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本日の大河「青天を衝け」。ドラマでは水戸斉昭の永蟄居とそれに激高する水戸家家臣たちからいきなり桜田門外の変へと飛んだが、その間に変の原因となった重要事件が省略された。「戊午の密勅」降下である。安政5年(1858)8月8日に孝明天皇から水戸藩に与えた秘密の勅諚である。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。今回は禁門の変(元治甲子戦争)が中心でした。そのなかでも、一橋慶喜と薩摩藩の西郷吉之助の冷戦とその後の対立を暗示させるような場面が描かれました。ドラマでは乗馬姿の慶喜でしたが、実際はもっと劇的だったと思います。#青天を衝け
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あとは、江戸期の滑稽本や誹風柳多留などに比喩的に用いられているだけである。管見の限り、「捨てがまり」を島津氏の軍法と結びつけたのは、司馬遼太郎の小説『関ヶ原』ではないかと思う。島津の退き口の場面で「島津の退却戦法に、座禅陣という特殊なものがある。ステガマリ、ともよばれた」
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」榎本軍幹部たちの処遇。横道にそれるが、新政府が榎本武揚たちをどのように処分するか、しばらくは結論が出ず、彼らは留置されたままだった。それが急転するのは、明治4年11月、岩倉使節団の出発の前である。なぜか。#青天を衝け
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今夜の「青天を衝け」。渋沢少年と徳川七郎麿の成長を並行的に描いてなかなか面白かったです。今後の展開が楽しみ。また徳丸が原での砲術演習が好評を博した高崎秋帆が洋学者に敵意を燃やす「妖怪」こと鳥居耀蔵に陥れられて岡部藩に預けられたのも史実。うまく結びつけていましたね。#青天を衝け
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昨夜の大河「鎌倉殿の13人」で、義経の同母兄、義円が叔父源行家とともに、墨俣合戦で平家勢と戦って戦死する場面がありました。数年前、関ヶ原の取材のとき、古戦場と義円の供養墓などを撮影していました。なお、義円が鎌倉に出仕して頼朝に従ったことは確認できないとか。#鎌倉殿の13人
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」。天狗党の悲劇が描かれたが、ここでは側面史を少しばかり。薩摩藩家老の小松帯刀は中村半次郎(のち桐野利秋)を天狗党探索に向かわせた。中村の動向と報告が小松帯刀書簡と、天狗党の上京阻止のため出動した会津藩の史料『会津藩庁記録』に残る。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」第10回。老中安藤信正が襲撃された坂下門外の変が描かれました。桜田門外の変はいつも詳しく描かれますが、坂下門外の変は少し触れられたらいいほうで、ナレーションだけで終わったりすることも。今回はその背景も含めて、比較的詳しく描かれました。#青天を衝け
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長崎の五島列島沖で発見された世界最大級の巨大サンゴ。放射性炭素測定で、成立というか誕生は1519年という結果が出た。600歳である。中心部はもっと古いかもしれない。
1519年といえば、伊勢宗瑞(俗に北条早雲)が没した年だ。
tokyo-np.co.jp/article/108752
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織田信長の新出文書が発見された。
播磨三木城攻めのいきさつに関わるもの。信長が別所長治を「忠節の者」と評価して、秀吉に善処を促している。
所蔵する泰巌歴史美術館での公開ではなく、藤枝まで観に行かないとならない。
msn.com/ja-jp/news/nat…
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慶喜の様子を見た小松帯刀は「その節の一橋公のお振る舞いは威儀堂々、誠に無双の豪傑と見えました」と感嘆している。「無双の豪傑」とは最大級の賛辞だろう。しかも、薩摩藩の大立て者、小松帯刀の言葉だから重い。慶喜の宮廷政治家としての才能に、以降、薩摩藩は苦しめられる。#青天を衝け
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近年、本能寺の変における明智方の動向を示す史料として、加賀藩兵学者の関屋政春が著した『乙夜之書物』が注目された。20日の新聞記事によると、同書にはほかにも斎藤道三と義龍の父子の長良川の戦いもあるとか。そのなかに義龍が「道三を討たずに生け捕りにせよ」と命じていたという一節あり。
