安倍元首相が暗殺され、反対陣営の中に喜んでいる(とみえた)人がいて不思議だった。色々な政策がある。対立は仕方ない。でもそれは日本をよくしていくための、政策上の対立だ。まさか同じ船に乗った同士という意識がないとは思わなかった。感情を制御できない奴らに政治を握らせたらヤバいとも思った
マックにおばちゃんたちが集まってて、「大谷翔平に求婚されたら断るわ。気が重いわ」って上沼恵美子みたいな話してて笑ったw
『東京卍リベンジャーズ』にけちを付けるわけではないのだが、ファンタジーとしての不良幻想を打ち砕きたいです。しつけができてないガキの残酷さ、非道さ、無軌道さ、幼稚さをそのまま書きたい。
いくら戦争に負け占領されたからといって、日本のように首都のど真ん中に戦勝国兵士用の売春施設を建設し、自国の女を公募してあてがった国はあるのかな。政府の言い分は「大和撫子の貞操を守るためには防波堤が必要」でした。この手のくそ官僚論理は伝統なんだろうか。
Twitterでもそうだが、自身で書いてみれば、言葉がいかに自分の気持ちをうまく伝えてくれないか実感できるはずだよね。でも他人の言葉は易々信じ、辞書通りの意味と教科書的な解釈で断罪し、リンチする。矛盾と思わないのかな。
暴力団の「親分のため」「組織のため」って、結局は自分のためなんだよ。不利益を被っても自己犠牲を払っても、自己満足や名誉、当てつけだったり。だから「お客様のため」とか「地域のため」「患者のため」と感じてる自分の内面に深く潜って欲しい。文学、特に古典を読んでくれ。ガイドブックになる。
亜土ちゃん最高すぎるだろ。歌の後のイラスト解説がすごくよいのでぜひご覧下さい。/水森亜土 すきすきソング お絵かきパフォーマンス youtu.be/jX8g8qzr38g @YouTubeより
俺の昭和のアイコンは水森亜土だ。ググったら元気だった。Twitterのアカウントもあった。うれしいな。
がんを告知しなかったもんね。今考えると困るな。うちの祖母もがんと知らずに死んだ。俺の少し上の世代には、ポリオ…小児麻痺で脚に障害が残った人がそこそこいた。珍しくなかったよ。
電話で天気予報と時刻を確認してたよね。あと混線電話でナンパをしてた。遠距離電話は通話料が高いので、さっさと話が終わるよう要点をまとめてから電話した。公衆電話があちこちにあった。待ち合わせ先の店に電話したりした。手紙やはがきもよく書いた。電報も打った。まぁ、メールがないからな。
旅行先では駅に出向いて、待合室の看板みて電話し、旅館に泊まった。夏になると、でかい都市の主要な駅には若者が野宿していた。
いろんな場所で写真のフィルムが売ってた。土産物屋のレジ横の、さんさんと日光を浴びる場所に、フジカラーやサクラカラー、コダックのそれが並んでいた。飯屋で出てきた料理を撮ってるやつはいなかったな。
トイレが汚かった。というか、コンビニがないので、出先のトイレに困った。いつもどこにトイレがあるだろうと意識していた。男はたちションでいいけど。あとナビがないので、よく道に迷った。ドライブの際に彼女と喧嘩になるw
けっこう普通に、けっこうな人が、中途入社で正社員になってたな。っつーか、そりゃあバイトはいたろうが、派遣なんかなかったもんね。社員が強く、相互の交流が盛んで、労働組合に力があり、ストがしょっちゅうあったな。交通機関も止まってた。
映画が二本、三本立てで、入れ替えなしで、いつでも入れた。途中から観た映画は、もう一度上映した際、そこまで観て脳内でつなげて出てきた。上映中は禁煙だったけど吸ってた大人がよくいた。紫煙に光が当たって綺麗だったな。
本に作家の住所が書いてあったな。他人が住民票を取得できた。誰かを探すような取材はずいぶんらくそうだ。あと警察から個人情報がとれた。警察署の中を、生命保険やヤクルトのおばちゃんがうろうろしてた。
教師がよく子供を叩き、殴ってたな。授業中、たばこ吸ってる先生もいた。俺の小学校には、敷地内に住んでる先生もいた。なんだったんだw
パソコンで文字を書いて出力…なんてできないので、街中のいたるところで手書きの文字を目にした。そしてみんな字がうまかった。雑誌記事のタイトルや見出しも、レタリングといって手書きだった。
大人はみんな新聞を読んでいたな。食事中も、通勤中も、帰宅してからも。いまのスマホ中毒と何ら変わらない。
商店街が賑やかだったよね。あちこちにわんさと人がいた。喫茶店がたくさんあった。飲み屋もあちこちにあった。酔っ払いがあちこちにいて、どこでも立ち小便をしていた。
暮らしているエリアを離れ、知らない場所に逃れ、身分を明らかにせず住み込みで働けた。叔母はススキノのホステスで子供がおらず、俺をときどき店に連れて出勤した。店の同僚や客に素性のはっきりしない大人がそこそこいた。
昭和か。どんな時代だったかな。殺人も交通事故も多かった。銀行強盗や誘拐、ハイジャックとか爆弾テロとか立てこもりとか、凶悪犯罪もよくあった。大人たちがそのニュースを不謹慎ながらも楽しそうに、わくわくしながら観てたのを覚えている。あと若者が山で滑落してよく死んでいた。
病み上がり仕事第一弾です。/山口組系組長のラーメン店店主が厨房で銃殺 ラーメン屋が暴力団の「シノギ」として人気になった背景|NEWSポストセブン news-postseven.com/archives/20230… #NEWSポストセブン
出所しました。「世話になりました」「もう戻ってくんじゃねぇぞ」的なやり取りはなかったですw しかし、やっぱ自宅はホッとしますよね。窓から見えるいつもの景色が落ちつ…落ち…落ちつかねぇ!
たしかにむごかった。憎悪コメントでPV数をアップさせるシステムをわかってて、出版社のアカウントもそれに乗っかって記事を作っている。見出しもヘイトを誘発するようにつける。計算尽く、わかってやってるのだからマナーや道徳うんぬんで解決するはずない。まるごとぶっ壊さなきゃたぶん終わらない。 twitter.com/tsuda/status/1…