最近、子育ての四コマ漫画を読んでいて、聴こえるこどもは2~3歳位で親子のコミュニケーションが成立していて、会話の量の多さや内容の濃さに衝撃を受けたことがあります。小学校入学前の時点ではまだ親子の会話がどうにか成り立つ状態で、スタート時点で大きく遅れをとりつつ小学校に進みました。
勉強の面でいうと、高校あたりまでは教科書の範囲から大きく外れることはないので、教科書に書いてある部分を前倒しで勉強しておけばなんとかなりました。(聴こえない人や聴こえづらい人で、大学以降で急に授業がわからなくなる人がいるのは、前提知識が教科書の外側に拡がるからです。)
聴こえないと耳から入ってきた音を拾って、ひとまとまりの言葉として捕まえることができません。しかも音が歪むので、完璧に発音したり聞き取ったりするのはひじょうに難しいです。健常者、自分達の側になんとしてでも近づけようとする親や先生との我慢くらべになります。
次に耳の話です。補聴器をつけたのは生後9ヶ月ごろからでした。音が聴こえるようになっても、すぐに言葉として聴こえるようにはなりません。大人が英語を学ぶのと同じような方法で日本語を使えるようにします。言葉の概念すら全くないところからスタートして、小学校入学前まで「お勉強」が続きます。
先天性白内障には他にも眼の発達異常を伴うことがあり、緑内障のリスクがあることが知られています。もしも眼圧が上がって、視野欠損が進行してしまった場合には、緑内障の手術を追加でやることになります。私は11歳で眼圧が上がり始めて、20代後半でチューブシャント術を受けました。
生後数ヶ月に手術をすると、大人とは違って、水晶体を取り出すのと眼内レンズ挿入を分けます。私は2回目を成人してからやりました。すんなりとはいかず片方はやり直したので結構大変でした。ただ、上の世代の先輩がたとはことなり、眼内レンズという選択肢がとれる時代でよかったです。
眼内レンズにして良かったことは、白内障用の厚いレンズから普通のレンズに変わり、遮光眼鏡で眩しさを抑えられるようになりました。さらに、メガネと補聴器が両方ない状況でもコミュニケーション手段を確保できるようになり、お風呂もメガネなしで入れるようになって温泉旅行も楽になりました。
目は手術が必要ということで、生後3ヶ月過ぎに受けました。白内障の手術をするまでは光がなく音もない世界にいたせいで、人形のようにおとなしい赤ちゃんだったそうです。ちなみに取り出した水晶体からは風疹ウイルスが検出されたようです。この事実は出生前に感染したことを裏付けるものです。
私は1989年(平成元年)の春に、心室中隔欠損症と、白内障、感音性難聴を持って生まれました。先天性風疹症候群の特徴的な症状が揃っていたことになりますが、このうち心臓については自然治癒したので、今残っている症状は目と耳だけです。
風疹の母子感染というと、目や耳、心臓などに症状が出ることはニュースなどを通じて知っている人もいるかもしれません。でもその後のことはなかなか想像しづらいのでしょうか。というわけで風疹の母子感染で生まれた話のことでもしようと思います。
感染症を野放しにするとどうなるかって?風疹でいうと、1962年の米国では、1万人の胎児死亡、2万人のCRS児が生まれて社会問題になり、中絶権をめぐる運動にも影響を与えた。 風疹は3日で治る軽い病気?母子感染して、CRSで後遺症が残ったら3日が30日になり、30年になる。揺り籠から墓場まで続くんだ
風疹第5期は過去に定期接種を受けられなかった男性への詫び石なんだけどね。日本は、中学生女子のみ接種の英国方式から、より効果の高い男女幼児に接種する米国方式に変えているんだけど、当初の政策ミスによって発生したバグを放置し続けた結果、働き盛り男性メインの流行が起きてしまったので。
真っ白な母子手帳が話題なので風疹の母子感染で障害が残った話を置いておきますね。麻疹もワクチン接種する前に0歳で感染して入院しました。運よく生き残れてよかったです。 withcrs.skr.jp/lifehistory/
「内海聡」の3文字を見たらそっ閉じするだけで、やばい健康情報に引っかかる確率が大幅に下がります。エビデンスはないが🍤はあると思ってますよ、これ。ググる能力すら怪しい人が「隠されている真実がー」って言ってるの相当やばいです。風疹先天症候群なん病気ねえよと断じる医者はクソofクソ。
本日2月4日は風疹の日。風疹の流行をなくして、母子感染で亡くなる赤ちゃんをなくしたい。そんな想いを込めてCRSとともに生きてきた30年を振り返りました。長文ですが読んでいただけるとうれしいです! #風疹, #風しん, #先天性風疹症候群 withcrs.skr.jp/lifehistory/
コロナは風邪という人たちがいるが、むしろ今まで風邪が舐められすぎてて「風邪ごときで休むな」とか言われていたのではと思う
感染症予防について考えるとき最終的にはリスクとリスクを天秤にかけて決断することにはなるんだけど、その過程で、感染症の犠牲になって亡くなった方々や今生きている人の存在を忘れず、自分の立場で想像してみてほしいなということが、このアカウントを通してみなさんに伝えたいことです。
風疹の母子感染というのは、生まれたときに目や耳、心臓の症状がポンっとばーんと現れるんじゃなくて、人生のあらゆる局面にじわりじわりと影響を与えていくものです。1960年代に生まれた方はいま50代後半ですが、一人一人に生まれたその日からの2万日を超える人生の重みがあります。
ところがやはりワクチンが存在するのにはそれなりの理由があります。風疹ワクチンだってそうです。今までの長い歴史の中で紆余曲折がありますが、1960年代のヨーロッパやアメリカでの大流行のとき、悲しむ妊婦さんや苦しむ患者さんの姿が医師や研究者のワクチン開発へと駆り立てたのです。
感染症ってワクチンができて治療薬もある状態になると、今度は、感染症そののの怖さも忘れられていきます。「実は怖くなんかない病気なのでワクチン打たなくてもいいんですよ」という話を真実だと思い込む人が増えていきます。
あのとき、専門家が「いやそれは違う、正しくはこうだ」といえば、御用学者とラベルをはられ、罵声をあび、職場に電凸されることもあった。デマや陰謀論を飯の種にしている人にとっては大きな成功体験になってしまった。
「みんパピ」や「こびナビ」で先生方が本業以外に時間を割いて精力的に情報発信なさってるの、医療関連のデマや陰謀論を放置すると人の命にかかわるからなんですよね。だからみなさん本気でやってらっしゃる。
原発事故のあと「シーベルト」などの聞き慣れない単位が不安や憶測をよび、デマや陰謀論が拡散されて、福島で奇形児がたくさん産まれているとか、そういった情報が、差別や偏見を強めて、福島などの被災地に住む人々をおいつめた。
風疹は子供のときにかかっておけばよい、というtwを定期的に観測します。ワクチンがなかった頃は実際にそうするしかなかったのですが、1965年前後にヨーロッパで風疹が流行、米国にまで拡がり、米国では1.2千万人が感染。母子感染により赤ちゃんが1万人亡くなり、障害児が2万人生まれています。
「軽くすむこどものうちに罹っておけばワクチンいらないのでは?」という話が流れてきたので風疹で母子感染した話おいときますね。麻疹、風疹、水疱瘡、おたふくなど、ワクチンで防げる病気は打っといたほうがいいですよ。1万文字超の長文ですが、お時間あるときにぜひどうぞ withcrs.skr.jp/lifehistory/