今朝のNHKの番組で、石垣島の「戦争マラリア」を取り上げていました。 第二次大戦中、沖縄の八重山・宮古諸島の住民は、山岳部や他の島の僻地など、マラリアの発生地域に強制的に疎開させられ、多数の罹患者と死者を出したのです。 その数は米軍の空襲等による死者よりはるかに多いものでした。続く→
→ 住民の反対にも関わらず、軍は疎開を強行。 八重山だけで3,647名がマラリヤで亡くなりました。 波照間島でも約3割の住民がマラリアの犠牲となりましたが、疎開前に全ての家畜が屠殺されて軍の食料となっており、疎開は住民の避難ではなく、この肉の確保が目的だったのではという疑いもあります。→
→ 比嘉慂の短編漫画集「カジムヌガタイ」に、この戦争マラリアを描いた作品があります。 戦争中、日本軍は沖縄を守ったのか、それとも本土の犠牲にしたのか。 私たちは沖縄戦について、まだまだ知らねばならない事が沢山あります。
沖縄の民具の中でも、ユニークな物の一つ「サギジョーキ」。 まだ冷蔵庫など無かった頃、食べ物を保管しておくために使われた籠です。 蒸した芋や茹でた豚肉などを入れ、台所の軒から吊るして、ネズミや蟻から食べ物を守りました。続く→
琉球の時代から明治まで、沖縄や奄美には女性が手の甲に刺青を彫る「針突(ハジチ)」の文化がありました。 こちら「新版 琉球の記憶 針突」は、1960~90年代の沖縄・宮古・八重山で針突を入れた女性や、村の祭祀の様子を撮影した写真集。 美しいカラー写真も多く収録された、貴重な記録です。続く→
1895年から1945年まで、日本の植民地支配下にあった台湾。 その50年間、多くの日本人が台湾へ渡った中に、沖縄の人々もいました。 こちら「沖縄の植民地的近代」は、彼ら沖縄系台湾移民の目を通し、日本と台湾・沖縄~八重山の知られざる近代史を捉えた力作。続く→
戦後、沖縄に続々と作られた米軍基地。 基地内には兵器の工場や弾薬庫から、バー・映画館・ゴルフ場まであり、そこで沖縄の人々も様々な仕事に従事してきました。 こちら「基地で働く」は、1950~70年代にかけて基地で働いていた人々による、貴重な証言集。 その内容は、驚きの連続です。続く→
→ 生々しい体験談から浮かび上がるのは、米軍という組織が沖縄の人々を見下し、粗末に扱ってきた現実です。 今も無くならない米兵の犯罪や基地でのコロナ対策の甘さなどの底流には、「沖縄はアメリカの戦利品」「自分達が統治する側」といった占領者意識がある、と思わざるをえません。
→ 頻発する墜落事故や暴発。 危険な猛毒を、何も知らされず素手で扱った事。 厳戒体制の「核」収容施設。 沖縄での軍生活の楽しさをPRするビデオの撮影。 バーの従業員として接した、米兵や将校達の本音。 ベトナム戦の訓練でゲリラ役をさせられたり、CIAの諜報活動で共産国の放送を傍受したり。→
以前ご紹介した「基地で働く」という本の中で、沖縄の米軍基地に核兵器があった、という証言がありました。 それをハッキリと裏付け、その実像に迫るのが本書「沖縄と核」。 2017年にNHKが放映した同名のスクープドキュメント番組に、未放送の情報も加えて書籍化したものです。続く→
朝ドラちむどんどん、次回から時代は1971年に。 沖縄が米軍に統治されていたアメリカ世(ゆー)も、残りわずかです。 ここでドラマでは描かれなかった、当時の沖縄での出来事を、番外編としてご紹介します。 その1は、宮森小学校米軍機墜落事故。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
朝ドラ「ちむどんどん」まめ知識の超番外編。 先週までを観ての感想です。 できれば笑い飛ばしたくて漫画を描いてみましたが、やはり笑えませんでした…。 以下、長文ご容赦ください。 続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ この物語の舞台・戦後の沖縄は、米軍統治下の「アメリカ世(ゆー)」。 米軍のトップが絶対的権力を持ち、人々の暮らしはその大きな影響下にあった。 しかしドラマでは、米軍の存在が不自然なまでに見えてこない。→
