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好きなものがあれば人生が全て好転するとかは絶対ないけど喜怒哀楽がある一方向においてめちゃくちゃ増幅される感じはあって、心にエフェクター噛ませているようなものなのですよね……愛するものが増えるからといって苦しみが消えるわけではなく、むしろ増すことさえあるけど、喜びもまた増幅されます
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私は自分の機嫌なんて自分で取れない ボロボロになるまで呻いている。ひとりで。偉くなれない。立派になれない。大人になれない。別に偉くも立派にも大人にも特になりたくはないからそれはいいんだけど、自分の怒りや悲しみに引きずられていつもぐちゃぐちゃにしんどく、それが死ぬほどめんどくさい。
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何かを作る人は「答えを知っている人」ではなくて、「答えを追うことで燃える自分の素肌の光を見せる人」なんだと思うよ。
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世の中がひたすら気持ち悪く見えてくる1年半だった 今がいちばん気持ち悪いけど なんか 怖くて気持ち悪いって思ってしまうのかな 気持ち悪さに目が眩むとそれぞれの人の姿が一気に見えなくなるのがめちゃ怖い 好きなお店かなり潰れちゃった 苦しむ人に説教する人をたくさん見るようになったな
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ほんとのほんとに面白い人は人格者、これはもう絶対にそう……。なぜなら人を楽しませたいという気持ちが、「他者への関心の持ち方」としてあまりにも純粋だし、それぞれ考え方が違う人たちの心に届けるため、他者をデフォルメせず一人ずつ見つめようとして、その心配りを悟らせないところも繊細すぎる
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他人と会話なんてしたくないがみんなのことがとても好き、みたいな気持ちをそのまま持ち続け、同時に誰もが幸せになってほしいけれどみんなのことが大嫌い、とも思い続けて、要するに他人というより他人の人生の重さが怖いのだろうと思う 幸福でいてください
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藤本タツキ「ルックバック」良すぎる……取り戻せないもの、どうしようもないこと、最悪の出来事が起きたとき、それを覆すのが物語ではなく「それでも生きていく人」を描くのが物語で、でも、と思う、でも、と望んでしまう、その気持ちもひっくるめて、こうやって物語にしてくれるなんて素晴らしいな。
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あなたのロマンチックのために私は存在しているわけではない、と思うことは多いし、詩人ならこういうことはしないでほしいとか、逆に破天荒な人生を生きててほしい、とかもそうだけど。ロマンを抱くのは勝手だし、私もいろんな夢は見るけど、そのロマンのために人を消費するのは絶対嫌だ、怖いと思う。
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自分のことを好きじゃない人のことは全員ミュートしてる、めんどくさいから。なぜなら好きじゃないと言われると反射的に好かれたいと思ってしまい、どうでもいいはずの相手に執着するから。相手にも迷惑。お互いに無になるのが世界平和で優しさで希望で満開の花畑。
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ガーンとしか言いようがなかった(推しが閉会式に出た)スヴィッツラも夢千鳥もロミジュリもクールビーストもじゃあ返してよ……ってなってしまう。全て元に戻らないのにまるで戻ったかのように見せかけられて悲しい。彼女達が積み重ねたものが台無しにされたあの時に戻ってただただ全部返してほしい。
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先日、退団された方のインタビューで在団時は感染予防のため家族にも会わなかったという話を読んだ。今もみんなそうなんだろうか、って思っていたところだった。みんなゆっくり休んでください。お疲れ様です。何事もないこと、そしてこれからの稽古と舞台が順調に進むことを祈ってます。
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ツイッターは俺のお気持ちを聞け!!!の世界だから悲しみ発信していく 負けない 躊躇なく発信する 永遠にやり続ける 悲しい!!!!悔しい!!!!虚しい!!!!よし!明日も叫ぶぞ!!!!
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宝塚note更新しました。月組の桜嵐記とDream Chaserの感想です。恐ろしいほどによかった……珠城さん素晴らしすぎる……。
note.com/saihatetahi/n/…
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私は誰のためにも存在してない 誰の役にも立たない それを咎める権利は誰も持たない 突然そんな神気取りされてもお前誰だよって思う
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フジロック自体にはマジかと思うこともあって、でも配信を今日は何回か見た。何か整理ついているわけではないし、マジかは払拭できるものじゃない。私は配信を見てそのときの良さに「良いな〜」って思える側なんだなということを感じてめちゃくちゃ今は落ち込んでいる。落ち込んでも意味ないのに。
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新潟に暮らす人たちや、そこの医療機関の人たちにとってどれくらい怖いことか、ということを考えていた、でも私は同時に配信を楽しむこともでき、さらにはそのことにいま落ち込んでいて、どこまで無為なことしてんだろう、と自分に腹が立ってきている。
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何を言っているのかわからなくなってからが言葉の本番
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人には、その人しか絶対に知ることのできない一瞬や閃き、衝動があって、それらはたとえ隣で目撃しても、こっそり教えてもらっても、共有することのできないその人だけの生であると思う。でも、文学や音楽や絵画や映画はその内側にいく。その人だけの瞬間の一部になることがある。