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京都大学を出て「論客」で売っている人が、こんな架空戦記を読みすぎた中学生みたいなことを世界に向けて発信しているのには、呆れるよりほかにありません。だいたい、欧米に戦争吹っ掛けたのは日独の方なんだから、そっちを倒す方を先にしないわけにはいかないでしょう。 twitter.com/Frozen_Sealion…
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なんというか、味方として馴れ合うか敵として攻撃するかの二分ではなく、先の「先行研究との緊張関係」という言い回しのように、一定の緊張関係をはらみつつ協力していく、という成熟した関係を目指すことが大事なのだろうと思います、と一般論に落とし込んで、ひとまずここで一区切りとします。
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徳永氏の誤謬は、学界への変な思い込みから、先行研究の流れを理解し、自分の研究の意義を打ち出すことができず(おそらく)それを批判されたらいっそう妄念を強化した、ということではないかと思います。全くの悪循環で、このスパイラルを何とか止められないかというのが、私がツイートした所以です。
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長くなったのでまとめますが、まず歴史学は「左翼が支配」案ぞしていないし、実証的な日中関係史の研究はいくらでもあります。そして実証的な研究と言えど、事実そのもの以上に、それをもとにした解釈こそが大事で、その成果同士がつながっていくことで学問は発達していくのです。
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私もそのような経歴なので、学術的な意義は二の次に、史料に見える面白いトリビアに惹かれすぎて、余計な記述を論文に書いてしまい、「削った方がいい」と査読で意見されたことが何度もあります(苦笑)むしろ私は、そういう細部への偏愛や感心こそ、歴史を学ぶ原動力の大きな部分だと思っています。
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徳永氏はかなり熱心なミリタリーマニアのようですので、その路線を貫徹した方が、結果的に学問的な成果にも早く近づけるのではないかと思います。それは、鉄道マニアがそのまま研究者になったような人がごろごろいる(私もそうです)鉄道史をやっている私の、経験に基づいた見解です。
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何度も繰り返しますが、学問的に意味のある解釈なんかどうでもいい、俺は俺の知りたいことを調べるだけだ、という行き方があってもいいのです。さらにいえば、歴史学では前提の事実発掘だけでも、「研究ノート」「史料紹介」という形で業績として評価されます。そういうやり方もあるのです。
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徳永氏は好事家路線ではなく、学問への参入の道を選ばれたのでしたら、その世界の発展に貢献する手法を取るべきです。ひょっとして徳永氏は「サヨクだらけの学会など俺様が鎧袖一触粉砕してくれる!」などという意図で学会誌に投稿されたのでしょうか。その方がよっぽどイデオロギッシュでしょう。
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つまり、研究成果を意義あるものにするのは、他者(の研究成果)との対話が必須であり、その対話の積み重ねで「星座」を創っていくのが学問です。査読もその対話の一環であり、「完全論破」などを誇るようなものではありません。そこには徳永氏の誤解が明らかにあります。
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だから誤解しないで欲しいのですが、私のツイートは徳永氏の誤謬を指摘する意図はあっても、氏を学界から追い出せとか、歴史をやるなとか言ってるわけではありません。「日曜歴史家」はアリエスを筆頭に偉大な成果を上げてきました。私は不幸な誤解をましにしたいのです。
amzn.to/3V9AVDH
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さらにいえば、マニアのひたすらな事実発掘が、後から見直すと歴史の見方を変える手がかりを秘めていた、なんてこともあります。その典型例が私もやっている鉄道史です。こうして在野とアカデミズムの交流が豊かな成果を生むこともあるのです。私自身、在野の人を学会に引っ張り込んだことがあります。
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もちろん、俺は歴史学の造る「星座」になんか興味ない、俺は俺の知りたいことを調べてるだけだ、という立場もあり得ます。マニアや好事家、在野の愛好家という立場ですね。徳永氏も「星座」に関心がないなら、そちらの道を目指されてはいかがかと思います。『歴史群像』とかいいのではないでしょうか。