→ 米軍の土地摂取・米兵による犯罪や事故・沖縄の人々の抵抗・日本復帰運動…何一つ起こらない。 まるで歴史のifを描いたSFか、異世界物のファンタジーのようだ。 そんな政治や社会の話は朝ドラにそぐわない、他の番組で取り上げます…という事なのか。→
→ だが沖縄に無関心な人も見る朝ドラだからこそ、私達が知らない「アメリカ世」の姿、当時の人々の気持ちを描いてほしかった。 せめてその片鱗でもあれば、皆が今の沖縄の状況にも関心を持つきっかけになると期待していた。→
→ しかし本作では日本復帰もあっさりと完了、物語の舞台は東京へ。 今後も沖縄は「米軍のいない沖縄・何事もない沖縄」として描かれるのか。 沖縄の記憶や歴史を、またしても「ヤマトゥ(日本)に都合のいい沖縄イメージ」で上書きするのか。→
→ それでは、製作者と同じヤマトゥンチュー(日本人)の一人として、あまりにも情けなく恥ずかしい。
大変ユニークな本が入荷しました。 こちら「めんそーれ!化学」は、沖縄の夜間中学で化学を教える著者が、その授業の様子を綴った本。 生徒は沖縄戦で学校に通えなかったおばあさん・おじいさん達。 彼らは化学の授業中、先生の話から戦後の暮らしを思い出し、語り始めるのです。続く→
朝ドラちむどんどん、今週月曜から1974年となり、金曜の回に突然76年まで飛びました。 つまり1975年は丸ごと省略した、という事のよう。 しかし沖縄ではこの年、大きな出来事があったのですが…。 そう、沖縄海洋博です。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ 「EXPO’75 沖縄国際海洋博覧会」は、”海ーその望ましい未来”をテーマに36カ国が参加、1975年7月~翌年1月まで開催された、国を挙げての一大イベント。 道路・ホテルなどの大規模工事と集客・物販による経済発展が狙いでしたが、来場者数が伸びず、結果的に不況や環境破壊などの問題を残しました。→
→ また開会式出席のため訪沖した明仁皇太子と美智子妃が、ひめゆりの塔で過激派から火炎瓶を投げられる事件も。 開催地の本部町はやんばると近いので、歌子がコンパニオンに挑戦する・賢秀が変なグッズを売る・開会式を演出した金城哲夫(ウルトラマンの父)が登場…などの展開を期待したのですが…。
今日は6月23日、沖縄「慰霊の日」。 しかし今週の #ちむどんどん に沖縄戦の話題は一切無し。 そして今日の最後の写真コーナーがこれ。 画面全体から伝わる ”言い訳感・他人事感” に、言葉を失いました。 ならば私から、沖縄戦の写真を1枚ご紹介します。続く→ #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
→ こちらは1945年6月21日に米軍が撮影した写真。 大田昌秀著「これが沖縄戦だ」の表紙になり、”うつろな目の少女”として有名に。 しかし大田氏は後に、生きていたこの少女と面会、実は男性だった事を知ります。 日本兵から手荒な事をされぬよう、親の指示で髪を伸ばし、少女に扮装していたのです。→
→ 写真で腕を釣り目がうつろなのは、食糧を奪おうとした日本兵から暴行を受け、肩を脱臼し目や頭に大怪我を負ったせい。 また血にまみれた服は、壕に脱ぎ捨てられた物を米兵が持参、写真を撮る前にわざわざ着せたのでした。 (大田昌秀著「沖縄戦を生きた子どもたち」より) →
→ “友軍”にさえ危険を感じ、息子を守ろうと女装させた父。 たとえ少女だろうと殴りつけ、食糧を奪った日本軍。 血のついた服を着せ、演出して写真を撮った米軍。 戦争とは単に兵隊同士が撃ち合うとか、空襲から逃げるだけではない、もっと凄惨で醜悪な物なのだと、この”少女”の写真が伝えてくれます。