桐野作人(@kirinosakujin)さんの人気ツイート(リツイート順)

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慶喜が一橋屋形を相続し、御礼言上のため登城して家慶に拝謁するしたのち、慶喜は大奥の奥女中たちに囲まれて質問攻めにあった。曰く「一橋様の御母君は御名を何と仰せられ候や」。嘲笑気味だったので、慶喜は「予は有栖川宮の孫なるぞ」と端然と答えたので、奥女中たちは平伏したという。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。平岡円四郎が刺客に襲撃されて最期を遂げました。平岡は暗殺直前、急激な出世を遂げています。小普請組支配、勘定評定所留役当分助という閑職から一橋家の用人へと栄転。文久4年(1864)2月には側用人兼番頭、5月15日には家老竝(家老並)となります。#青天を衝け
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思わず辞書を引いたが、「尽未来際」は未来永劫という意味らしい。さすが学のある慶喜というべきか。この台詞に出典があるのかわからないが、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』では、1931年(昭和6)、逝去した渋沢の追悼会の弔辞で「子爵(渋沢)の尊霊は尽未来際不朽不滅」とあり。#青天を衝け
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一般公開された松尾大社蔵の信長朱印状。わずか数点しか現存しない双龍形の「天下布武」印。もっと珍しいのは信長が右大臣兼右近衛大将と官職も署名していること。双龍形の朱印は内大臣と右大臣の時期にしか使用していない。なお、その時期には馬蹄形の印判も使用している。 news.yahoo.co.jp/articles/5e1d7…
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「青天を衝け」第2回。とりあえず一橋慶喜について。弘化4年(1847)9月、松平七郎麿は一橋屋形を相続して徳川姓になった。先代一橋昌丸死去のため喪に服していたが、10月1日、江戸城に登城して将軍家慶に拝謁。一橋相続、10万石拝領を謝す。どう5日にも登城し大奥で家慶と対面。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。御所内の長州派の計略は有栖川宮らがまず知恩院への遷幸を勧め、天皇が禁裏六門を出たところで、鳳輦を鳥取藩士らが奪い取り、これに岡山藩も加担して、鳳輦をさらに宇治か奈良へと遷幸させ、天皇を長州の勢力下に置こうという策だったともいわれる。#青天を衝け
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慶喜はたとえ京都で勝利しても、薩摩までは攻めていけず、戦乱が長期化することになり、外国の干渉を招きかねないから、戦争で決着をつけられない。だから、政権返上するしかないという理屈でしょう。慶喜は決して楽観せず、冷徹な情勢分析をしたうえでの決断だったことがわかります。#青天を衝け
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渋沢のことはあまり詳しくないので、今回は慶喜に絞って。慶喜の養親となった将軍家慶の病床に慶喜が籠に入ったカナリアを持参したとき、以前頂戴した旨を述べていたが、これは史実。慶喜が一橋屋形相続のとき、大奥で家慶に拝謁して、ヤマガラ・ウグイスとともに拝領したもの。#青天を衝け
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この逸話は渋沢栄一の肝煎りで編まれた『昔夢会筆記』に載っている。奥女中たちは慶喜が大奥で嫌われた水戸家の出身だったのでからかおうとした。だが、有栖川宮家を通じて、徳川宗家のなかで唯一天皇家の血統を引く慶喜の誇りと苦難が同居するその後を暗示するような逸話ではある。#青天を衝け
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2月7日、大河ドラマ「麒麟がくる」最終回が終了した直後の21:00から、光秀・秀満ゆかりの福知山市でこんなイベントが開催されます。私も出演します。視聴者のコメントも募集しているそうです。#麒麟がくる tourism.travelnews.co.jp/kansai/2021020…
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昨夜の大河「鎌倉殿の13人」で、義経の同母兄、義円が叔父源行家とともに、墨俣合戦で平家勢と戦って戦死する場面がありました。数年前、関ヶ原の取材のとき、古戦場と義円の供養墓などを撮影していました。なお、義円が鎌倉に出仕して頼朝に従ったことは確認できないとか。#鎌倉殿の13人
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秀吉の最後の城、京都新城の石垣や堀跡が仙洞御所内から発見されて話題になっている。秀吉が造営したそのひとつ前の城は木幡山伏見城だが、その間に秀吉がもうひとつ居館を洛中に造営していることはあまり知られていないと思われる。しかも、島津氏が関わっている可能性も。 kyoto-np.co.jp/articles/-/243…
