今朝のNHKの番組で、石垣島の「戦争マラリア」を取り上げていました。 第二次大戦中、沖縄の八重山・宮古諸島の住民は、山岳部や他の島の僻地など、マラリアの発生地域に強制的に疎開させられ、多数の罹患者と死者を出したのです。 その数は米軍の空襲等による死者よりはるかに多いものでした。続く→
今日は「10.10空襲」の日…と言っても、ご存知ない方もおられるでしょう。 大戦中の1944年10月10日、沖縄各地を米軍が空襲したのです。 早朝から夕刻までの5回、のべ1,000機以上の艦載機による無差別爆撃。 人口5万5千の都市・那覇では、市街の9割を消失させるという未曾有の大規模空襲でした。続く→
朝ドラ「ちむどんどん」まめ知識の超番外編。 先週までを観ての感想です。 できれば笑い飛ばしたくて漫画を描いてみましたが、やはり笑えませんでした…。 以下、長文ご容赦ください。 続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ こちらは1945年6月21日に米軍が撮影した写真。 大田昌秀著「これが沖縄戦だ」の表紙になり、”うつろな目の少女”として有名に。 しかし大田氏は後に、生きていたこの少女と面会、実は男性だった事を知ります。 日本兵から手荒な事をされぬよう、親の指示で髪を伸ばし、少女に扮装していたのです。→
→ 写真で腕を釣り目がうつろなのは、食糧を奪おうとした日本兵から暴行を受け、肩を脱臼し目や頭に大怪我を負ったせい。 また血にまみれた服は、壕に脱ぎ捨てられた物を米兵が持参、写真を撮る前にわざわざ着せたのでした。 (大田昌秀著「沖縄戦を生きた子どもたち」より) →
→ “友軍”にさえ危険を感じ、息子を守ろうと女装させた父。 たとえ少女だろうと殴りつけ、食糧を奪った日本軍。 血のついた服を着せ、演出して写真を撮った米軍。 戦争とは単に兵隊同士が撃ち合うとか、空襲から逃げるだけではない、もっと凄惨で醜悪な物なのだと、この”少女”の写真が伝えてくれます。
今日は6月23日、沖縄「慰霊の日」。 しかし今週の #ちむどんどん に沖縄戦の話題は一切無し。 そして今日の最後の写真コーナーがこれ。 画面全体から伝わる ”言い訳感・他人事感” に、言葉を失いました。 ならば私から、沖縄戦の写真を1枚ご紹介します。続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ 住民の反対にも関わらず、軍は疎開を強行。 八重山だけで3,647名がマラリヤで亡くなりました。 波照間島でも約3割の住民がマラリアの犠牲となりましたが、疎開前に全ての家畜が屠殺されて軍の食料となっており、疎開は住民の避難ではなく、この肉の確保が目的だったのではという疑いもあります。→
朝ドラちむどんどん、今週月曜から1974年となり、金曜の回に突然76年まで飛びました。 つまり1975年は丸ごと省略した、という事のよう。 しかし沖縄ではこの年、大きな出来事があったのですが…。 そう、沖縄海洋博です。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
Twitterにて紹介されていた写真です。 黒人を差別する”白人専用”の店。 そこにあえて入店し、抗議して座る黒人。 隣に座る白人男女も抗議の賛同者です。 しかし取り囲む差別者達は、彼らに飲み物をかけて嘲笑。 沖縄の基地反対運動に対し、ネットで行われている冷笑がまさにこれです。 続く→
→ 比嘉慂の短編漫画集「カジムヌガタイ」に、この戦争マラリアを描いた作品があります。 戦争中、日本軍は沖縄を守ったのか、それとも本土の犠牲にしたのか。 私たちは沖縄戦について、まだまだ知らねばならない事が沢山あります。
先日、Eテレでも取り上げられた「久米島の戦争」。 沖縄戦で久米島に駐屯した日本軍・鹿山隊が、住民20名をスパイ容疑で殺害した事件です。 こちら「沖縄戦 久米島の戦争」は、島の人々の証言や戦跡の写真・地図などから、当時の出来事を浮かび上がらせる一冊。続く→
