KJ(@x3892555)さんの人気ツイート(新しい順)

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【訃報】 今月21日ヨハンナ・ルーフさんが亡くなった。映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」で有名な、総統地下壕を知る人物で最後の生存者だったと思われる。当時15歳の看護師であり、負傷者の治療に当たっていた。尚、ちょっかいを出してきた子供を平手打ちしていたが、実はゲッベルスの息子だった。
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本日誕生日のディートリヒ・フォン・ザウケン。1945年3月12日という戦争末期にヒトラーと面会した際、7月20日事件以降陸軍でも定められていたナチス式敬礼をせず、預けるべきサーベル・モノクルを付けたまま浅く身を屈めて挨拶をし、「我が総統」ではなく「ヒトラー殿」と言いのけた豪胆な人物である。
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【闇の子供の日】 内務省次官として反ユダヤ法制定に携わった、ヴィルヘルム・シュトゥッカートは、奇形新生児の報告義務に関する機密命令に署名した。これはナチ政権による子供の安楽死の基礎になったという。しかし翌年、そんな彼の生まれた子供はダウン症だったのだ!そこで彼はどうしたか?(続く)
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【国防軍軍服を着た日本人】 特徴は右袖側面に付けているシールドである。彼らは正式な国防軍人だが、ドイツ兵達は日本人義勇兵と認識してたようだ。内1人は軍医少佐で東部戦線に従軍した唯一の日本人、古森善五郎。詳細は『東部戦線の日本人義勇兵たち スターリングラードの旭日旗1942-43』を参照。
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【101歳の撃墜王】 本日で101歳の誕生日を迎えるフーゴ・ブロッホ氏。第二次世界大戦で81機を撃墜し騎士鉄十字章を受章。所在が明確で存命としては最多の撃墜王である。2017年には95歳でスピットファイアを操縦して大空を舞い話題となった。彼が最後の存命である騎士鉄十字章受章の元空軍兵士である。
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【訃報】 今月24日エルンスト・ビュントゲンスさんが亡くなった。第二次世界大戦では東部戦線に従軍。片目を撃たれ失明した時、医者から数時間の猶予を与えただけだったが、志願して戦線に戻ったという。クリスマスの25日が誕生日であり、亡くなったクリスマスイブの24日は99歳の誕生日前日であった。
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#映画に出演したモノホンの人 大脱走に看守役で登場するティル・キーヴェは、騎士鉄十字章を受章した元ガチ軍人で、捕虜としてアメリカに送られた後は、何度も捕虜収容所から脱走を試み、ある時は偽装した軍服と完璧にマスターした英語で歩哨を欺き大胆にも正面突破した(後に捕まった)。
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本日誕生日のハンス・シャルフ。捕虜ほぼ全員から機密情報を引き出したナチス・ドイツの伝説的な尋問官。その方法は捕虜を丁寧に扱うというものであった。戦後は米国に渡り米軍の尋問技術の形成に貢献し、後に世界的なモザイク職人となった。 labaq.com/archives/51930…
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1942年3月13日頃撮影、人は80年たっても考えることは変わらない…
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以前から失業と精神病の症状を見せていた彼は、新しいスタートを切るために失踪、別名で生活し結婚(失踪前に妻子がいた)するも、複数の頭部外傷の後、1946年に精神病院へ入院。30年ほどを精神病院や関連施設で過ごし、1977年に亡くなった。一部の親族は行方を知っておりそれが真相の手掛かりとなった。
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古今において行方不明は発生し、しばしその行方が明らかとなる。不明になってから明らかになるまでの、最長記録であろう事例がある。名前はウィリアム・マクリーン。1934年のワールドカップにも出場したサッカー選手で、1938年に行方不明になった。彼の行方が分かったのは今年、86年後のことだった。
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本日誕生日のカール・ハインツ・ロッシュ。1944年10月6日のオランダ、数日前に18歳になったドイツ兵の彼は連合軍の攻撃の中で2人の子供を見つけ、安全な場所から離れ2人を救助し直後に子供がいた所で戦死した。60年後元子供の証言で事実が明らかとなり、苦節ありつつも地元に彼の記念碑が建てられた。
