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創作で「この村はもう危ない、よそへ逃げよう」といっても、村の老人らが「この土地は我々が拓いた土地、そう簡単には捨てられぬよ」といって滅びゆく村に残り続ける描写を見て、「命あっての物種では?」と思ったものだけど、今Twitterから離れられない自分を見て今更彼らの気持ちがわかるなど。
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いやあ、行政も災害情報の報知に使ってる状況でこれが起きるの、インフラは民営化すべきでない理由がよく分かるね。
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API利用を有料にする
→スクレイピングによる強引なTL取得が増える
→スクレイピング対策に一般アカウントも含めて読み込みを600件に制限する
というのがいま起きていることで、「600件」というのがイーロン氏の考える「異常でない使用法のライン」だとすると彼はツイ廃を侮り過ぎと言わざるを得ない
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pixivに「AIに学習されることに対する効果的な対策」を求めた皆様、今Twitterくんがやってるのがそれです。いやまじで。
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「文化盗用」って、「小さなコミュニティで守ってきた文化が、再評価された途端外部の巨大な資本や生産力によって模倣され、本来得られるべき利益を脅かされる」という点が問題で、実は「一般消費者」にとっては、文化は盗用されればされるほどメリットが大きいというのが議論をややこしくしている。
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文化的背景については、「多様であること」に価値がある文化と「同じであること」を目的とした単位系では文字通りモノサシが違う。
単位に根ざした文化に敬意は必要だが、運用においては残念ながら何処かの地点からは「押し付け」が発生するのもやむなしと思う。
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ミーム化して本来の切実さが失われていると言われればそう。
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「ヤード・ポンド法滅ぼせとかいうノリ寒い」「文化的背景に敬意を払え」みたいなツイート見て思わず強い言葉出そうになっちゃった。
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配信はdアニメかU-NEXTらしいです。
doga.hikakujoho.com/library/000138…
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かつて『C』というアニメで、日本社会が「未来」を失う様子が描写されるんですが、
・幼馴染みが進学を諦める
・バイト先から先輩が消える
・公園から子供がいなくなる
などといった「暮らし」の延長としての「国の行き詰まり」が描かれていて大変に嫌な気持ちになりました。
ちなみに2011年の作品です
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学生時代、教授が
「君たちは社会の歯車になりたくないといいますが、平歯車の伝達効率は98%です。熱機関としても非効率すぎるヒトごときが歯車になれるわけがないでしょう。」
と言い放っていたのを思い出した。 twitter.com/oTakkTakagi/st…
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『図書館の大魔術師』、一年ぶりの新刊も良かった。デリケートな話題に触れつつ、多角的な視点を併記しながらも一つの答えを出すスリリングさ。息が詰まると同時に脳に酸素が行き渡るような安心感がある。
amazon.co.jp/dp/B0C6991M3T
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pixivが学習元として狙われやすいのは、pixivの規約が緩いからでも、pixivの対策が甘いからでもなく、「高品質な絵が沢山あるから」なので、そこから高品質な絵を引き上げる事は確かに一つの対策なのでしょうね。
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AIイラストの台頭、実はAI絵師よりも「数時間、数十時間掛けて描いた絵でも数秒で消費してしまえる」という我々消費者側の性質の方に原因がある気がしている。
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今までに観た映画の中で、ミスに気づいたことはありますか?面白いミスの例があれば教えてください。 jp.quora.com/profile/%E8%83…
これ好き
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前述の通り、現代のインド映画を取り巻く状況は政治的な文脈と不可避ですが、そんな中で「異教徒と手を繋ぎ」「歌による革命」を差し挟めたというのは、ラージャマウリ監督の一つの意地だったのではないでしょうか。
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これは卑怯な見解で、「面白かったものを気持ちよく楽しんでいたい」という偏見の結果かもしれません。ただ、強いエンタメの力に二の足を踏みそうな方に、一つの視点をご提供できれば幸いです。
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そのような視点を経て「橋のシーン」をもう一度眺めると、イスラム教徒の格好をした主人公が、インド国旗(のデザイン元の一つ)に守られて炎を凌ぎ、ヒンズー教徒と手を繋ぐという描写に、一つの意図を感じ取ってしまいます。
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監督はバーブバリ以降、いわゆる「汎インド映画」つまりインドの誰にでも届くよう5つの言語に翻訳して公開しており、また部族間の壁を跨いでエンタメを届けることに意欲を燃やしていると語ります。
banger.jp/movie/85137/
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監督は「潜伏のために最も意外な格好をする必要があった」と答えていますが、他にも結構なご都合主義を通している本作が、ここだけ批判を承知でこの設定を取り入れているのは何故でしょうか。
ここからはあくまでも想像ですが、監督は「橋の下で手を繋ぐシーン」を意識したのではないでしょうか。
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ビームはデリーの街に潜伏するためにイスラーム教徒の家族に匿われ、自身もイスラーム教徒の服装を身にまといますが、これがヒンズー教徒であった史実のビームへの侮辱であるというのです。
これは、単純にヒンズー教至上主義に阿った映画としては奇妙です。
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本作はラーマとビームという、実在の対英闘争の英雄を主役に彼らの(存在しなかった)友情と闘いをえがきますが、実は本作、ビームの出身部族から非常に強い抗議を受けています
bollywoodlife.com/south-gossip/r…
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とびきり上質なエンタメに乗った政治的主張は、水のような日本酒のように危険な酔い方をするため、本能的に警戒する人がいるのも無理はありません。
ただ私はもう少し穿った見方で本作から監督の真意を読み取ってみたいと思います。
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現在のインド首相モディ氏を始めとするヒンズー教至上主義を唱える人々にとって、対英闘争において「イスラームとの融和」を唱えたガンディーやネルーはインドの誇りを傷つけた者であり、インド独立を勝ち取ったのは彼らの唱える「非暴力不服従」などという弱腰な方策ではなく、
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民族義勇団のような血と暴力による闘争であったというのです。(なお民族義勇団はモディ氏の支持母体の一つ)
こうした歴史的経緯を踏まえると本作の結末は「現在の主流派の主張に沿った国威発揚映画」という捉え方をされるかもしれません。