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今夜の大河「青天を衝け」第3回。一橋慶喜が自分は将軍になれないし、興味もないと述べて、父斉昭を落胆させた件。将軍家慶が慶喜を気に入っていたのはたしかで、たびたび一橋屋形を訪れ、しかも長時間滞在したという。また鶴御成供奉というイベントがある。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。平岡円四郎が刺客に襲撃されて最期を遂げました。平岡は暗殺直前、急激な出世を遂げています。小普請組支配、勘定評定所留役当分助という閑職から一橋家の用人へと栄転。文久4年(1864)2月には側用人兼番頭、5月15日には家老竝(家老並)となります。#青天を衝け
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昨夜の大河ドラマ「青天を衝け」静寛院宮。ドラマでは天璋院と静寛院宮という2人の女性が協力して徳川家存続に動き出す。事実、2人の手紙作戦は功を奏した。天璋院は前薩摩藩主島津斉彬の養女。静寛院宮は孝明天皇の妹。実家との縁や新旧の将軍御台所の地位を最大限に活用したのである。#青天を衝け
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。非業の最期を遂げる前、平岡円四郎が慶喜に「殿は東照大権現の再来」と真情を吐露していた。円四郎がそう言ったという史料があるか知らないが、慶喜が徳川家康に喩えられていたのはたしか。そういえば、今日は北大路家康は登場しなかったような。#青天を衝け
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亡くなった三浦春馬さんの公開予定作「天外者(てんがらもん)」は五代様こと五代友厚を主役にした映画とのこと。ご本人の供養の意味でもぜひ公開してほしいな。
ちなみに、「天外者」は鹿児島弁で「利口者」という意味。漢字だと「手柄者」だとばかり思っていたが。hochi.news/articles/20200…
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司馬氏がどこから引いてきたかは小説なので不詳。この小説は1960年代『週刊サンケイ』に連載された。目に付く限りではこれが初見か。次いで立石定夫氏『関ヶ原決戦記』(新人物往来社、1984年)に「島津の軍は終始乱戦の中にあった。島津はここでステガマリ戦法に出た。薩摩特有の戦法である」
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少し時期遅れの話題。今年の大河ドラマで注目を浴びた一橋慶喜の側近、平岡円四郎。
彼の家格や知行高をよく知らなかった。譜代幕臣の人事異動録『柳営補任』にも、実名が「方中」というくらいしか情報がなかった。そしたら、たまたま譜代大名の某史料をめくっていたら詳しく載っていた。#青天を衝け
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これはドキュメント風だが、やはり出典を書いてくれていない。ほかにもあるかもしれないが、とりあえず気づいた点のみ。戦国島津氏の基本史料として『鹿児島県史料 旧記雑録』があるが、これでも関ヶ原合戦の部分はもちろん、他の合戦の記事にも「捨てがまり」は見ていない。
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。慶喜と薩摩藩の微妙な関係は駆け足と省略のため、詳しく描かれませんでした。また薩摩藩の代表が西郷吉之助になっていましたが、代表で総大将はあくまで家老の小松帯刀です。残念ながら登場しませんでした。長州藩兵は山崎、天龍寺、伏見から迫ります。#青天を衝け
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慶喜はたとえ京都で勝利しても、薩摩までは攻めていけず、戦乱が長期化することになり、外国の干渉を招きかねないから、戦争で決着をつけられない。だから、政権返上するしかないという理屈でしょう。慶喜は決して楽観せず、冷徹な情勢分析をしたうえでの決断だったことがわかります。#青天を衝け
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竹千代の父松平広忠が今川義元に督励されて岡崎に帰る途中、織田方の刺客に殺害される場面。その死には病死説、一揆による襲撃説、近臣の岩松八弥に岡崎城内での殺害説など諸説あり。病死説は徳川方の史料であまり信用できないとされたが見直す動きもあり。写真は岡崎大樹寺の広忠墓。 #麒麟がくる
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本日の大河ドラマ「青天を衝け」。御所内の長州派の計略は有栖川宮らがまず知恩院への遷幸を勧め、天皇が禁裏六門を出たところで、鳳輦を鳥取藩士らが奪い取り、これに岡山藩も加担して、鳳輦をさらに宇治か奈良へと遷幸させ、天皇を長州の勢力下に置こうという策だったともいわれる。#青天を衝け