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話題になっているアマビエ。どなたかも紹介してたけど、徳川家康の家来、松平家忠の『家忠日記』にも似たような絵が。天正9年(1581)4月条。家忠は人魚だという。口が少し違うけど、ウロコとヒレは似ている。家忠は日記の余白にいろんなイラスト描いていることでも知られる。 #アマビエ
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」静寛院宮。ドラマでは天璋院と静寛院宮という2人の女性が協力して徳川家存続に動き出す。事実、2人の手紙作戦は功を奏した。天璋院は前薩摩藩主島津斉彬の養女。静寛院宮は孝明天皇の妹。実家との縁や新旧の将軍御台所の地位を最大限に活用したのである。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。慶喜と薩摩藩の微妙な関係は駆け足と省略のため、詳しく描かれませんでした。また薩摩藩の代表が西郷吉之助になっていましたが、代表で総大将はあくまで家老の小松帯刀です。残念ながら登場しませんでした。長州藩兵は山崎、天龍寺、伏見から迫ります。#青天を衝け
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慶喜はたった一人で多数の親王・公家を圧倒した。3度めに参内したら、今度は天皇の下賀茂遷幸の話が持ち上がり、紫宸殿には三種の神器や鳳輦も仕度されていた。慶喜は紫宸殿に上がると、天皇の袖を引き留めながら「私が守護し奉りますからには、未だご遷幸の時機ではありませぬ」と諫言。#青天を衝け
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慶喜を家康にたとえたのは木戸孝允。ドラマから3年ほどのち。土佐藩士の土方久元『回天実記』慶応3年3月21日条に「一橋の胆略決して侮るべからず、若し今にして朝政挽回の機を失い、幕府に先を制せらるる事あらば、実に家康の再生を見るが如し」と述べる。木戸の慶喜への非常な警戒心。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。非業の最期を遂げる前、平岡円四郎が慶喜に「殿は東照大権現の再来」と真情を吐露していた。円四郎がそう言ったという史料があるか知らないが、慶喜が徳川家康に喩えられていたのはたしか。そういえば、今日は北大路家康は登場しなかったような。#青天を衝け
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近年、本能寺の変における明智方の動向を示す史料として、加賀藩兵学者の関屋政春が著した『乙夜之書物』が注目された。20日の新聞記事によると、同書にはほかにも斎藤道三と義龍の父子の長良川の戦いもあるとか。そのなかに義龍が「道三を討たずに生け捕りにせよ」と命じていたという一節あり。
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」。渋沢栄一など旧幕臣が新政府に参加し、改正掛として急進的な改革を進める場面が描かれた。その一方で大久保利通がそれを阻止する悪役として描かれた。主役を目立たせたいのはわかるが、少し説明不足で一方的ではないかとも感じた。 #青天を衝け
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小松帯刀は「琉球豚」と書いており、琉球から薩摩に運ばれた豚を肥育したものだろう。当時は冷蔵庫がないから、塩漬けや味噌漬けで保存している。なお、慶喜の豚好きは父斉昭からの薫陶。斉昭は島津斉彬から豚肉を贈られていたから、もともとは薩摩からの豚肉を食べていたものと。#青天を衝け
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このとき慶喜に同行していたのが薩摩藩家老の小松帯刀。その様子を国許に知らせている。「(一橋公は)紫宸殿へイタグラメ(胡座)で有栖川宮を初め長州びいきの暴論公家衆多人数とご対座、一橋公は一人にて舌戦、ついにことごとく説破され、公家衆閉口の由」と慶喜の弁舌が冴え渡った。#青天を衝け
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番組出演のお知らせ。1月20日(水)午後8時からNHKBSプレミアム「英雄たちの選択」に出演します。テーマは「真相!本能寺の変 細川藤孝 戦国生き残り戦略」。細川藤孝の知られざる一面にも触れます。nhk.jp/p/heroes/ts/2Q… #細川藤孝 #麒麟がくる
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今夜の大河「青天を衝け」第3回。一橋慶喜が自分は将軍になれないし、興味もないと述べて、父斉昭を落胆させた件。将軍家慶が慶喜を気に入っていたのはたしかで、たびたび一橋屋形を訪れ、しかも長時間滞在したという。また鶴御成供奉というイベントがある。#青天を衝け