(陰で悪口言われてるよ?って言ってくる子がいたら何て返す?という話になって) 次女「『あらそう?』ね」 私「『あらそう?』!」 次女「うん、他に言うことなくない?」 私「すごいね」 次女「だって、私の事好きなお友達他にいるし、あらそう?って感じ」 長女「そうねえ、言われたところでねえ」
そういうラリーをしながら、知識って深まったり広がったり繋がったりするやん。いきなりスマッシュ打ってくる人が出てくると、話をするハードルが上がってしまう。
ほとんどの人は政治に関しては素人なんだから、「こう思います」「ここは、実際こうらしいですよ」「あ、そうなんですね」「いや、私もそこまで詳しいわけじゃないですが、このサイトに書いてありまして」って、丁寧なラリーしたいんだよね。 最近読んだ本の会話とかするのと同じトーンで。
とっくにスリーアウトチェンジの所を、ずっと「セーフセーフ!今のセーフ!」と何事もなかったかのようにしてくれていた審判が定年退職しそうなんだろうな… 私の子どもの頃は、何かあったら一発退陣で、もう少し政治に越えてはいけないラインがあったような気がするよ。
「市民が政治の事を話すのはマナー違反」のような風潮がここまでの事態を引き起こして来たんだと思う。 政治は生活の一部で、子どもたちの未来だ。
機会があれば目を通しておいた方がよさそう。憲法改正草案 個人的には、第10章第97条「(略)…基本的人権は …(略)…現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである 」が削除されているのが気になったけどどうなんだろう。 …in.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/polic…
子ども達が寝るときに、夫が長女に「今日も1日素晴らしかった。おやすみなさい」、次女に「あなたがいると、家の中がパッと明るくなるよ、おやすみなさい」、末っ子に「毎日とてもかわいいよ、おやすみなさい」って挨拶してて、その流れで私にも「薔薇のような笑顔を」とか云々言ってもええんやで。
今、業務いっぱい抱え込んでいて「お母さんは、すぐに誰かに認められたいとか褒められたいとか思っちゃうんだよな。それだと人生しんどくなっちゃうんだよ・・・」って言ったら、隣に座ってた長女に「それは人間あるあるでしょ。ふつーでしょ。誰だって、誰かに認められたいし、褒められたいでしょ」→
末っ子に「ママ、1日にいくらほしい?」って聞かれたので、「3万円かな」って答えたら、「本当は何円ほしいの?」ってまた聞かれたので、「本当は10万円かな」って言うと、「毎日10万円だと何でも買えちゃうね、いししししし…」って上目づかいでニヤニヤしてきたので二人で悪い顔して笑いました。
次女の「うるのさいこちゃん」も好き。(誰かうるさいときに使う)
あと、長女に「ふと悲しくなったときってどうしてる?」って聞いてみたら、「リラ~ックス、リラ~ックスよ~?って唱えてる」って言ってた。
ちなみに前に「よしよしよしこちゃん」って言い出したのは次女で、彼女が色々な感情に「○子ちゃん」って名前つけるのおもしろい。 ガッカリっ子ちゃんとか、ひまひまひま子ちゃんとか。
洗面所からリビングに出ても、誰も何も聞いてこなかった。普段通り、しゃべったりふざけたりしていた。泣くのは生活の一部で、別に普通のことみたいだった。しんどかったら泣いてすっきりしていいんだ。
ちょっと限界がきて、洗面所でボロボロって泣いていたのを長女に見つかって、「どうしたん」と聞かれたので「ちょっと急に悲しくなって」と答えたら、「あるある、それはあるあるよ。ちょっと急に悲しくなるのは、あるあるなのよ。よしよしよしこちゃんよ」って抱きしめてくれて→
何があったのとか、大丈夫?とかそういう事は聞かずに、「あるあるなのよ」って言葉がとても染みて、そうだなあ、これはあるあるなんだってしみじみ泣きました。泣くのはデトックスだ。
外出できないならコーヒー飲んだり犬を撫でていればいいじゃないというマリー・アントワネット的な感覚であることは分かった。