オランダの学芸員の方に依頼していた、パレンバン降下作戦時に展開していたKNIL部隊の情報についての回答がありました。 この回答と各種資料の精査によって、日本側資料や出版物に記載されているABDACOM(連合軍)側の指揮官名や兵力等の殆どに誤りがある事が確実となりました。
挺進聯隊の訓練に於いて、なぜ銃剣術が重視されたのか。 それは、降着直後に近接戦闘が生起する可能性が極めて高いと言う他に、 『歩兵以外(工兵や砲兵等)の兵科が中隊人員に多数混ざっており、その者らはとにかく銃剣術が弱い。』 と言う編成上の特殊な事情がありました。
実際には、重傷の某将校と当番兵が鹵獲装甲車と車載機関銃をトーチカ代わりにして主要道路を封鎖し、撤退してくる敵に損害を与え続けたと言うものです。 これだけでも充分な逸話だと思うのですが、 当人ではない某挺進将校が投稿した脚色記事が広まってしまったのが原因の様です。
パレンバン降下作戦の逸話に『重傷の某挺進将校が鹵獲装甲車で敵車列に突っ込み大損害を与える』と言うものがあります。 私は以前からその信憑性に疑念を抱いていたのですが、日本側・英側資料の精査により創作である事が分かりました。続
初期の挺進団が作成した報告書には、 自動小銃の配備要望が繰り返し盛り込まれていました。 それから僅か1年の昭和18年時点で、 一線部隊に一〇〇式機関短銃が配備されたレスポンスを考えると、中央が如何に空中挺進部隊を重視していたかが分かります。
映画『ロスト・コマンド』 主人公率いるフランス軍第10パラシュート連隊とアルジェリア独立勢力との戦いを描いた映画です。 敵に救護ヘリと誤認させておいて、 背後にヘリボーンをかけると言う恐ろしく汚い戦法で勝利する超絶後味の悪いラストシーンは必見です。
アジア解放の象徴と喧伝されるパレンバン降下作戦ですが、挺進聯隊が主に戦ったパレンバン・ジャンビ管区司令部の第10大隊は将校を除く殆どの兵が現地人でした。 植民地軍に現地人部隊があるのは当然ですが、この事実は同作戦を安易な白人放逐論のシンボルとして語れない一つの難しさを示しています。
しかし怒られただけで終わらないのが古参下士官小川軍曹。 彼の当初の目的は、 精油所に設置された爆破装置の解除でしたが、技師が必死に止めるその姿からBPM精油所に爆破装置が無い又は爆破意図が無い事を看破します。 そして直ちに精油所防禦に方針を変え、奪還しようとした蘭印軍を撃退しました。
このエピソードは、 挺進第二聯隊第一中隊で編成された精油所急襲部隊BPM精油所急襲隊の小川弘軍曹の回想から引用しています。 ここでは怒られる小川軍曹ですが、 彼は作戦成功の立役者の一人で、精油所内の戦闘で八面六臂の活躍をしています。
パレンバン降下作戦で精油所を確保した某軍曹、一旦落ち着く為にタバコに火を着けようとして捕虜のオランダ人技師に滅茶苦茶怒られる。
ネグロス島バコロド地区に増援降下した高千穂降下部隊本村隊41名は、前進陣地展開中にM4中戦車4両と装甲車、歩兵約一個中隊が進撃してくるのを認めました。 慎重な本村大尉は陣前約100mまで引き付けると猛射を加え、これを潰走させます。 この時、部隊にあったのは軽迫1、重機1と小火器のみでした。
このAT機がなぜ脚を出して飛んでいるのかと言うと、機の速度を限界まで落とす為なんです。 輸送機の飛行速度が速すぎると降下部隊は広範囲に散らばり、部隊集結をより困難なものにしてしまいます。 その為、挺進飛行戦隊の空勤者には、編隊を保ちつつ超低速で飛行する高い技量が求められていました。
