桐野作人(@kirinosakujin)さんの人気ツイート(リツイート順)

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今夜の大河「青天を衝け」。高島秋帆が罪を得て岡部藩に預けられたのが弘化3年(1846)。松平七郎麿が一橋を相続したのが翌4年(1847)。渋沢少年が7歳から8歳のとき。史実をうまく取り入れて、しかも整合性が高かった。よきかな。#青天を衝け
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内務卿大久保利通が暗殺された紀尾井町事件の研究は、遠矢浩規さんの『利通暗殺』(行人社、1986年)に尽きる。これを越えるものは現在もない。しかも、学部生の卒論だった。その高度な内容に驚いた指導教官がすぐさま知り合いの出版社に連絡して刊行されたといういきさつあり。ぜひ増補版の刊行を。
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亡くなった三浦春馬さんの公開予定作「天外者(てんがらもん)」は五代様こと五代友厚を主役にした映画とのこと。ご本人の供養の意味でもぜひ公開してほしいな。 ちなみに、「天外者」は鹿児島弁で「利口者」という意味。漢字だと「手柄者」だとばかり思っていたが。hochi.news/articles/20200…
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竹千代の父松平広忠が今川義元に督励されて岡崎に帰る途中、織田方の刺客に殺害される場面。その死には病死説、一揆による襲撃説、近臣の岩松八弥に岡崎城内での殺害説など諸説あり。病死説は徳川方の史料であまり信用できないとされたが見直す動きもあり。写真は岡崎大樹寺の広忠墓。 #麒麟がくる
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本日の大河「青天を衝け」。ドラマでは水戸斉昭の永蟄居とそれに激高する水戸家家臣たちからいきなり桜田門外の変へと飛んだが、その間に変の原因となった重要事件が省略された。「戊午の密勅」降下である。安政5年(1858)8月8日に孝明天皇から水戸藩に与えた秘密の勅諚である。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」大政奉還編。いよいよ将軍慶喜の大政奉還でした。慶喜がなぜ政権返上を決断したのか。慶喜は幕臣たちを前に政権返上の理由を語っていましたが、実際の朝廷への上表文とほぼ同じでわかりやすくしたものです。草なぎ氏も台詞覚えが大変だったのではと推察。#青天を衝け
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ダックスフントは古代エジプトにもいたから、室町日本に渡航してきていてもおかしくない。 関ヶ原で対決した島津義弘と福島正則の猛将同士。関ヶ原戦後、義弘は正則に呂宋犬2頭(黒ブチと白ブチ)をプレゼント。正則に徳川幕府との橋渡しを期待か? そんな犬話がてんこ盛りheibonsha.co.jp/book/b509777.h…
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今年の2月下旬に刊行された『忍者学大全』、税込8000円以上という高額定価にもかかわらず、3か月足らずで三刷になった。このジャンルの研究が求められていたからだろう。筆者は40名もいる。一応、私も戦国島津氏の忍びについて書いています。
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。今回は禁門の変(元治甲子戦争)が中心でした。そのなかでも、一橋慶喜と薩摩藩の西郷吉之助の冷戦とその後の対立を暗示させるような場面が描かれました。ドラマでは乗馬姿の慶喜でしたが、実際はもっと劇的だったと思います。#青天を衝け
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本日の大河「青天を衝け」第9回。謹慎している慶喜に、平岡円四郎が甲府勤番に異動する旨を知らせにきた場面。甲府勤番とは要するに甲府勝手小普請、いわゆる小普請組だから、左遷中の左遷。これも安政の大獄の余波だろう。慶喜が円四郎に大首するなとか、体を湿らせるなと忠告した件。#青天を衝け
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先日、暗殺された平岡円四郎には2人の息子がいたんだね。『雨夜譚会談話筆記』にある昭和になってからの渋沢の回想によれば、平岡には息子が2人あり、総領は道具屋、次男は信州で裁判官だったとか。明治20年頃、本所の何とかという法華宗の寺で平岡の法事をしたときに会ったようだ。#青天を衝け
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慶喜の様子を見た小松帯刀は「その節の一橋公のお振る舞いは威儀堂々、誠に無双の豪傑と見えました」と感嘆している。「無双の豪傑」とは最大級の賛辞だろう。しかも、薩摩藩の大立て者、小松帯刀の言葉だから重い。慶喜の宮廷政治家としての才能に、以降、薩摩藩は苦しめられる。#青天を衝け
