【プロトタイプカー 日産編 ①】 SKYLINE TURBO C Gr.Cマシン唯一のFRマシン Gr.5のスカイラインシルエットを より幅広に全長は長く、ルーフは 切り詰めて低重心化を図った。 エンジンは2.1L 直4ターボ'LZ20B'を 搭載する 見た目こそ人気だったが、 エンジントラブル頻発で 参戦全レースでリタイア
【レース迷・名場面③ JTCC 1997 Rd.16 INTER TEC】 チャンピオン候補が3人に絞られた最終戦 逃げる本山哲を攻める中子修、しかしインに 飛び込んだ中子はブレーキがロックしプリメーラの 懐に接触してしまう。これでチャンピオンの可能性が 無くなった本山は驚きの行動に出る。
【Humans car sound ②】 2013年の自動車イベントにて 引き続きダニエルによる口での エンジンサウンド、1発目は HONDAのVTECを再現 音だけなのに走っている姿が イメージ出来てしまうのは クオリティの高さ故だろうか
【モタスポ スポンサー集 54】 UNISIA JECS 日本の自動車部品メーカー 日産の厚木工場が母体の為 長らくHASEMI MOTOR SPORT のスポンサーとしてGr.A~JGTC までCALSONICのIMPULと 双璧をなす存在だった 2002年に日立の子会社となり 2004年に吸収合併された事で 同社の名前は消滅した
【モタスポ スポンサー集 59】 JACCS 日本の大手信販会社 JTC~JTCCにおいてホンダ陣営の ムーンクラフトのメインスポンサー として両シリーズのタイトルを 獲得した 信販会社としては堅実な経営で 知られ、過払い金の問題が ほぼ皆無の優良企業である
【プロトタイプカー 日産編 ㉑】 NISSAN GT-R LM nismo ル・マンで散った迷車 空力的有利からFF方式に これに機械式フライホイールを 使う予定だったが 信頼性不足から3.0L V6ツインターボ 'VRX30A nismo'のみ使用 ル・マンでは3台を送り込むも 2台リタイア・1台周回不足で 完走は出来なかった
【プロトタイプカー マツダ編 ⑩】 MAZDA 787B 遂に届いた表彰台の頂 コーナリング重視へと 方針転換し空力特性の改善や カーボンブレーキを採用 'R26B'は2分割アペックス シールの採用で信頼性UP ロータリー参戦最後と言われた 1991年ル・マンで欧州の強豪 を破り日本勢初の優勝を果たした
【Humans car sound】 2012年の豪州番組"Got talent"にて クルマのサウンドを口で奏でるダニエル F1(ピットイン含む),ロータリー,V8と 実車さながらの音を忠実に再現 特にロータリーサウンドは必聴である
【プロトタイプカー 日産編 ⑰】 NISSAN R390 GT1 1998 やっと届いた表彰台 外観ではロングテール化を行い 弱点だったミッションも日産が 形状・材質共に改良型を投入 ABS・TCS等の電子デバイスを装備した 98年のル・マンに一挙4台を投入し 堅実なレース運びで32号車が 日産初の3位表彰台を獲得
【HONDA ACCORD】 1996-1997年に活動していたツーリングカー シビックでの惨敗を受けて、より車格の大きなアコードにスイッチ、剛性とレイアウトの余裕が出来た車体に「外観は量産 中身はF1」と称されたH22Aエンジン(310ps)を搭載 JTCCではシビック時代の不遇を払拭し、2年連続チャンピオンに輝いた
【SUBARU IMPREZA WRC】 WRCに参戦したマシン Gr.Aから解放されWRカーとして進化 2ドアのリトナをベースに全幅の拡大 エアロダイナミクスの改良が加えられている 心臓部は2.0L 直4ターボ "EJ20" 1997~2000年まで参戦を行い 1997年のメイクスタイトルを獲得した
【NISSAN PRIMERA(P10)】 1993-1996年に活動したツーリングカー "901運動"の申し子はレースの舞台にも登場し、 BTCC,JTCC,STWカップに参戦、直4 2.0LのSR20DEはNAとしては驚異的な300psまで達した JTCCでは参戦した4シーズン中、インターTEC全てで優勝を記録している。
【OPEL MANTA Nur24Ver】 1993年-ニュル24時間レースに参戦するマシン 別名"マンタ師匠"と呼ばれ、製造年の 制限を飛び越え特例で参加し続けている。 個体はGr.Bベースのマンタ400と思われる。 心臓部は自作の2.0Lユニットに換装 86・BRZと同じSP3クラスに属し その中でもトップクラスの速さを持つ