朝ドラ #ちむどんどん を見続け、#ちむどんどんまめ知識 を投稿し続けて半年。 最終回を終えて、様々な想いが胸に去来します。 登場人物の中で私が気になったのは、和彦でした。 沖縄県外に生まれ、沖縄の事を知ろう・伝えようとした人物です。 そんな彼に、最後に手紙を書いてみました。
→ この物語の舞台・戦後の沖縄は、米軍統治下の「アメリカ世(ゆー)」。 米軍のトップが絶対的権力を持ち、人々の暮らしはその大きな影響下にあった。 しかしドラマでは、米軍の存在が不自然なまでに見えてこない。→
→ しかし本作では日本復帰もあっさりと完了、物語の舞台は東京へ。 今後も沖縄は「米軍のいない沖縄・何事もない沖縄」として描かれるのか。 沖縄の記憶や歴史を、またしても「ヤマトゥ(日本)に都合のいい沖縄イメージ」で上書きするのか。→
→ だが沖縄に無関心な人も見る朝ドラだからこそ、私達が知らない「アメリカ世」の姿、当時の人々の気持ちを描いてほしかった。 せめてその片鱗でもあれば、皆が今の沖縄の状況にも関心を持つきっかけになると期待していた。→
→ 米軍の土地摂取・米兵による犯罪や事故・沖縄の人々の抵抗・日本復帰運動…何一つ起こらない。 まるで歴史のifを描いたSFか、異世界物のファンタジーのようだ。 そんな政治や社会の話は朝ドラにそぐわない、他の番組で取り上げます…という事なのか。→
昨夜の”NHKスペシャル”、沖縄戦を生々しく伝えました。 当初米軍は住民を保護する方針をとるも、日本軍の兵士が住民に偽装したり、女性や少年にも武器を持たせたため、住民も疑い殺すようになった事。 集団自決の様子(日本兵が住民を銃殺、住民同士が喉を切りあう…)を目撃した米兵の話など。続く→
→ それでは、製作者と同じヤマトゥンチュー(日本人)の一人として、あまりにも情けなく恥ずかしい。
→ こちら「那覇10.10大空襲」は、さまざまな資料を元にその空襲の全容を浮き上がらせた、貴重な本(現在は在庫切れ)。 記載された米軍の地図や司令官の証言から、作戦の狙いと動向が明らかに。 また日本軍側の記録からは、その無謀さと傲慢さが、那覇住民の体験談からは、混乱と恐怖が伝わります。→
戦後、沖縄に続々と作られた米軍基地。 基地内には兵器の工場や弾薬庫から、バー・映画館・ゴルフ場まであり、そこで沖縄の人々も様々な仕事に従事してきました。 こちら「基地で働く」は、1950~70年代にかけて基地で働いていた人々による、貴重な証言集。 その内容は、驚きの連続です。続く→
→ また開会式出席のため訪沖した明仁皇太子と美智子妃が、ひめゆりの塔で過激派から火炎瓶を投げられる事件も。 開催地の本部町はやんばると近いので、歌子がコンパニオンに挑戦する・賢秀が変なグッズを売る・開会式を演出した金城哲夫(ウルトラマンの父)が登場…などの展開を期待したのですが…。
→ 「EXPO’75 沖縄国際海洋博覧会」は、”海ーその望ましい未来”をテーマに36カ国が参加、1975年7月~翌年1月まで開催された、国を挙げての一大イベント。 道路・ホテルなどの大規模工事と集客・物販による経済発展が狙いでしたが、来場者数が伸びず、結果的に不況や環境破壊などの問題を残しました。→
琉球の時代から明治まで、沖縄や奄美には女性が手の甲に刺青を彫る「針突(ハジチ)」の文化がありました。 こちら「新版 琉球の記憶 針突」は、1960~90年代の沖縄・宮古・八重山で針突を入れた女性や、村の祭祀の様子を撮影した写真集。 美しいカラー写真も多く収録された、貴重な記録です。続く→
沖縄・辺野古の基地問題/反対運動について知りたい方(または何か言いたい方)は、まずはこちらの本を。 辺野古で20年に渡る現地調査を行い、書かれたルポです。続く→ twitter.com/mameshobo/stat…