何のために税金を納めているのか、健康保険や介護保険の保険料を払っているのか、税金がどう使われ何の役に立っているのか、納税者も今一度しっかり向き合って考えた方が良いと思います。感染症拡大とどう向き合うかは個人の責任というよりも国や自治体の在り方の問題だと思います。他国ではそうです。
現首相が病気を理由に自ら退くという報道を見た。また、臨時の代理は置かず後任が選ばれるまで執務に当たる意向とのこと。しかし民主主義が機能しての辞任ではないことと、長期の在任中にメディアや官僚を現与党が掌握する仕組みは出来上がってしまっているので劇的な変化は無いのだろうと思っておく。
少なくとも国のトップであった人に対しては、頑張ったかどうかではなく何をして何をしてこなかったのか、その結果何がどうなったのかの方がずっと重要だと思う。それが多くの人の命や生活に与える影響は普通の人とは比べ物にならない。検証は必要だし有権者はそれを今後の投票行動に繋げる必要がある。
国のトップが病気悪化を理由に任期途中で辞任すると公表されたとたんに政権の支持率が大幅に上がるのは理解に苦しむ。どういう判断も個々人の自由だとは思うが、新型コロナ対策を政府がまともにやらないままならば個々人がやるしかなくなる。それでも良いのかということは真剣に考えた方が良いと思う。
病気悪化を理由に首相は辞任するが議員辞職はしないというのは整合性がとれない。今までも現与党の大臣以上の役職の議員が犯罪を疑われると、何かしら理由を付けてその役職は辞めるが議員辞職はせず、その後その問題については何の説明もないままいつの間にか役職復帰している。詐欺的な手法だと思う。
また、現首相が辞職を公表してから国会も開かずに国の在り方に関わる大きな問題に指示を出すのも無責任で非常識だと思う。特に回復が難しい病気を理由に大臣職以上を辞任するならば議員を続けることも難しいと考えるのが当然ではないだろうか?本当に健康に大きな問題があるなら治療に専念すればいい。
日本では「期待はするが要求はしない」という人が多いように思う。望みを示さないのに思い通りでないと失望する。相手を期待外れだと非難する。「期待してます」という言葉も何をどうして欲しいのか明確には伝わらない。何も言わず期待通りになることの方が稀。自分が何をどう望むのかの言語化が大切。
今の社会に少しでも希望を取り戻すには、誠実さを重視することが1番大切だと思う。自分自身にも、他人にも。仕組みも、組織も。嘘や誤魔化しを信じるフリをしないこと。立場を守るために見て見ないフリをしないこと。自分に言い訳をしないこと。それだけでもずいぶん変わるはず。今はその真逆なので。
新型コロナに関してまだ分かっていないことは多い。分かったつもりになることは本当に危険。他国のメディアでは報道されていることも日本では遅すぎたり歪められていることが多く役に立たない。無症状でも後遺症があるなら集団感染していいはずがない。日本以外のメディアの最新情報を得る必要がある。
以前から社会問題などについて話をすると「でもTVではこう言っていた」という人がかなり多いと感じていました。TVで何かの食品が体に良いと言えばスーパーの棚からその商品が消えることを見ても、TVの影響力はまだ相当大きいと思います。けれど、TVは情報の与える結果に対する責任を取ってくれません。 twitter.com/dounaga3/statu…
PCR検査を拡充しないということは新型コロナという診断を得られないということ。後遺症が問題になってきているという情報が無ければ後遺症は個人の健康問題に矮小化されるだろう。適切な診断も治療も望めないかもしれない。無策のまま第2波で感染者が全国に広がれば健康リスクを抱える人だらけになる。 twitter.com/zhukov2004/sta…
「自助」というのは日本で盛んに言われる「自己責任」とひじょうに近い考えだと思う。困ったことが起きても自分で何とかしろ、自分で招いたのだろうと困っている人を切り捨てると公言しているようなもの。国や政府は何のために存在しているのかを個々人が今一度自分自身の問題として考える必要がある。 twitter.com/masirito22/sta…
