物事を見つめる時、どういう構造なのかという客観的な事実の把握よりも、自尊心・嫉妬・恐怖・優越感などの感情のフィルターを優先して見てしまったらそこで負け。他人に都合の良いように操られて終わり。一度立ち止まって、自分の判断がどれほど感情に振り回されているかを考える時間が必要。
人は小さなプライドを守るために膨大なチャンスを逃してしまうことが多い。自分が本当は何を失うのを恐れているのかは、実はかなり意識してないと分からないもの。
知識と経験が違いすぎると議論は無理だなってことが証明されてる…。課題意識は誰もが共感するのに、感情に偏った表面的な認識と、そこからひねり出される誤った解決策で自壊していく現象はとても難しい問題だといつも思う。 gxyt4.app.goo.gl/zW61y #田端藤田の生討論
感情と論理を切り分けて考えるトレーニングとか需要が高まりそう。二つを混ぜて議論するのは、青と緑を同じ色として絵を描くことに似てる。分けて考えれるだけで世の中の色々な問題が解決する気がする。
成功の半分以上が運に依存する世界で、心の底から金持ちを称賛するのはハードルが高い(ラッキーなだけだろ?ってなるから)。成功しても天狗になって調子こかないように、世の中に還元すべきと生まれた時から人々をしつけてる「宗教」ってすごいソリューションだな。社会の分裂を防ぐ接着剤の役割。
他人の痛みに感情的に寄り添うことができ、なおかつ構造的な欠陥を解決できる能力を合わせ持ってる人が優れたリーダーなんだろうな。前者だけだと的外れな打ち手が事態をさらに悪化させるし、後者だけだと納得できない人達の感情的な鬱屈が解消されない。
箕輪さんが他の編集者と明らかに違ったのは、瑣末な構成やら表現の修正に時間を使わずに、どうやったら多くの読者に届けれるかに集中してた点。編集者が読みたいものと、今の読者が読みたいものがズレてることを理解してた。世の中が変わってるのに、編集がやり方を変えていないことに疑問を持ってた。
現代で「お金」ほど実態が知られていなくて広く崇められている宗教はないよね。人は得体の知れないものを信奉したり恐怖したりするが、原理がわかると道具として使い始める。火や電気など典型。/ 堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」 gendai.ismedia.jp/articles/-/582…
1〜2%しか行動したり試したりしない理由って、失敗した時にプライドが傷つけられて恥をかいて孤立したくないという恐怖が、探究心や好奇心や必要性を上回ってるからなんだろうな。群れから孤立して餓死する恐怖が動物の生存本能にこびりついてる気がする。
無駄なことを一切しない製品やコンテンツはヒットしないって話を聞いて納得。コスパを考えすぎると打ち手が狭まるし、皆やってる無難な手に落ち着く。無駄にみえることすると良い偶然を味方につけることが出来て、結果的に本人が想定していないほど遠くまで広まる。合理性の外まで味方にできるか次第。
他人から評価されても自分のやってることを自分でクソだと感じる場合はあるし、周りからはクソだと思われても自分では誇りに感じていることもあるはず。他人の評価と自分の自分に対する評価は必ずしも一致しない。ただ、後者のほうがやる意義はある。そして評価よりも意義のほうが取り戻すのが難しい。
嫌いな人の話を聞くときは内容を否定する理由を無意識に探してしまう心理が働くので、敢えて肯定できる点を探すようにしてる。特に自分は好きではないが、大きな成果を出している場合は、自分が足りないものを持ってる人である場合が多い。昔から遠くの土地から得られる資源のほうが希少価値が高い。
理論上はできるけど技術が追いつかなくて出来なかったことがドンドン実現してきてる。そのうち万人が無料で3次元の仮想世界を作れるようになるだろうな、今のWebサイトのように。/ NVIDIA、AIで仮想世界のすべてを自動生成する手法 - PC Watch pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1156…
フォーカスの力ってすごい。あれこれ色々なこと考えると何も進まないけど、ひとつのことだけに思考を集中して、他のことを忘れると、どんどん深掘りできて点が線になってく。忙しい時ほど「忘却力」を身につけると突破口が見つかる。
繋がりすぎた世界では情報の非対称性を利用して差益を得るのが難しくなる一方で、情報を流通させるコストを劇的に下がった。最近力をつけた組織や人物は、価値ある情報や仕組みを独占せずに敢えて積極的に開放することで急速かつ広範囲にネットワークを形成し、その胴元としての利益を享受した人たち。
過去の稼ぎ方と未来の稼ぎ方は本当に真逆だ。価値ある情報を見つけたら片方は「隠せ」と言って、もう片方は「バラまけ」と言う。ルールが違いすぎて会話が難しく、前提が違いすぎて会議で合意形成もできない。どっちも間違ってはいないが、どちらのゲームをしているのかは事前に把握したい。
人が大きく変われないのは、過去と現在のストーリーの連続性を無意識に求めてしまう(もしくは周りに求められてしまう)からなんだろうな。先に外部環境をガラッと変えると、中身を変えるのはそれほど難しくなくなる。
あらゆるものが代替可能になり、情報の格差が消えつつあるので、ネットワークとブランド以外に価値がなくなってしまった。
自分の価値がゼロだと感じるなら派手に勝負すればいい、失うものは何も無いのだから無敵。今の「そこそこの自分」も守りながら、抜きん出た「何者か」になりたいと望むのは都合が良すぎるといつも考えてる。/ 「何者か」になれると思っていた。35歳女性が考える「29歳問題」 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181226-…
個人的にはSNSによるソーシャル性とAIによる自動化が限界まで進むことによって「ネットワーク効果」と「ブランド」の価値が、マーケティング戦略や製品戦略で見直される年になると思う。この二つがなくても今まではどうにかなったけど、繋がりすぎて自動化されすぎた世界ではこの二つの重みが変わる。
『時代によっては知識が重要なこともあったし、人脈が重要なこともあった。そしてここ5年ぐらいは、インフルエンス(個人としての評価、信用)が重要な時代だったと振り返ることができる。しかし今、評価でも信用でもなく、価値そのものが重要な時代に突入している。』 toricago.hatenablog.com/entry/2019/01/…
学歴やフォロワー数などの小手先のテクニックが通用しなくなってきて、人々がただ価値を感じるかだけが重要になってきた。これまでは社会制度や商慣習やプラットフォームがハックされてきたけど、これからは人間の感性そのものがハックの対象。人間の普遍的で不変的な本質に詳しい人が有利な時代。
経済やテクノロジーを深く知り使いこなす人は実用的な価値を、アーティストなどの感情を揺さぶる人は内面的な価値を、貧困や差別など世界全体の問題に取り組む人は社会的な価値を提供して大きな力をつけていく。それ以外の単純作業は徐々にシステムに代替され価値を失っていく。
結局、今もっているアイデンティティ(自分ってこういう人間だよねっていう認識)が崩壊するぐらい深く踏み込んで勝負しない限りは次のステージには行けないんだよな、刀は腰が引けてると切れないのと同じで。中途半端にやるのはやらないよりも害悪が大きい。
人の精神は無意識に過去の自分との整合性を求めてバランスを取ろうとしてしまう。客観的には過剰でも何でも無いけど、過去の自分と比べて「相対的に」行き過ぎてると判断すると恐怖から足を踏み出すのを躊躇してしまう。この無意味な連続性を断ち切らない限りは何者にもなれず鮮やかな成果も出ない。