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本日で93歳の誕生日を迎えるヨハンナ・ルーフ氏。映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」で有名な、総統地下壕を知る人物で最後の生存者であると思われる。彼女は当時15歳の看護師であり、負傷者の治療に当たっていた。尚、ちょっかいを出してきた子供を平手打ちしていたが、実はゲッベルスの息子だった。
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本日誕生日のティル・キーヴェ。「史上最大の作戦」「大脱走」「橋」などの映画へ出演したドイツ人俳優。第二次世界大戦で騎士鉄十字章を受章し、捕虜となりアメリカに送られた後は、何度も捕虜収容所から脱走を試み、ある時は偽装した軍服と完璧にマスターした英語で歩哨を欺き大胆にも正面突破した。
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最後にそんな彼らしい話を。フォン・ザウケンは戦後は上記のように画家となり「日曜画家組合」の共同設立者となったが、ドイツ連邦軍には参加せず軍との関りは無くなっていた。それにも関わらず、75歳の誕生日に連邦軍の代表から祝福をされたという。写真は彼の作品。
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軍人としても優れており、27名しかいない柏葉剣ダイヤモンド付騎士鉄十字章を受章している。そして兵士を1人にしないために、2度の脱出のチャンスを断って留まりソ軍に降伏した。戦後は非人道的なソ連の捕虜生活の結果、一生車椅子生活となったが生きて帰国した。その後は画家として生活。1980年死去。
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本日誕生日のディートリヒ・フォン・ザウケン。1945年3月12日という戦争末期にヒトラーと面会した際、7月20日事件以降陸軍でも定められていたナチス式敬礼をせず、預けるべきサーベル・モノクルを付けたまま浅く身を屈めて挨拶をし、「我が総統」ではなく「ヒトラー殿」と言いのけた豪胆の人物である。
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【最強の野戦憲兵?】ハインツ・ホイアー ・戦前に軍に入りやがて警官となる ・アプヴェーアや特殊部隊ブランデンブルクに配属される ・戦争末期ハンス・クレープスよりソ連司令部の攻撃を命じられ28人の部下を率いる ・1945年4月21日にベルリン近郊の司令部を制圧し大量の地図と重要書類を押収 (続く)
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【訃報】 今月19日ハーディ・クリューガーさんが亡くなった。「遠すぎた橋」や「脱走4万キロ」などに出演。彼自身はナチス政権の下で両親からヒトラーを愛するように育てられ、16歳で徴兵され武装SSに入れられたが戦うことを拒否し死刑を宣告されるも、救われ伝令となったが逃亡し敗戦まで潜伏した。
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【100歳の最多撃墜王】 本日でフーゴ・ブロッホ氏が100歳の誕生日を迎える。第二次世界大戦で81機を撃墜し騎士鉄十字章を受章。所在が明確で存命としては最多の撃墜王である。戦後はアグフア・ゲバルトの技術職員となり、2017年には95歳でスピットファイアを操縦して大空を舞い話題となった。
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本日誕生日のハンス・シャルフ。捕虜ほぼ全員から機密情報を引き出したナチス・ドイツの伝説的な尋問官。その方法は捕虜を丁寧に扱うというものであった。戦後は米国に渡り米軍の尋問技術の形成に貢献し、後に世界的なモザイク職人となった。labaq.com/archives/51930…
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【訃報】 10月2日パウル・ゴルツさんが亡くなった。19歳の兵士だった彼はノルマンディー上陸作戦で米軍の捕虜となったが、そこで寛大な待遇を受け英語を学べたことで、戦後ドイツ外務省で勤務出来た。そして75年後の2019年、再びノルマンディーを訪問しかつて敵兵だった英国人と友情を交わした。
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国防軍軍服を着た日本人。写真自体は内田弘樹氏の『東部戦線の日本人義勇兵たち スターリングラードの旭日旗1942-43』を参照にしてほしいが、注目すべきなのはキャプションである。それは知られている「1942年、ソ連のクラスノダールで見かけた珍しい日本人義勇兵達」とはまた別物のようである。
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ヨーゼフ・マイジンガーの日本時代の史料って見る人が見れば新たな発見でもあるだろうか。 ofiary.ipn.gov.pl/ofi/z-archiwum…
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本日誕生日のカール・ハインツ・ロッシュ。1944年10月6日のオランダ、数日前に18歳になったドイツ兵の彼は連合軍の攻撃の中で2人の子供を見つけ、安全な場所から離れ2人を救助し直後に子供がいた所で戦死した。60年後元子供の証言で事実が明らかとなり、苦節ありつつも地元に彼の記念碑が建てられた。