→ しかし本作では日本復帰もあっさりと完了、物語の舞台は東京へ。 今後も沖縄は「米軍のいない沖縄・何事もない沖縄」として描かれるのか。 沖縄の記憶や歴史を、またしても「ヤマトゥ(日本)に都合のいい沖縄イメージ」で上書きするのか。→
→ だが沖縄に無関心な人も見る朝ドラだからこそ、私達が知らない「アメリカ世」の姿、当時の人々の気持ちを描いてほしかった。 せめてその片鱗でもあれば、皆が今の沖縄の状況にも関心を持つきっかけになると期待していた。→
→ 米軍の土地摂取・米兵による犯罪や事故・沖縄の人々の抵抗・日本復帰運動…何一つ起こらない。 まるで歴史のifを描いたSFか、異世界物のファンタジーのようだ。 そんな政治や社会の話は朝ドラにそぐわない、他の番組で取り上げます…という事なのか。→
→ この物語の舞台・戦後の沖縄は、米軍統治下の「アメリカ世(ゆー)」。 米軍のトップが絶対的権力を持ち、人々の暮らしはその大きな影響下にあった。 しかしドラマでは、米軍の存在が不自然なまでに見えてこない。→
朝ドラ「ちむどんどん」まめ知識の超番外編。 先週までを観ての感想です。 できれば笑い飛ばしたくて漫画を描いてみましたが、やはり笑えませんでした…。 以下、長文ご容赦ください。 続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
朝ドラちむどんどん、次回から時代は1971年に。 沖縄が米軍に統治されていたアメリカ世(ゆー)も、残りわずかです。 ここでドラマでは描かれなかった、当時の沖縄での出来事を、番外編としてご紹介します。 その1は、宮森小学校米軍機墜落事故。続く→ #ちむどんどん #ちむどん #ちむどんどんまめ知識
以前ご紹介した「基地で働く」という本の中で、沖縄の米軍基地に核兵器があった、という証言がありました。 それをハッキリと裏付け、その実像に迫るのが本書「沖縄と核」。 2017年にNHKが放映した同名のスクープドキュメント番組に、未放送の情報も加えて書籍化したものです。続く→
→ 頻発する墜落事故や暴発。 危険な猛毒を、何も知らされず素手で扱った事。 厳戒体制の「核」収容施設。 沖縄での軍生活の楽しさをPRするビデオの撮影。 バーの従業員として接した、米兵や将校達の本音。 ベトナム戦の訓練でゲリラ役をさせられたり、CIAの諜報活動で共産国の放送を傍受したり。→
→ 生々しい体験談から浮かび上がるのは、米軍という組織が沖縄の人々を見下し、粗末に扱ってきた現実です。 今も無くならない米兵の犯罪や基地でのコロナ対策の甘さなどの底流には、「沖縄はアメリカの戦利品」「自分達が統治する側」といった占領者意識がある、と思わざるをえません。
戦後、沖縄に続々と作られた米軍基地。 基地内には兵器の工場や弾薬庫から、バー・映画館・ゴルフ場まであり、そこで沖縄の人々も様々な仕事に従事してきました。 こちら「基地で働く」は、1950~70年代にかけて基地で働いていた人々による、貴重な証言集。 その内容は、驚きの連続です。続く→
1895年から1945年まで、日本の植民地支配下にあった台湾。 その50年間、多くの日本人が台湾へ渡った中に、沖縄の人々もいました。 こちら「沖縄の植民地的近代」は、彼ら沖縄系台湾移民の目を通し、日本と台湾・沖縄~八重山の知られざる近代史を捉えた力作。続く→
琉球の時代から明治まで、沖縄や奄美には女性が手の甲に刺青を彫る「針突(ハジチ)」の文化がありました。 こちら「新版 琉球の記憶 針突」は、1960~90年代の沖縄・宮古・八重山で針突を入れた女性や、村の祭祀の様子を撮影した写真集。 美しいカラー写真も多く収録された、貴重な記録です。続く→
沖縄の民具の中でも、ユニークな物の一つ「サギジョーキ」。 まだ冷蔵庫など無かった頃、食べ物を保管しておくために使われた籠です。 蒸した芋や茹でた豚肉などを入れ、台所の軒から吊るして、ネズミや蟻から食べ物を守りました。続く→
→ 比嘉慂の短編漫画集「カジムヌガタイ」に、この戦争マラリアを描いた作品があります。 戦争中、日本軍は沖縄を守ったのか、それとも本土の犠牲にしたのか。 私たちは沖縄戦について、まだまだ知らねばならない事が沢山あります。
→ 住民の反対にも関わらず、軍は疎開を強行。 八重山だけで3,647名がマラリヤで亡くなりました。 波照間島でも約3割の住民がマラリアの犠牲となりましたが、疎開前に全ての家畜が屠殺されて軍の食料となっており、疎開は住民の避難ではなく、この肉の確保が目的だったのではという疑いもあります。→
今朝のNHKの番組で、石垣島の「戦争マラリア」を取り上げていました。 第二次大戦中、沖縄の八重山・宮古諸島の住民は、山岳部や他の島の僻地など、マラリアの発生地域に強制的に疎開させられ、多数の罹患者と死者を出したのです。 その数は米軍の空襲等による死者よりはるかに多いものでした。続く→