小野ほりでい(@onoholiday)さんの人気ツイート(古い順)

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色んな犬
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「生きてればそれでいい」みたいな哲学を語れる人が本当にギリギリ生きてるだけの生活してるのは見たことがない(マジで生きてるだけの状態は人権が破綻してるから)
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「からかう」を教育されることでやばいの、子どもは親に対して「こいつはやばいぞ」と判断できず「これは愛情表現の一環だ」と盲信するので、必然的に愛情表現として他人に失礼なことを言う癖がついてしまい、引かれたり嫌われても「この人なんで怒ってるんだ?」と認知の絶壁に閉ざされることだと思う
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ここになんとなく「多少否定されて育ったほうがなに、免疫がつくぜ」みたいな育児根性論を感じなくもないけど、そっちの免疫力というのは否定されずに育った人のほうがはるかに高いと経験的に感じるよ。
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「お気持ち揶揄」や「”弱者利権”批判」といった文化を「加害性の否認」ではなく「弱者性の否認」から捉え直し、何が弱者を「特権的」に見せるのかを考察する記事を書きました。少しの間無料にしています。 ”弱者”がなぜ”羨望”されるのか?ー「傷ついた」と言えない人たち note.com/onoholiday/n/n…
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「老いると傷ついたり精神的苦痛を感じる脳機能自体が劣化して生きることそのものは楽になる」というの、経験的にもそう感じるし老いることに付随する例外的にポジティブな要素だけど、同時に若者や子ども目線から感じる苦痛の訴えを「あーはいはい、あるねそれ」と真剣に取り合わない傾向の完璧な説明
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になってて怖え〜と感じる
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「世の中には可視化されている弱者とされていない弱者がいて前者が優先的に配慮されている」という現実があるとしてそこから「では可視化を進めましょう」ではなく「嫌がらせして弱者への配慮全体を停止しましょう」となるの、よく訓練された奴隷の発想で笑う
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「子どもを発生させることは善行ではない」という記事を書きました。「産み育てることを通じて生命の価値を知ることができる」という出生奨励主義的な文脈では生命は「呪い」を通じてしか連鎖しないのではないか、という問いかけです。 トートロジー型出生賛美主義批判 note.com/onoholiday/n/n…
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どだい、風俗産業が不十分なセーフティネットを補うクッションとして社会によって消極的に利用されていることは明白なのに、その依存に報いるどころか差別するというのはおぞましく感じます
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「人は誰でも幸せになれる」と言い聞かされて育ち、「肯定」だけで世界を表現しようとする人間がいちばん厄介だという主旨の文章を書きました。少しの間無料公開してます。* 最も残酷なのは、「誰でも幸せになれる世界」に住む人々 note.com/onoholiday/n/n…
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早いうちから「子供が好きです」と言う人の「子供」、つまり素直で、感情表現豊かで、遠慮なく、大人に対して不信を抱かない子供…の定義から外れる子供がいる
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ふつう、責任感があったら人生相談なんて受けないし、「しりません」ほど誠意ある対応ないと思うんだけど、一般的にはそういう人より無責任に後押しする人のほうが「責任感がある」ということになってるんでしょうね
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この数年でわかったこと、人権は健康に似ている(侵害されてから重要さに気付くけど、その時にはもう遅い)
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ポリティカルなメッセージ性を含まない文化はそうである文化に比べて権力に弾圧を受けにくいから得なのかと思いきや、スポーツにしろ音楽にしろ、ノンポリティカルが仇になって政治利用され、火だるまのイデオロギーに抱きつかれて仲間扱いされる場合もあるということがここ数年で学んだこと
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「男対女」のような不毛な論争を例に、仮想敵の選択によって「集団のイメージ」が勝手に極性化していき、「集団それ自体が極性化する」という以前の見方が疑わしくなるという記事を書きました。読んでね <男対女>はなぜ終わらないか? 「逆エコーチェンバー」現象の仕組み note.com/onoholiday/n/n…
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これ何回も言ってるけど、「怒らない人は実は冷たい人」みたいな感情をコントロールできる人を下げることでそうでない人が溜飲を下げることができる言説って需要があるから何度滅しても不死鳥のように蘇ってくるんですよね
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ドラゴンクエスト11は「勇者のせいで魔王が生まれる」という風説が流布されていて追いかけ回されるとこから始まるんだけど、これってメタ的に見ると「勇者になって魔王を倒したい」というプレイヤーの願望のせいで魔王にめちゃくちゃにされてる世界が生産され続けてるので深い意味では正しいですね
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わけのわからないことで怒ってたり、現実を乖離するほど何かを神格化しているみたいな状態って、大なり小なりその人の精神状態をギリギリで支えてるふしがあるから安易につつかないほうが良いというのを最近学びました
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子供の頃、大人の自己満足と規律訓練のために運動会の団体演技を炎天下で練習させられて、うざすぎる、どうしてこんなことを、と恨めしく思ってたのに、いざ終わってその束縛から解放されてみると記憶の書き換えが起こって最初から全部いい思い出だったみたいになるのを何度か繰り返してたけど、
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オタク(趣味)の性質が、昔は「集団・主流の雰囲気に馴染まない人が個人的に没頭する何か」みたいなイメージだったけど、最近は「同じことについてみんなと一緒に盛り上がるスキル」を要求するものにシフトしてるように感じることがある。この変化でオタクになった人と逆に疎外された人もいるのでは?
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陰謀論にはまったり妄想と現実の区別がつかなくなっている人に対してあたかも「自分は絶対そっち側に行かない無関係の人間」であるかのように揶揄してる人をよく見るけど、人が陰謀論にはまってしまったときに「もしや」と考える余地をなくすのがまさにその自信なんではないかと思う
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「誰も思想を表明しない」という、独裁者が完全に統制してるコミュニティみたいな状態を「イデオロギーの偏りのない状態」だと思っていて、その延長で「みんなが動物の画像を貼ったりオタクコンテンツの話しかしない粋なSNS」を求めている人というのがけっこういると思う
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で、そういう人は人に対しては「政治思想を表明するな」というように思想全般に対するブレーキをかけるんだけど、何のことはない、この人にとっての思想というのは単に「自分と違う思想」のことであって、自分が既に内在化している無色透明の思想は「世界の常識、自然の摂理」のような扱いになっていて
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その差から「誰も思想を表明するな」と言いながら自分のイデオロギーはガチガチに死守するという芸当が可能になるんだなというのが、けっこう前に「無思想はなぜヤバいのか」みたいな文章を書いていた頃に考えてたことだった(note.com/onoholiday/n/n…