歴史雑談録(@rekishizatsudan)さんの人気ツイート(新しい順)

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405年前の今日、徳川家康が亡くなりました。通説の鯛の天ぷらによる食中毒が死因ではなく、今では胃がん説が有力になっています。自作の薬でこれを治そうとも試してたり。病気に対しても天才ビビリストな健康オタク。これにより東照大権現の本地仏も薬師如来となっています。
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186年前の今日、土方歳三が生まれました(新暦で)。ご存知新選組副長。局長の近藤勇を補佐、実質指導者として、単なる浪人の集合体であった新選組を実戦組織として機能させたお方。京では数々の女性から恋文をもらっており、それを故郷に送りつけて自慢してたり。鬼の副長の普通な若者の一面ですね。
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836年前の今日、壇ノ浦の戦いが行われ平家一門が滅亡しました。つまり平経盛、教盛、知盛、資盛らが亡くなった日。安徳天皇も。当初、水軍に長ける平家が優勢だったものの源氏が巻き返しますが、義経が舟の漕ぎ手を射て巻き返したのは創作で、源氏勝利の要因は潮の流れの変化など諸説あるようです。
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417年前の今日、黒田如水が亡くなりました。家臣団には優しく人心掌握しますが、息子の長政だけには超絶くどい説教を度々かます可愛いお方。天才は間違いないが妙に抜けていることもあり、坂口安吾は「天才ではあるがただの戦争マニア。野心は二流」と評しました。野心家である説は後世での後付です。
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古天明平蜘蛛がぬいぐるみに! これがあればいつでも松永久秀ごっこで遊べますね! news.kojodan.jp/entry/2021/04/…
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1081年前の今日、平将門が亡くなりました。首だけ飛ばせるジオング武士。天皇を自称した「新皇」を僭称、朝敵となった将門は藤原秀郷・平貞盛に征伐され討ち死。反乱理由は諸説ありますが、関東領主の不満を代表した反乱とされ、これが武門の始まりとなり、後に神田明神に祀られ江戸の守神とされます。
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方方で話題ですが、ほんと、水戸藩のお歴々は特によく似てらっしゃる。
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2023年の大河は徳川家康! 脚本の古沢良太さんはリーガル・ハイなどを手がけられているので、めっちゃ楽しみです! www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/ori…
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375年前の今日、細川忠興が亡くなりました。三斎様。利休七哲の一人。超一流の文化人・茶人で知識人。ですがその奇行は数知れず。妻ガラシャを見たというだけで植木職人を切り捨てる、人の茶器をパクって逃げる、息子の忠利に鮎の焼き方がダメだとわざわざ手紙で説教する、など面白すぎる武将です。
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106年前の今日、永倉新八が亡くなりました。享年76。新選組二番隊組長。神道無念流免許皆伝、心形刀流の道場で師範代を務めた後、試衛館に入り浸ります。伊庭八郎と新選組の関係を取り持ったのは永倉かもしれません。御陵衛士となった阿部十郎には「一に永倉」として組中最強と評されていました。
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153年前の今日、伊東甲子太郎、藤堂平助らが亡くなりました。新選組による粛正によるもの。伊東は藤堂の仲介で新選組に加盟しますが思想の相違から離脱し御陵衛士結成。近藤に難癖付けられ、大石鍬次郎らによって暗殺されます。暗殺の地、油小路通は京都駅中央口を出て西の路地、本光寺にあります。
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443年前の今日、松永久秀が爆発しました!梟雄の代名詞な方ですが、旧主の三好長慶はもとより信長にも相当好かれており、二度の反逆でも久秀を許そうとしています。一度目は多聞山城を差し出して許され、二度目は平蜘蛛を差し出せば許すとされるが拒否。爆死は俗説らしく尾ひれが多くついた例ですね。
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420年前の今日、石田三成が処刑されました。関ヶ原での敗戦後、大津城門前で生き曝しを受けている時の逸話は数多いですが、「戦に敗れることは少しも恥ではない」と堂々とした態度に家康も「さすが将たるもの」と感心したとか。三成は確かに文吏ではありますが、歴とした将でもありやはり武士ですね。