【補足】 勿論、要地要所の確保を目的としない、 敵の高等司令部・兵站線の破壊、将官や要人の殺害など防禦戦闘を余り必要としない空挺作戦も存在しますが、これは投入兵力が少数に留まる特殊作戦となるのでやや趣を異にします。 一般的に大規模空挺作戦には前述の様な空挺堡の構築は必須となります。
それはどう云う事か。 つまり、降下日から数刻又は数日の内に進攻してくる主力部隊と提携するまでは、敵の対空挺部隊の逆襲を弾き返す必要があるのです。 そうなると当然、堅固な陣地構築や空輸兵站を用いた武器弾薬等の補給が必要になります。 この降下部隊の立体陣地を『空挺堡』と呼びます。
『空挺』と聞くと、 勇壮に敵の只中に降下するその姿から、攻撃的性格の強い部隊と言う印象を抱く方も多いかと思います。 確かに空挺部隊は、 飛行場を始めとした要地要所の確保や敵の包囲、退路遮断など、攻勢作戦の一翼を担う事が多いのですが、一線での運用の真髄は『防禦戦闘』にあります。続
パレンバン降下作戦で、BPM精油所急襲隊の実質的な指揮を執った挺進第二聯隊第一中隊第一小隊長の徳永悦太郎中尉(当時)です。 徳永中尉は、南方出動前に日本石油横浜製油所に於いて、設備操法を始めとした精油所破壊阻止の為の特殊教育を受けていました。
精油所を巡る攻防は、 石油に引火するリスクから攻守共に火砲や手榴弾等の重火器を積極的に使う事ができません。 その為、西部劇の如き超至近距離の撃ち合いや時代劇さながらの白兵戦によって決着をつけざるを得ないと言う特異な戦場でした。
パレンバン降下作戦でNKPM精油所攻略を担った長谷部小隊の隊旗です。 長谷部少尉は激戦の中、頭部に敵弾を受け壮烈な戦死を遂げ、この隊旗も血に染まりました。 自衛隊の空挺レンジャー旗にも髑髏がデザインされていますが、長谷部少尉の決意を偲ぶと感慨深いものがありますね。
此の所、 パレンバン降下作戦をアジア解放の神話として聖戦美談にしようとする勢力がいますが、 まともな研究をしていればこの作戦にそんな要素が微塵も無い事は明白です。 あくまで攻略目標は、 『飛行場』『精油所』 それ以上でもそれ以下でもありません。 美辞麗句に惑わされない様ご注意下さい。
陸軍空中挺進部隊を示すこのマーク、 よく落下傘そのものを模したのだと解説されますが、それではやや説明不十分です。 正確には、 漢字の『傘』の簡易字体である『仐』に、落下傘の傘体の丸みを当ててデザイン化したものになります。
空挺先進国であった日米両軍は、 互いにその実態を真剣に調査していました。 両者を比較すると、 編制、運用、作戦可能規模は米軍 降下練度、戦術、装備は日本軍 が優れていたと言えそうです。
パレンバン降下作戦で戦死した挺進兵の類型別死因は、 頭部     17 肩胛・胸部   7 腹部     10 頸部      2 航空事故    2 その他     1 となっています。
みんなの力で挺進兵をもっと有名にしてくれええええええ!!!! もっともっとみんなに知って欲しいんだああああああ!!!!!! twitter.com/Ran_Paratroope…
本日はパレンバン降下作戦の日です。 この作戦は、蘭印随一のパレンバン飛行場を主たる攻略目標、年産約400万トン強を誇るBPM・NKPM精油所を従たる攻略目標とした空中挺進作戦です。 作戦担当部隊は『第一挺進団挺進第二聯隊』と言う創設したばかりの陸軍落下傘部隊で、兵力は約360名程でした。続
考えてみれば、 本国でも植民地でも降下作戦をされたオランダは不憫だな。 何なら味方の連合軍も降下してるし。 降下場じゃないんだぞ、オランダは。