やっぱフォロワーだけのタイムラインは必須で、お互いの為にもリストで棲み分けって大事だなって。インスタ系の馴れ馴れしい「みんなー」とかの呼びかけ絡みとかTLに出てくると「誰だよテメーは」ってなるし、偉人の名言だの自作ポエムが流れてくる空間は切ないを超えて泣けてくる
ニコ生でもたまに報告されたりするが、稀に他人様の夢に出てくる顔らしく、お詫びをすればいいのか印象深かったのだなと喜べばいいのか分からず態度を決めかねている。
スレッズで見かける自撮り写真あげて「みんななにしてる?」とか語りかけ系や反応待ちリアクション芸人崩れとか見ると「あれはどこの文化圏のお作法なんだろう」と鳥肌立てながらミュートして行く作業が結構面白くなってきた
Twitterが行う無料ユーザーを制限するやり方は、宣伝する場を提供する自分たちの首を絞めている →せやな TwitterBlueの人間は宣伝したくて課金してるのにこのままではー →いや、普通に10年以上遊ばしてもうてる砂場に「ありがとさん頑張ってな」で投げ銭するような層も居るんやで?というのはある。
地方はなんだかんだ言っても田舎であるが故にマスク解除の流れには乗らないだろうが大都市圏は阿鼻叫喚になるんだろうな⋯。個人的には風邪やインフル知らずだった3年間の実績+喉の保護・髭剃り忘れの隠蔽・口臭対策&防御・顔を隠すのに抵抗が無いなど、便利過ぎてマスクは外す気はビタイチないけども
もし後期密教とかが普通に入っていたら、みんな真面目な顔で脈輪(チャクラ)気息(プラーナ)とか論じていたのかと思うと、漫画や伝奇ジャンルもまた違った味わいになっていただろうなと(そこじゃない)
イスラム過激派がまともにコーラン読んでない問題と同じように、カルトへの傾倒は「ちまちまと既存の宗教の経典や哲学書や歴史や論文を読む」なんて事をせずに「それらは間違いだったのです!」って出来るから、まぁ気持ちは良いんだろうなと。(要・真っ当なツッコミに耐えられるメンタル)
自分が持ってる考えやこだわりというのは、掘り下げていけば行くほど「借り物」の集積であり、執着の度合いでついた好悪のムラを個性と言うも、本質は無くただ因と縁に依て生起する空性の上に仮説されたモノであるってミヤモトマサシも言っている!おおブッダエイメン!>RT
このスカジャン着てる時だけ、やたら年配のご婦人にウケがよく柄を褒められたり見ず知らずの人に話しかけられたりする。他のスカジャンでは余りないので何かあるんだろうかと不思議に思う。やはり観音さんの功徳であろうか。
#自分のアカ名の由来を語る見た人も絶対やる ニコ動初期は自分で名乗るんじゃなくてコメントで命名されるのを良しとする文化があったのよ nicovideo.jp/watch/sm5335851
ヴィクトリア朝の紐宿よりはプライバシーがある >RT
レガリア受け渡し、そりゃ手も震えるわな…
銀行の帰りにコメダのアレを思い出して寄ってみる。馬鹿の考えたご馳走感たるや!
まぁ防具によるセーフ!命を救われたぜ”!という成功体験が人よりちょっぴり多めなのでバイアスはかかっているが、足一つ捻っただけで日常生活送るのが困難になってるんだから、骨だのコロナだの「やられた時の高熱・吐き気・肋骨をやる咳」だのは想像するだけでゾッとするので防御は大事
珍しく寺の駐車場の方からキャッコラした中学生の話し声が聞こえてきて、見てみると自転車を止めて井戸端会議をやっており「道端でただ話すだけでも楽しい年頃か」と眩しく思いつつも出かけねばならず駐車場に向かったら、こちらを目視するや一目散で逃げていった⋯⋯分からんでもないがそこまででも⋯
テキストサイトの頃はどれだけPVあっても一銭にもならず、マネタイズの話にはならなかったがオフ会持ち帰り・有名管理人狙いの取り巻きなど揉め事には事欠かなかった。ましてPVが金になる昨今をおいておやという感じでより複雑化してるから、エラいこっちゃであり人死にが出ても驚かんレベルになってる
統一地方選、知事は飛び抜けて変わった政策を謳うでもないので、応援に来た国会議員の顔ぶれをみて決めるという荀子方式「其の子を知らざれば、其の友を視よ」というのも、ときメモを彷彿とさせる投票方法だが……冷静に考えると胸が痛むな。
就任時に「使い切る事なんてないだろう」と思っていた抹香が切れそうになって驚いてる。香炉で焼香の下に敷く燃える部分が抹香であり、大型の常香盤などは時間を測る役割もあった。
スレッズは自撮り女子(インスタ系)・自撮りオッサン(FB系)・驚き屋(自撮り女子系亜種・自己啓発)・ネットビジネス・ハフポスなどを執拗にホームに流れないようにミュートする虱潰し。TL構築で見る事のないアレな何かを見て理解する事が出来るので面白くはあるが疲れる、驚き屋ってなんだよからの理解が… twitter.com/i/web/status/1…
眼鏡穏健派「伊達でも眼鏡をかけるのはエラい!」 眼鏡過激派「コンタクトレンズ工場を爆破するなどの聖戦に殉じれば死後12人の眼鏡っ娘に囲まれるハレムに至る」
AIが進んでくると専門性の高い分野に於いて物理書籍で情報を保持しておくことが今まで以上に重要になるだろうな…ネットに転がってる間違った専門の切れ端にもならない部分を「wikiで調べたからこれが真実!」って強弁してくるのに、その論法をAIがやるのか…今でもまともな情報の担保が物理だってのに
景気が悪いとスーパーお気持ち大戦みたいなのばっかになるなと思いながらで30年⋯⋯そろそろ人死にが出るレベルまで極まってきた感があるから、景気が上向いてくれんものか
高校一年生の頃、出家前にあれこれ本を読んで「宗教にせよ哲学にせよ教祖や提唱者は死んでいるに限る」と思っていたのは、どれだけ偉大であろうが存命であれば瑕疵を見てしまうし、生きてる人間にあれこれ指図されるのには我慢がならん。という反抗期故とは言え、中々良い選択ではあったなと思う。
兎の角→無いものを表す古典表現 旋火輪→残像だけで実態がない 乾闥婆城→蜃気楼 小鳥が遊ぶ→天敵が存在しない 月見里→山がないから月が見える 千早→無いものは揺れず 不生亦不滅 不常亦不断 不一亦不異 不来亦不去 能説是因縁 善滅諸戯論 我稽首礼仏 諸説中第一
対して極楽浄土図はパッと見的にビジュアルが「逝きてー!」と言うインパクトに欠けるきらいがある。