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420年前の今日、関ヶ原の戦いが行われました。新暦での日付ですが、結構運動会日和な季節なんですね。大谷吉継や島津豊久らが亡くなった日となります。吉継は秀吉をして「100万の軍を指揮させてみたい」と言わしめた良将。東軍に内応した小早川や脇坂安治に包囲されて自害。
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410年前の今日、細川幽斎(藤孝)が亡くなりました。武芸百般、和歌・茶道・連歌・蹴鞠などの芸事も極めたチート武将。晩年は京で悠々自適の生活を送り、孫の忠隆が廃嫡・追放された際にこっそり匿ったりする好々爺。料理も得意でマイ包丁を常に持ち歩いていたそうです。どこの海原雄山でしょうか。
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105年前の今日、斎藤一が亡くなりました。新選組三番隊組長。その寡黙な腕前から御陵衛士へのスパイ活動、隊士粛正等に多く関わり、永倉新八は「斎藤は無敵の剣」と評しています。明治期に結婚した時には旧主・松平容保が仲人をしています。晩年の撃剣師範の頃はもの静かで優しい老人だったとか。
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『麒麟がくる』義輝の最期、“畳に名刀”説を再現しなかったワケ 演出家が明かす news.mynavi.jp/article/202009…
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453年前の今日、伊達政宗が生まれました。新暦で。5歳から虎哉宗乙の教育を受けた謝罪マスター。自由人ですが言い包められることも多い可愛い人。家康から拝領の百万石のお墨付きを後になって幕府に訴え出ますが、井伊直孝に「今は平和ですから」と誓紙を燃やされる、という井伊側の逸話もあるほど。
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152年前の今日、東京奠都の詔が発せられました。正式には「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」。「奠都」とは、都を移すことではなく、都を定めること。実際には遷都そのものはしておらず、京都と東京の東西両京体制となります。現在でも厳密に東京のみが都であると定められているわけではないんですね。
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397年前の今日、黒田長政が亡くなりました。黒田如水の嫡男。父とは違い実直な性格。その激昂しやすくも優柔不断な気性を父から指摘された長政は、異見会「腹立てずの会」という家臣と対等な立場で言い合う場を設けています。実際、家臣からは愛を持ってボロクソ言われてて結構かわいそうなくらい。
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420年前の今日、細川ガラシャが亡くなりました。細川忠興の正室で明智光秀三女。夫・忠興の九州の役出陣中の隙にカトリックの教えを請い、洗礼を受けます。帰国した忠興は家中の侍女らが切支丹となったことに激怒し、侍女らの鼻を削ぎ追放。ガラシャは「忠興と別れたい」と宣教師に相談しています。
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真田丸、見たくなってくる記事。 真田昌幸の決めゼリフ「では、おのおの、ぬかりなく」の本当の意味 草刈正雄が振り返る『真田丸』秘話 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) president.jp/articles/-/375…
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いいなぁこれ。浮世絵フィギュアシリーズ物して欲しい。 mag.japaaan.com/archives/124137
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409年前の今日、真田昌幸が亡くなりました。表裏比興。武田配下時代を経て、上杉・北条・徳川と大々名間を老獪に渡り歩く孤高の謀将。2度の上田合戦で徳川を返り討ち、家康が最高に恐れた男となりました。関ヶ原挙兵の際、義理の弟である石田三成に「もっと前もって教えろよ」と手紙を送っています。
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421年前の今日、長宗我部元親が亡くなりました。四国の覇者。鳥なき島の蝙蝠。若い頃は姫若子と呼ばれるほど軟弱だったり、禁酒令を出しておいて自分だけこっそり飲んで福留儀重に大説教を食らったり、秀吉の四国攻めでは黒田官兵衛にボコボコにされたりと、妙に人間臭い魅力的なお方ですね。