これらが問題ではないという事ではありません。大いに問題です。けれども人類全体の問題点であったり日本社会の問題点であったりするので、今回のスポーツ文化の問題からは除外しました。
つまり、 ・才能で勝負が決まることへの嫌悪 ・優越したものが見下すことへの嫌悪 ・人気で目にする機会が多いことへの嫌悪 ・性質が合わないことからの嫌悪 ・嫌な奴と出会った事での嫌悪 ではない、スポーツ界特有の文化の問題点についてお話をしています。上記はスポーツ以外でも見られるので
大変言い方が難しいのですが、何でも人はうまくできたり嫌な思いをした時にそれを嫌いになると思うのですが、そういうシンプルな話とは分けて、スポーツ界の好きだった人まで嫌いにさせてしまうところや、興味がない人まで無理やり巻き込んでしまうところの問題点を感じています。
いくつかの返信で体育会系の人間に恥をかかされたというのがありますが、これは各国共通のようでアメリカでもよくドラマで出てきます。これも問題でなんとかしなければいけませんが、今回私が伝えたいのは日本のスポーツ文化が生み出す問題点です。特にスポーツに入ったけど嫌いになったパターンです
一部の才能ある子のためではなく、全ての子供たちのためのスポーツとはなんなのか。全ての国民のためのスポーツとはなんなのか。その前提から始めないと、全ては空虚になってしまうと私は思います。
既存のスポーツシステムは誰に恩恵をもたらし、誰が被害を被り、どんな機会損失を産んでいるのかを把握した方がいいと思います。スポーツはやりたいのだけれど、スポーツ界は大嫌いという人に本当にたくさん会いました。「スポーツ界」がむしろ「スポーツ嫌い」を増やしている可能性すらあります。
スポーツは素晴らしいと感じることや、スポーツを楽しむことに引け目を感じる必要はないと思いますが、これまでのスポーツ体験でひどい思いをして距離を置いたそんなに小さくない集団が「スポーツ最高」と言っている私たちを冷ややかに見ていることはきちんと理解する必要があると思います。
スポーツを離れて社会に出て良かったのは、スポーツを嫌っている人や、憎んでいる人、やっていたけど傷ついている人がこんなにいたのかと気付かされた事です。おそらくスポーツの世界だけにいたら、スポーツが好きな人と、スポーツによって成功体験を持つ人との接触が極端に多かったと思います。
私の意見は「日本は小さい勝負が多いが、大きい勝負をする機会が少ない。日本国内での戦いは多いが世界での戦いが少ない。勝ち負けにはこだわるが大志がない」です。
日本一を子供に目指させたいのなら、一番それを伝える上で効率が良いのは大人も日本一を目指すことです。子供を介してではなく自分で日本一を目指す。子供たちが見抜いているのは「僕たちに勝負させているが、あの人は人生で勝負しているのか」ということです。
「子供の全国大会をやめてしまえば子供たちが勝負する機会を失い勝負弱くなってしまう」というご意見をいただきました。考えるにあたり論点を ・全国大会つまり大会の範囲の広さは勝負強さに影響を与えるのか ・子供時代の勝負の機会は大人になってどんな影響があるのか と設定したいと思います。
「多分逃げ切れると思う」と答えています
息子が「お父さんは吉田沙保里さんより強い?」と聞いてきます
ところが、本当に力を出し切らなければならないのは卒業してからの50年間です。いえ100年時代ですから70年間かもしれません。70年間を学び続け変わり続け楽しみ続け走り続ける第一歩としての高校三年間です。燃え尽きるなんてとんでもなくて、その後の長さを考えるとウォームアップぐらいだと思います
日本のスポーツ環境を理解するにはまず「青春」という概念を理解する必要があるのではないかと考えています。青春の概念はどの国にもありますが、日本の青春は ・皆で同じ時間を過ごす ・燃え尽きることへの渇望 がある点でその他の国とは違いがあると感じます。
陸上をやっていた方はわかると思いますが、中学時代に走った二回目の400mが49秒0あたりでした。練習すれば47の中盤ぐらいいっていたと思います。私の人生で最も幸運だったことは小中高の指導者が未来を見据えていたことです。この内の誰かが練習をやらせまくっていたら五輪にはいけなかったと思います
つまり「評価されなければ頑張れない人間である」ということです。この方向は大変大袈裟に言えば誰かが決めた評価システムによって機械的に動き回る一機能になるということでもあります。若年層でわかりやすい評価で頑張り過ぎた人間の悩みは「目標が見つけられない」と悩むことです。
もう一つ子供のモチベーションが下がるというご批判ですが、大事な点は生涯に渡り「自ら動機を生み出し、それを発揮する対象を自ら選ぶことができる」ということです。外部システムに依存してやる気が引き出されることに慣れた人間は、やる気がない時外部システムを求める傾向にあります。
この戦略的思考はあらゆるジャンルで自分を試し、うまくいった思ったよりうまくいかなかったということを繰り返し練られていくものだと思います。結論を言えば勝ち負けを決めることは良いことですが、大事なのはなるべく多様な比較軸で自分を試してみることだと思います。
日本人が最も特なことは一つのことを最後まで頑張ることです。最も苦手なことは戦場を選ぶことだと思います。つまり戦略です。少なくとも個人において戦略的であるとは、自分が持っている戦力と、戦場の特性を考え、戦いが始まる前に勝ちがある程度読めるようなところに身を置くことだと思います。
ですから程度はありますが、勝敗を決めること自体は悪いことではないと思います。問題となるのは「勝敗を個人の社会的位置付けと結びつけ過ぎ、かつ一つの評価軸だけに依存すること」だと思います。つまり単一のジャンルの勝ち負けだけに自分の存在意義を決めてもらうことの問題です。
子供時代に勝敗をつけないと、大人になって社会保障など困っている人を助ける政策に否定的な傾向を示すという内容が経済学者の大竹先生らに論文になっています。勝負をしなければ人間の差は能力ではなく努力の差である。だから努力の差を公的な予算で支える必要がないと考えるからだそうです。
昨日は全国大会の廃止について書きましたが、これについて反論をされる方のご意見はまとめると ①勝負しないと子供が弱くなる ②子供のモチベーションがなくなる の二点が多くあったと思います。以下それについてご説明します。①は運動会で順位をつけないということを想起している方も多くいます。
若年層での全国大会がなぜ良くないか|Dai Tamesue 為末大 (株)Deportare Partners代表 @daijapan #note note.com/daitamesue/n/n…
以上の理由から、全国大会の廃止は素晴らしいことだと私は考えます。ぜひ他競技でも追随してほしいです。