【レース迷・名場面② JTCC 1994 Rd.13 TSUKUBA】 JTCC初年度にして唯一の筑波開催 あいにくのウェットコンディションで レースはスタート、しかし2周目でトップの 黒沢琢弥とS.ソパーが接触、そこから 各所で地獄絵図が展開される事に 掃除機のように吸われるマシン達をご覧下さい。
【レース迷・名場面⑩ JGTC 1998 Rd.2 Fuji】 豪雨の中開催された富士での1戦 ローリングスタート時、視界不良の中 減速した先行車を避けられず、砂子智彦の ポルシェが衝突しコースサイドで停止 そこに同じく後続を避けようとした太田哲也 のフェラーリF355がポルシェに激突 一瞬で炎に包まれる。
【MOMOCORSE A'PEX MR2】 JGTC GT300クラスに参戦したGTカー 土屋エンジニアリングが JTCCのカローラ・セレスのパーツを 流用して制作、エンジンも2.0L 直4NAの "3S-GE"だったが、97年からターボで武装を強化 99年、nismoワークスのS15シルビアを 1ポイント差で振り切り ダブルタイトルを獲得した
【SUBARU LEGACY】 WRCに参戦したマシン WRC本格参戦にあたり PRO DRIVEとのコラボにて登場 心臓部は2.0L BOXER4 "EJ20"を搭載 初期はパワー不足やメカトラブルで 完走率50%という数字だったが 尻上がりに調子を上げ、1993年の ニュージーランドで初優勝を果たし インプレッサにバトンをつないだ
【TRAMPIO FTO】 JGTC GT300クラスに参戦したGTカー RALLYARTのサポートの元、 駆動方式こそ市販車と同じFFながら 心臓部にランエボ譲りの2.0L 直4ターボ "4G63"を搭載し、FTOエボリューション とも言える形態に 強豪ひしめくGT300クラスで シリーズ6位という成績を収めた
【LANCIA STRATOS】 WRCに参戦したマシン 最初からラリーを想定して作られた ストラトスは軽自動車並みのWBに トレッドはスポーツカーという ディメンションを持つ 心臓部はフェラーリ ディーノと 同じ2.4L V6を搭載 1972年から投入され、74年,75年,76年と 3年連続のメイクスタイトルに輝いた
【SUBARU Impreza WRC(2003ver)】 WRCに参戦したマシン 先代の丸目→涙目にフェイスリフト された事に伴い全面的に改良 プロドライブの本気度が伺える 心臓部は2.0L BOXER4ターボ "EJ20" 2003年は第6戦まで表彰台すら 上れなかったが、尻上がりに調子を上げ P.ソルベルグが自身初のタイトルを獲得
【PEUGEOT 306 MAXI】 WRCに参戦したマシン 1993年から設けられた2.0L FF 2WDの F2クラスに登場、ターマックを主眼に 開発がされている、心臓部は2.0L NA "XU10 J4RS" ターマックでの韋駄天ぶりを発揮し WRC参戦は数戦ながらWRカーを 追い詰める活躍を見せた
【KRAFT TURENO】 JGTC GT300に参戦したGTカー 外観こそ86の面影はあるが 心臓部にGT500スープラで使っていた 2.0L 直4 "3S-GTE"を、足回りも F3マシンを流用するという構成に トップランカーまで行くことは 出来なかったが、JGTCの名物マシン として現在でも人気が高い
【M-TEC NSX】 JGTC GT300クラスに参戦したGTマシン プライベーター主体のGT300において M-TEC(無限)はGT500の前年型NSXを GT300に持ってくる前代未聞の態勢を敷いた 3.0L V6 ターボ "C30A"をデチューンして搭載 物議を醸したが、ARTAガライヤを下し 2005年のGT300チャンピオンを獲得した
埼玉の自動車工場が手掛けたランチア・デルタ 聞くところによるとスーパーカーレースでGT3マシンに勝つために、作ったとの事 これがGT3差し置いて先頭来たら、熱すぎる #オートサロン2019
【Mercedes Benz CLK】 JGTC GT500に参戦したGTマシン 名門HKSが自社開発したもので 新規定先取りの先進的マシンだった 心臓部にFIA-GTの絶対王者 CLK-LMと同じ 6.0L V8 "M119"を搭載 期待されたものの、メルセデスの サポートが無く、速さはGT400と 揶揄され、完走も1度のみという 惨憺たる結果に