1651
小田嶋隆さん「首相にとっての憲法改正は、日本の社会の現状や具体的な課題とは関係ない、祖父・岸信介さんから受け継いだ『個人的な思い込み』ということです。だから、メッセージを読んでも、憲法改正が必要な合理的な理由は見えてこない」「(首相は)怨念だけを相続してしまった」朝日新聞デジタル
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共謀罪、きょう午後、採決強行へ。首相は採決前の委員会審議に出席せず。与党「何度も首相の時間を作るわけには簡単にはいかない」
首相のご意向を忖度してか、NHK、委員会審議を中継せず。
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加計学園。NHKは官房長官の会見や政府の国会答弁など、「総理のご意向」を否定す場面ばかりたっぷり流している。独自の取材結果はないのか。
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憲法99条は国務大臣、国会議員に、単に憲法を尊重するだけでなく、擁護する義務をかしている。首相の言動はそれ自体憲法違反。憲法改正を主張するなら、大臣も議員もやめるのがスジだ。
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ビールと弁当をもってりゃ花見だが……なんて答弁を何百時間聞かされようと、あ、そうなのか、と納得などできない。一般人は対象にならないというが、当局からみれば、議事堂前でデモする人はもちろん、政府を心の中で批判するだけでも立派な「非・一般人」なのだから。
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あんなスカスカの、言い逃れの答弁を何十時間、何百時間繰り返しても議論はまったく煮詰まらない。30時間やったから、ハイ採決? そんなのは民主主義ではない。
共謀罪は自由と民主主義を駆逐する。
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読売新聞は4月26日に首相にインタビューした。その記事を翌日載せたのならニュース報道だ。しかし、実際には5月3日に載せた。首相と新聞社の思惑が一致したのかもしれないが、時の権力者におあつらえ向きのタイミングで、その言い分をそのまま1面トップに載せるのは、はたして報道なのだろうか。
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行政府の長が憲法のここをこうせよ、と言うのは、マウンド上の投手が外野フェンスを後ろに下げろと言うようなもの、あるいは、土俵際の力士が土俵を広げろと言うようなもの。ルールを守るのが試合中のプレーヤーの務め。ルールを変えろと言う資格はない。
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任期中に憲法を改正したいという首相の願望につきあう理由は、主権者サイドには一切ない。憲法自体にもない。
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日本の戦争は正しかったーー戦後もそう思い続けた旧軍人や岸信介ら元官僚が、米国流の民主主義や平和主義を「押しつけられた」と受けとめた。彼らは占領終結直後から憲法改正を主張した。岸を祖父にもつ現首相はこの系譜に連なる。大東亜戦争肯定論者の手に改憲をゆだねてはならない。
1661
「自衛隊は専守防衛に徹する、自衛のための実力は違憲ではない」と自民党は長年、言い続けてきた。集団的自衛権の行使容認で自ら専守防衛の枠をとっぱらった上で「自衛隊は違憲かもしれないといわれる」と首相が言うのはあまりにご都合主義。首相たる者、憲法をもてあそぶなかれ。
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天皇は男系男子でなければならない、と主張する自民党議員は言う。
「男系なんて側室がいないと続かない。旧宮家の男系男子と女性皇族を結婚させればいい」「早く眞子さまと佳子さまを旧宮家と結婚させろ」毎日新聞。
婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する。結婚させろ、とは、ひどい話だ。
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嫌疑をかけるのは一方的に当局だ。当局が嫌疑をかけたらその瞬間、一般人は一般人でなくなる。つまり、一般人なんてどこにもいないというに近い。横須賀港で艦船を双眼鏡で見ていたら嫌疑をかけられる。戦時下とどこがちがうのか。#共謀罪
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東北でよかった、の復興大臣は更迭された。しかし、機動隊員の土人発言を「差別と断定できない」と言った沖縄担当大臣は今も大臣だ。この違いはどこからくるのか。被災者には失礼があってはいけないが、国策に従わない者、国策を批判する者は差別してもかまわない、ということか。
1665
義家弘介文部科学副大臣は7日の衆院内閣委員会で、幼稚園など教育現場の毎日の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」と答弁した。朝日新聞。
戦時下の皇国思想がいま、廊下の奥から歩いてくる。
1666
メディアが教育勅語を否定するのは言論統制だ、と産経記者が署名入りで書いている。教育勅語は現行憲法の理念に反する。それを否定したからといって言論統制にはあたらない。そもそも言論統制の主体は権力者、メディアは言論を統制し得ない。産経は言論の自由のイロハがわかっていない。
1667
森友学園の小学校がポシャったと思ったら、今度は教育勅語容認、銃剣道。全小中学校の森友化が始まる。
1668
石原慎太郎は2014年12月16日、政界引退の記者会見で言った。
「ある週刊誌のインタビューで『一番したいこと』を聞かれたので『支那と戦争して勝つこと』と話した。私は日本人として言いました」メディア展望15年2月1日号
戦うのは石原ではない、若者たちだ。
1669
森友学園問題ではっきりしたことの一つは、教育勅語を称揚する愛国者たちの最大の行動原理が、自己犠牲ではなく、自己保身だということだ。わが身に火の粉が降りかかりそうになるや「しつこい」とか言って身を翻す。それでいて勅語の精神を取り戻せ、とはカタハラいたいわ。
1670
首相を侮辱したから証人喚問、という自民党のセリフは、民主主義への侮辱ではないか。国会は自民党の私物ではない。
1671
去年、大阪市で開かれた日本会議系の建国記念の日集会をのぞいてみた。産経新聞の編集委員が「神話から読み説く憲法改正」と題して講演。日本神話のことを延々と語り、最後に、だから改憲が必要だ、と言っていたが、そのつながりは結局わからなかった。こんな神がかりの改憲はごめんだ。
1672
ヤジにいちいち反論したり、売り言葉に買い言葉ふうに大声でやり返したり、隣の大臣と意味もなくヘラヘラ笑いあったり、国会審議中これほど品性に欠ける首相も珍しい。田中角栄、中曽根康弘、竹下登、宮沢喜一……。みんな、少なくとももっと落ち着いていた。
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大臣「私は大学を卒業した」
別の人「ウソ、あなたは中退じゃないの」
大臣「訂正する。正しくは中退。ウソをついたのではない。記憶に基づいて言った」
こうしてこの世からウソなるものが一掃された。
1674
国に命を捧げよと命じる教育勅語を賛美してやまない人たちが、国有地をただ同然の値段で手に入れてわるびれる気配もない。長年のお友だちは、しつこい、関係ないと手のひらを返して知らんぷり。
この国の美しさに目の眩む思いだ。
1675
稲田防衛相「これまで私は(夫が経営する弁護士法人の)代表になったことはない」と国会で答弁。ところが05年の選挙公報には「平成16年12月 弁護士法人代表に就任」と記載していた。朝日新聞。
またひとつウソが。