こうしてなんとか無事に入稿できました。 まあ、早朝だったので担当さんに電話するのも憚られたけど、相談すればもう少し〆切を融通してくれたかも…? 徹夜明けの眠い頭で必死に考えた方法は最適解じゃなかったかもしれないけど、後日担当さんは飛行機の代金を経費で落としてくれました。
何てことだ、原稿は出来ているのに、それを入稿する手段がない! 今なら一瞬でデジタル入稿できますが、20年前の当時はまだ紙に描いて現物を送る時代でした。 荷物として預けておけば数日後には届くだろうけど、それでは〆切に間に合わない…
頭が真っ白になりました。 貨物便の再開はいつになるかわからないとのこと。本来なら代わりに陸路で運ぶ手もありましたが(一日くらいは遅れるけど)、その日はたまたま本州から北海道に向かって台風が北上中で、陸路の貨物便もいつ届くかわからない状況でした。
いつものように流していたラジオからニュース速報が入り、アメリカの国防省が攻撃が受けたと聴いて耳を疑いました。テレビを点けると映画でよく見るペンタゴンから煙が上がっていました。その後ニューヨークで起きたさらに衝撃的な事件もテレビで横目で見ながらペンを動かし続けていました。
翌朝、完成した漫画原稿を抱えて僕は近所の運送業者の事務所へ行きました。僕は当時札幌に住んでいて、その日の朝イチの航空便で東京の出版社に原稿を発送するのが〆切のデッドラインでした。ところが事務所の受付で言われたことには、昨夜のテロの影響で航空貨物便は当面停止されるとのことでした…
「これは大変なことになったな…」と思いつつも、どこか現実離れした事のようにも感じ、ましてそれがまもなく自分の身に危機を招くことになろうとはまったく予想できませんでした。
20年前の9.11テロで日本の名もなき漫画家がピンチに陥った話をします。 当時僕は駆け出しの漫画家で、講談社の「アフタヌーン」という雑誌で連載をしていました。その日は〆切直前で、アシスタントさんと2人で徹夜の原稿作業をしていました。
BLを規制する中国政府も女性にブルカを被せるタリバンも夫婦別姓を認めない日本の保守層も根っこでつながっているんだよな。「男は男らしく、女は女らしくあるべき」っていうところで。 人間にはいろんな可能性があるし、できる限り多様な生き方を選択できる社会の方がずっといい。
ファンタジー小説において、馬車で移動する時、どれくらいの時間と距離なら妥当なのか? 実際に簡単に把握する方法をまとめ - Togetter togetter.com/li/1768803 @togetter_jpより
…以上、ソースは『本当にあった 奇跡のサバイバル60』 amzn.to/38qjozW です。 英語のWikipediaにも記事がありました。 en.wikipedia.org/wiki/1842_retr… こんな悲劇が繰り返されないことを祈ります…
13日の午後、イギリス軍が駐屯するジャララバードに生きて辿り着いたのはブランドンという名の将校ただ一人で、膝と左手と頭に重傷を負っていた。 2日後にさらにもう一人の商人が辿り着いたが翌日に死亡。 また50人が捕虜になって、のちに釈放された。
13日の朝には将校と兵士合わせて65人が残るのみとなり、ガンダマクでアフガニスタン兵に包囲されて最後の抵抗を試みた。馬に乗った6人の将校だけがかろうじて包囲を突破したが、ジャララバードの目前でまた襲撃を受け、5人が死亡した。
5日後の1月11日、一行を率いる英国の少将エルフィンストーンは自ら人質になって安全を賄おうと試みたがその甲斐はなく、翌日はジャグダラクの峠を封鎖されて分断された後衛部隊が壊滅した。
安全に退去できるという約束を信じて大砲は置いていったが、カブールの城門を出るなり銃撃が浴びせられた。一日目は8キロしか進めず、夜のうちに寒さで数百人が死んだ。 ホルドカブール峠では両側の高地からの攻撃に晒されながら進み、3000人が死亡。夜には寒さでさらに死者が出た。
11月には英国公邸が暴徒に襲撃され、12月23日アフガニスタン側との交渉に出向いた特使と将校は殺されて、その死体はカブール市内を引き回された。イギリス側の兵士・民間人16500人は、明けて1842年1月6日カブールを脱出。雪が降り続く中、140キロ先のジャララバードを目指す死の行軍が始まった。
1839年、イギリス東インド会社の軍はカブールを制圧し、傀儡政権を打ち立てた。英国人将校率いるインド人兵士4500人と、その家族ら民間人12000人がカブールに駐屯した。しかし彼らはその後現地勢力の本格的な反撃を受け、1841年には危機的状況に陥った。
今アフガニスタンのカブール脱出を巡る混乱が連日報道されていますが、第一次アフガン戦争(1838~42年)の時に起きたイギリス軍兵士および民間人のカブール脱出のエピソードを紹介してみます。
この指摘はいろいろ興味深いですね~ ぼくはなぜよく知りもしない中世チェコの漫画なんぞ描いたんだろう?😅 実際にチェコの人に会ったりすると恐縮しまくってしまうんだけど「大丈夫、チェコ人もチェコの歴史よく知らないからw」って言ってくれたりします☺️ twitter.com/sow_LIBRA11/st…
トルコ風パターン素材集 by 大西巷一 assets.clip-studio.com/ja-jp/detail?i… #clipstudio 自作したオスマン・トルコ風柄トーンの素材をアップしました😊
今大混乱中のアフガニスタンの首都、報道では「カブール」と表記されるけど「カブル」や「カーブル」の方が発音に近いらしく、歴史関係の本では「カーブル」が多いようなので僕の漫画の中でも「カーブル」と表記しました。
チェコは長い間カトリック万歳のハプスブルク家の統治下にあって、フス派の存在は異端として闇に葬られてきた。それが第1次大戦後に独立すると、ドイツ人の支配に抵抗したチェコ民族の戦いとして注目され、第2次大戦後に社会主義化すると、富裕層に対する無産階級の闘争としての側面が強調された。
「フス派の歴史」の歴史は、宗教問題→民族対立→階級闘争と、歴史観が政治体制によって大きく影響された好例ではないかと。
ジャンヌ・ダルクがフランス中で有名になったのはナポレオンの時代だし、フスやジシュカがチェコで称揚されるようになったのは20世紀初めの民族自決の時代からだし、ナショナリズムが歴史を掘り返して英雄を見つけてくるのはあるあるですな~
『乙女戦争』作者のこだわりポイント②【甲冑】 作中では有名無名たくさんの騎士が登場します。基本的に甲冑は一人一人違うもので、ある程度パターンはあるけど頑張って描き分けました! 昔から西洋の甲冑が好きだったので楽しかったです♪ #乙女戦争シリーズ完結祭
森田先生が語っているように、「とりあえず連載始めてみて単行本売れなくなったら打ち切り」という鳥人間が飛距離を競うような漫画業界のスタイルは特に歴史物や原作付作品とは相性悪いんですよね… そうした伝統的スタイルと最前線で戦ってきた森田さんの言葉には説得力半端ないです。 twitter.com/TAK_MORITA/sta…