コロナで収入が3割以上減ったら、国民健康保険料が全額免除(所得金額が300万円以下なら)。あまり知られてないが。書類送ればいいようだ。 |コロナで収入が減ったら忘れずに行うべき国民健康保険料の減免申請 diamond.jp/articles/-/234…
持続化給付金を100万円貰ったので、ブログにその話を書いた。この給付金、あまりにも簡単なので、条件に合う人には絶対におすすめしたい。正直言って、これ大丈夫なのかなと思うほど。給付申請のしかたまで書いて、普及活動をしている。どう使うかが問題だが。 tsurumitext.seesaa.net/article/475656…
60年代?に関西にあった巨大スラムの記録映像、あまりに強烈。どんな映画よりも人生とか人間とか考えさせられる。とてもよく撮れている。 kagakueizo.org/pre/movie.html…
映像は大したことないが、この西表炭坑の歴史も地獄で信じがたい。逃走すると折檻されて、死んだら適当に埋められたそうで。この炭坑跡は行ってみた。 kagakueizo.org/movie/industri…
これは日本でもできるんじゃないか? |ソウル市の小中高 今年から全学年で給食無償化 jp.yna.co.kr/view/AJP202102…
その後の人生に比べて、10代ってハードすぎて異様(地獄になる確率が高い)。10代を一生引きずる人が多すぎる。これは人間の10代はいつでもどこでもそうなのではなくて、単に日本の学校のせいなのではないかな。
「なんかムカつく」から「攻撃する」という人、クラスにも職場にも高確率でいるが、あれらの人がそれをやめるだけで、世の中の幸福度がどれだけ上がることか。地域社会にもネット上にもいる。やられた側がどんな気持ちか、死ぬまでにはぜひ知ってもらいたい。
「なんかムカつくから攻撃する」人が近くにいると、周囲の人も怖いので緊張している。ムカつかれないよう媚びたり、攻撃されないよう虚勢を張ったり、必要以上に徒党を組んだりするようになる。それだけでも十分嫌なものだ。
「学校は楽しい」とかいう言いかたに、ものすごい違和感があるのだが。もともと人が楽しむためにできた施設ではないので、全体として楽しいわけがない。あんな長時間、黙って座らされて。「一部に楽しい面がある」だけだろう。「人生は楽しい」にも、まったく同じものを感じる。
夜、布団のなかでどうしても嫌なことを考えてしまう時の有力な対処法は、脳の「考える部分」以外の部分を使うこと。例えば手足の先の感覚を感じたり。匂いを感じるのもそのひとつ。そうやって暴走している「考える部分」の比重を下げる。こういう方法、まだまだあるが、本当に大事だな。
集まって飲んで話したり、ライヴに行ったり、そんなことが単に不要不急のもの、規制しやすいものみたいな扱いになってしまったが。そういう楽しみこそ(それだけにかぎらないが)、むしろ生きる目的なんだと、長く生きることより大事なのはそれだと、これから認識を変えていかねば。
90年代サブカルが悪い、クソだなどと言うなら、それの何が悪いのかハッキリ示さなくては、単なる誹謗中傷だ。もし今の差別主義を作ったなどと言うなら、因果関係もはっきり示せなくては。いじめ、加害的という文脈なら、80年代のたけしやタモリのラジオのほうがよほど加害的だった。
80年代のマル金マルビだ、ネクラだといった嘲笑文化は全社会的で、本当に加害的だった。00年代のネット・掲示板なんかの中傷書き込み文化も本当に加害的。90年代のサブカルチャーにもそういう部分はあった。けれどもその前後ほど加害的だったか? そこにばかり批判が行くのは歪みを感じる。
『完全自殺マニュアル』がベストセラーになっていた2年間に、日本の自殺者数は減っている(前年までは増加中だった)。「いざとなったら死ぬ手もあると思って楽に生きていこう」と主張した本だった。 このことは、ことあるごとに自分から言わなければいけないようだ(そういう柄じゃないのに)。
本当に自殺したいと思っている当事者が書いた、自殺についての本なんて、空前のことだったので。ネットのなかった当時、そんな主張に触れること自体がまず無理だった。そういう「溜飲をさげる」効果もあったのだろうと、今からは思う。そういうものとして読んでいただければ。
いじめが嫌なのは自分も同じ(パワハラ被害者)。けれども小山田叩きの「ついでに」、小沢も、渋谷系も、サブカルもふざけんな、「昔から嫌いだったんだ」、それにまた、いいねいいね+賛同コメント、って。それは、いじめと同じ情動なのではないか。自分のなかにもある問題として考えるのは大事。
「感染者が約半年ぶりに1人確認されたとして、全国で感染警戒レベルを最上位の「4」に引き上げ」 「外出を禁止し、必需品を扱うスーパーや薬局以外の店舗を閉鎖」 学校と会社も閉鎖。すごい。半年ぶりに1人もすごい。   cnn.co.jp/world/35175336…
「昭和は多様性社会だった」と最近よく聞くが、全然違うだろう。ちょっと違う同級生なんか、いじめまくってたはずで。服が汚い、容姿が変だ、運動ができないとかいって。今のほうがはるかにマシ。その手の問題は少しずつ改善してきたのだから、過去のある時期に突然ユートピアがあるわけない。
また「死刑になりたかったから」とその動機を語る殺人(未遂)犯が出てしまった。死にたくなった人はこう考えるのか、などと決して思わないでほしい。死刑になりたかったからやった、という言葉自体が、本心なのか疑ってかかるべきだ。死にたい人は、わざわざ大量殺人なんて大変な計画を立てない。
「死にたい」と思った人が、「自分では勇気がなくて死ねない。そうだ死刑になろう」と考え、「そのために大量殺人を犯そう。それならできる」と、綿密に準備をして大胆に実行する。そんな人はいても稀だろう、という感覚は大事にしたい。死にたいと殺したいは通常、別ものだ。
生きてる気もしないような仕事に耐えるか、国から金をもらって何もしないかの二択しかないって、何かおかしい。やってて生きがいを感じる仕事、有給の活動を与える支援だってするべきだ。本当に欲しいのはそれという人、多いんじゃないか。
冬にうつになるのは、日光を浴びないからセロトニンが不足するせいなので、日光を浴びるのがいいらしい。過眠になるとか。 しかしこれ、よくできた自然の摂理という気もするな。冬場は生き物は休んどけという。 chugoku-np.co.jp/living/article…
動物は冬場は死んだり冬眠したり、活発でなくなる。植物も枯れたり成長が遅くなったり。菌類でさえまったく勢いがなくなる。ただ人間だけが季節を知らないかのように、まったく同じ量の活動しなければいけないと思い込んでいる。
他の人に比べて、ことさら低い評価を自分につけたり、眠れない夜に、失敗したことばかり思い出したりっていうのも、自分に対する虐待だな。この虐待には1年でも早く気づくべき。誰も止めてくれないんで。
学校では、心の落ち着け方とか、怒りはどうすればいいかとか、心の教育ってなぜやらないんだろう。これほど大事なことって、そんなにないよ。体育とか体の教育はさんざんやってるのに。子どもは心を病んだりしないというおかしな思い込みの悪影響だと思う。