そもそも「政府」とは「公助」のために存在していると思う。その国に住む人々が納める税金をどう分配し、どう社会を支え、どう個人の命と生活を守るのかが政府の仕事ではないのか。「自助」は政府に仕事をさせないということだ。仕事をしない政府に何の意義があるのか?政府の責任を軽く考えすぎでは? twitter.com/kaokou11/statu…
「まずは自助と共助で何とかしろ、公助は最後」みたいなフリップをわざわざ掲げてみせた次期首相候補が消費税増税には前向きだと。国民(住民)は新型コロナ、経済低迷に加えて増税の三重苦になるわけですね。 twitter.com/jijicom/status…
「そもそも差別という概念はないですし、意識をすることもない。」のは差別される側ではないからこそ言えることですし、差別という概念が無いのに自分が差別をしていないと言えてしまうのはおかしなことです。まずは差別という概念をしっかりと理解し、自分の言動と照らし合わせて意識することが大切。 twitter.com/takeshi_tsurun…
ノルウェー人女性も憤る日本の消費税 a.msn.com/01/ja-jp/AAIu8… 「北欧ではどこも税金が高いですけど、その代わり福祉がしっかりしていて、困ったときにはちゃんと助けが受けられる。日本では餓死する人まで出ていますけど、税金を払ってるから安心だと思えますか? 」→本来、納税は公助のため。
社会のこと、国のこと、世界のことを考えなくても身の回りにささやかな喜びや小さな幸せを見出すことはできるだろう。だが社会の底が抜けかかっていて、あらゆる仕組みや組織が正常に機能しなくなりつつある今、喜びや幸せどころか命すら危険に晒され始めている。「政治が生活に直結」はそういうこと。
今の日本は病んでいる体のように思える。声を上げる人たちは「痛み(アラート)」のようなものだと思う。痛みだけを嫌い抑え込もうとすると、病状はますます悪化するだろう。全身を巡る血液(お金)も血栓ができて滞っているように思う。末端にまで行き渡らないと壊死してしまう。早急な健全化が必要。
「おかしいことは分かっているが、自分は無力でどうすることもできない」と感じている人も少なくないと思います。社会の一員である以上誰も無力ではありません。少なくとも1票は持っていますし、周囲の人におかしさを表明することもできます。メディアに騙されている人々に正確な情報を伝えることも。
政府の政策を批判すると「対案を出せ」と言う人がいますが、それを考えるのも政治の役目。主権者の「こういう社会を実現して欲しい」「この構造的な問題を解決して欲しい」という望みを受けて国会にその声を運び、どうずれば実現できるか、問題解決ができるかを議論する場が国会。国会軽視はダメです。
どの問題も「検証→反省→改善」ができず(やらず)「無かったこと」になってしまう。失敗を「でも頑張ったんだから」「やれることはやったんだから」と結果より印象で納得するので「失敗からの学び」に繋がらない。その繰り返しで今まで機能していた仕組みや組織も疲弊し続け機能しなくなりつつある。
これは厚生年金の企業負担を無くし、生活保護支給金額を大幅に減額するのが目的ですよね。月7万は国民年金に毛が生えた程度の金額。しかも一定の収入を得たら後から返金を要求されるのではベーシックインカムですらない。その一定の収入が平均所得程度なら労働者には何のメリットも無くただのリスク。 twitter.com/kazu10233147/s…
ドイツでベーシックインカムの実験が始まりましたが、月15万程度で金額は倍以上。さらに食料品や生活必需品は日本の半分程度の金額です。日本で7万円では働けない高齢者や仕事ができない人は生活できない。日本でやるなら何かの理由で介護施設に入所して毎月支払う金額と同等程度、約20万は必要では?
今、身寄りがない認知症などの高齢者が老人介護施設に入所する場合、年金だけでは施設に支払う毎月の費用を賄えません。介護保険も今ですら条件に合わなければ下りないのにさらに条件を厳しくする案も出ているようす。年金で足りない場合は生活保護に切り替えている現状、それが無くなってしまったら?