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徳永氏は査読でいちゃもんを付けられたが「完全論破」した、と誇っています。たぶんこれは、査読の読み間違えだと思います。何が主張したいのか、日本軍の現地への貢献を論じたいのかとでも問い返されたのを、イデオロギーの押し付けと勘違いしたのではないかと疑っています。
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もちろん、手引書の解釈を教条的に当てはめるのはいけません。しかし、何の道しるべもなしに解釈しても、自分勝手になるだけです。そこで先行研究との関係から、自分の解釈を位置づけるのです。こうして、多くの研究がつながっていって、歴史学という大きな星座を形作っていくのです。
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事実を調べるのは大前提ですが、あくまでも前提です。そこからどう解釈するかが大事なのです。もちろんその解釈が得手勝手ではいけません。そうならないように、先行研究を参照するのです。マルクス主義の歴史学というのも、解釈の手引きとしてマルクスを利用しているということなのです。
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学会の雑誌の書評でも、まあだいたいの本は褒めて書くのですが、時々「この本はひどい」という書評が出ます。一番多いパターンが、先行研究をちゃんと把握していないので何が主張かぼやけている、というものです。よく使われる表現では「先行研究との緊張関係が明確でない」と書かれます。
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E.H.カーは『歴史とは何か』の中で、事実を堅固な種に、解釈を柔らかな果実に例えた論者を、「果物は実が大事なのに」と皮肉っています。歴史研究はまず事実を調べることですが、それをどう解釈するのかが一番大事なのです。そのために先行研究の検討が必要になります。
amzn.to/3RXwjhe
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太原の水道管の直径が何ミリであろうと、それだけではトリビアに過ぎません。インフラを通じて、たとえば閻錫山と日本軍の関係が、通説言われていたことと違った局面が見えたなら、それは立派な学術成果です。しかし徳永氏の論文には、そこが十分に説明されていないという重大な問題点があるのです。
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これはまさに大学院入りたてのM1とかが、いろいろ史料を調べました、とだけゼミで発表して、先生や先輩にぼこぼこにされる典型例です。その史料を使って何が言えるのか、先行研究が明らかにしたことをどうアップグレードできるのか、それを示さないと、単にマニアックな些事をほじくりだしただけです。
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山西省のインフラ整備に日本陸軍がいろいろやりました、それは軍閥の閻錫山との関係を保つためでした。それは分かりますし、史料から無理のない主張です。でも、それだけなのです。それで、何がこの論文が新しく歴史の見方を変えているのか、それが明らかでないので、論文の「売り」が見えないのです。
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徳永氏の論文は、中国の文書館の史料も利用した、実証的な手続きはちゃんとしたもので、主張も突飛なところはありません。むしろ大人しすぎて、読んでいて「ああそうなんですか。……で?」となってしまう、平板さというか面白味が乏しいのが特徴(難点)といえるのです。
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さて、私も徳永氏を批判するからには、その論文を読んでみました。ネットで見られる「日本占領下の中国山西省における上水道建設」「日中戦争下の山西省太原都市計画事業」の二本だけですが。「サヨクに叩かれた!」というからには、さぞかし濃ゆい主張があるのかと思って読んだら、拍子抜けしました。
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だいた徳永氏の論も奇妙で、「日中関係史の1911-45年は左翼の反日史観だけ」といいますが、もし日本の侵略を批判する歴史研究をするとしたら、日清戦争を含まないなんておかしなことです。もともとの論が無茶ですから、破綻しているのは当たり前なのですが。
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このように、徳永氏の歴史学会の認識は全く誤っており、マルクス主義の発展段階に強引に当てはめるような論などここ半世紀はなくなっています。まず何よりも史料に基づいた実証的であることが尊重されているのです。むしろそれが進みすぎて、全体の見取り図が描けない、蛸壺化が反省されています。
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あるいは、旧友の鮭缶こと塚本英樹氏も『日本外交と対中国借款問題』を世に問うていますが、彼も全く左翼的ではありません。友人として保証します。そもそも彼の指導教員の先生からして、かなり保守的な方だったと聞いています。ぜんぜん「左翼」が牛耳ってなどいないのです。
amzn.to/3Tbi1dA