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でも、信長がすでに天正元年(1573)に譲位を申し入れたところ、天皇は「朝家再興のとき」と喜んでいるほど。天皇の生前譲位は中世の常道。信長の申し入れは喜ぶべきことであっても、怒ることではない。今更そんなストーリーでは周回遅れな筋立てで、半世紀は逆行している。結末が怖い。#麒麟がくる
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少し時期遅れの話題。今年の大河ドラマで注目を浴びた一橋慶喜の側近、平岡円四郎。 彼の家格や知行高をよく知らなかった。譜代幕臣の人事異動録『柳営補任』にも、実名が「方中」というくらいしか情報がなかった。そしたら、たまたま譜代大名の某史料をめくっていたら詳しく載っていた。#青天を衝け
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本日は明智光秀の命日(新暦)。正確には深夜子の刻を回ってからのような気もします(当時は夜が明けないと日が変わらない)。ともあれ、光秀の最期は悲惨ですね。まず最後の場所は、公家や寺社の伝聞史料では「醍醐の辺」「勧修寺在所」「山階(やましな)」「山科藪中」とさまざま。#麒麟がくる
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昨日の大河ドラマ「青天を衝け」。暗殺された平岡円四郎の変わり果てた姿と対面した慶喜が珍しく感情を露わにして、その遺骸に語りかけた言葉がよく聞き取れなかったが、「円四郎よ、尽未来際と申したではないか」と言ってるらしい。「尽未来際」(じんみらいさい)とは耳慣れぬ言葉。 #青天を衝け
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何より有名なのは渋沢の主君、一橋慶喜だ。何せあだ名が「豚一殿」(豚好きの一橋殿)だから。小松帯刀とのやりとりが有名。ちょうどドラマの進行時点の頃、慶喜が何度も豚肉を所望するので、小松は手持ちがなくなり、大名はわがままで困ったものだと嘆き、大久保一蔵に提供を頼んだほど。#青天を衝け
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今夜の「青天を衝け」。渋沢少年と徳川七郎麿の成長を並行的に描いてなかなか面白かったです。今後の展開が楽しみ。また徳丸が原での砲術演習が好評を博した高崎秋帆が洋学者に敵意を燃やす「妖怪」こと鳥居耀蔵に陥れられて岡部藩に預けられたのも史実。うまく結びつけていましたね。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」第10回。老中安藤信正が襲撃された坂下門外の変が描かれました。桜田門外の変はいつも詳しく描かれますが、坂下門外の変は少し触れられたらいいほうで、ナレーションだけで終わったりすることも。今回はその背景も含めて、比較的詳しく描かれました。#青天を衝け
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ドラマであった西郷吉之助が渋沢篤大夫に豚鍋を振る舞ったのは事実。『渋沢栄一伝記資料一』に出てくる。西郷は同僚の吉井幸輔にも「豚汁ができたので冷めないうちに食べに来て下さい」という手紙あり。島津斉彬が藩主として初めてお国入りしたときも豚汁と炒豚の賄い料理が出たほど。#青天を衝け
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大河「秀吉」。沢口靖子演じる北政所。 名前の読み方もここ半世紀で二転三転。 ねね→おね→ねね 昔は「ねね」、大河「秀吉」の前後は「おね」。 そして今はまた先祖返りして「ねね」。 近年、堀新さんが「ねね」だと実証した。
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」榎本軍幹部たちの処遇。横道にそれるが、新政府が榎本武揚たちをどのように処分するか、しばらくは結論が出ず、彼らは留置されたままだった。それが急転するのは、明治4年11月、岩倉使節団の出発の前である。なぜか。#青天を衝け
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」。天狗党の悲劇が描かれたが、ここでは側面史を少しばかり。薩摩藩家老の小松帯刀は中村半次郎(のち桐野利秋)を天狗党探索に向かわせた。中村の動向と報告が小松帯刀書簡と、天狗党の上京阻止のため出動した会津藩の史料『会津藩庁記録』に残る。#青天を衝け
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折田要蔵は湊川神社の初代宮司。王政復古政変に従軍し、貴重な記録を残している。禁裏御所内の様子を活写している。 #青天を衝け
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将軍家茂死去。 御台所、和宮親子親王の和歌が 哀しい。 「空蝉の唐織衣何かせむ 綾も錦も君ありてこそ」 #青天を衝け