう見えないこともないのもまあわからないこともないが、自分は魔界というよりも真理の人ですかね。ただ、真理というものは往々にして魔に見えることがあると。
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夢は「見る」というよりも「経験する」と言った方がしっくりくるが、昔はよく見た殺される夢はとんと見なくなった。一方、昔から夢の中においてだけ、繰り返し現れて何度も訪れる街や建造物や草原やらがある。あれは何なんだろうか。しかし、夢の内容はともかく、夢という事象があること自体が不思議。
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日本も「緊急事態宣言」ですね。当座はまだ不透明な状況が続くだろうし、数多の人が踏ん張りどころであるが・・・何であろうと、自ら考え自ら判断し自らの行動を決定する力能。自由であるということ。それは幸福であるということでもありましょう。早く治まるといいのだが。みんなの無事を祈ってます。
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昨日は六本木で清春のツアーファイナルを。いつにもましてステージを去り難くしていた清春の様子が、今回のツアーの充実と満足を物語っていました。ファンと共にあるライヴ=彼の人生というような、何とも重層的濃密的な時間を自分も共にしていることが心地好かった。
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文は人なりというが、言葉はそれを使う魂そのものを現すので、恐ろしい事でもある。美しい魂、善き魂、卑劣な魂、嫉しげな魂・・・当然のこと、みんな言葉に現れる。大切に使って、自分の扱う言葉に育ててもらわないと、どんな魂になってしまうかわからない。「人生の目的は魂の世話をする事である」。
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蒼天うららかな春の日。ジムは閉まっているので、外を走ってみた。食料品店以外は閉まっている模様。スーパーの入り口では距離を取って人々が並んでいる。人出はさほど多くないだろうか、陽光に煌めく公園は平穏なのどかな休日といった様子。あちらこちらでマグノリアの木が春を壮麗に彩っていた。
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6月30日、80年代の初期4枚のアルバムがアナログ盤としてリリースされます。 twitter.com/deadendofficia…
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宇宙が存在する。存在が存在することが何なのかわからない。自分が存在する。この自分が自分であるところのこの〈これ〉が何だかわからない。時間が在る?この今ここのこの瞬間ともいえない瞬間が何かさっぱりわからない。生も死も何がどうなっているのかわからない。このわからなさを深くわかること。