AV新法問題で盛んに動いてる伊藤和子氏、秋葉原を売春のメッカ扱いするデマを撒いたり、オーストラリアの議員さん(「エロマンガ先生」等作品は児童ポルノ!)が日本に外圧かけようとした件の記事で顔出ししてたり、素人AV問題から同人文化への延焼を狙うのも「ありそう」なんだよな…
少女向け作品がアニメ化されることで男性を含む多様な人々の眼に触れて、主体的な少女像が共感を呼んできた、という流れの上に日本の二次元美少女文化があるのに、それを無視して「美少女=受動的なステレオタイプに押し込められてきた存在」みたいに扱う言説が本当に嫌。
東京ミュウミュウ、少女漫画畑から出たセーラームーンやレイアースなんかの(本邦のオタク史に残る)戦闘美少女作品群の後継だったわけで(その先にプリキュアがある)、そこに「何かを犠牲にする女性の姿が~」て何週遅れよって思うけど、まぁ、少女向け作品なんて興味もない・何も見てないんだろうなあ
藤末健三氏、コミケやゲーム条例防衛戦線以外にも   - ホームレス支援 - 1人親家庭支援を父子家庭に拡大 - 建設現場の死亡事故削減 - 障害者作業所リモートと求人の全国化を実現 と、社会の隙間に落ちる人々を掬いあげる政策を次々に実現しておられるので、マジで次も仕事をさせてください…。
選挙的には、ワンイシューの赤松さんは上位当選が望ましい。ふじすえさんは根回しと民主党時代の顔の広さ、あとは官僚さんとの交渉の巧さが武器なのでとにかく続投されたい。ただ、出口調査だと両名すでに辛い状況ということで、とにかく全体票が足りてない。
ふじすえ健三氏、インボイスについて「法律までガチガチに決まってるので(面子上)廃止は不可能でしょうが、こんな不景気じゃ無理なので、2年ごとに無限に延期にします(ぶっちゃけすぎでは?)」
「売り上げを増やすには知恵が必要だが経費削減は馬鹿でもできる」選択と集中、の結果がこれ。
ソレ系の専門職の人らってまじで現場見てなくて、技術職の待遇がどんどんクソになる。
新自由主義そのものが問題、というより、マネーゲームが市場を動かすようになった結果、どんどん現場軽視、技術者軽視、労働者軽視が進んでいるというか。この視点抜きに反・新自由主義をやっても虚無だよなあ、とも。
2019年の選挙で山田太郎氏が優勢票に次ぐ54万票を得たことで、「表現の自由の支持者」というクラスタの存在が政治的に認知され、前回の衆院選での表現規制派の大敗もあり、今回の参院選挙では過去に例を見ない「表現の自由派」議員が擁立されました。
我々は、票として民意を示すチャンスを与えられましたが、重大な問題に直面することになりました。ひとつは票が割れたこと。もう一つは、ジェンダークレーマー問題にかまけすぎて、今回の参院選という大きなチャンスが話題にならず、表自クラスタ内で選挙戦が盛り上がらなかったことです。
結果、一週間前の出口調査では、前回の山田太郎氏の地盤を引きついだことで盤石と思われた、漫画化・赤松健氏はじめ、有力な候補者の出口調査の順位が総じて振るわず、我々は劣勢に置かれています。
#表現の自由を守る参院選2022 で、候補者のまとめ、選挙活動の様子などが共有・拡散されています。国連勧告も、ゲーム規制も、海賊版対策も、ここまで政治の力で食い止められてきています。大好きな文化を守るために、選挙の話をしましょう。投票に行きましょう。
インボイス問題ですが、 例えば: 赤松健氏(自民)→漫画家協会から廃止を要望 ふじすえ健三氏(自民)→無期延期を実現する公約 くりした善行氏(立憲)→廃止を求める ですので、「表現の自由」を掲げる候補さんは皆反対派です(提案する方法は異なりますが)。心配せず投票しましょう。
ふじすえ健三氏だと、「障害者B級のリモートワークと全実現した立役者ですよ!」とか「持続化給付金にフリーランスを加えてくださった人ですよ!」とか香川県ゲーム条例のときにがんばった人ですよ!」とか「暗号資産の分離20%課税を勧めている人ですよ!」などをいう。 #弾が多い
7月10日参院選、マンガ・アニメ・ゲーム規制問題、詳しいことよくわかんないやって人はこの3人のうち誰かを2枚目の投票用紙に書け! っていう画像
このまま日本経済の低迷が続き、コンテンツ産業の輸出分野としての存在感が強まるにつれて、「奇妙な」存在である日本のマンガ・アニメ・ゲーム文化に、国外圧を介して規制を求める動きは強まるだろう、と予測しています。
望む望まざるに関わらず、国内の、おたくやマンガ・アニメ文化への偏見だけを相手にした30年とは違う段階に入っている。
話は変わるけど、わたしはいわゆる「少女」の表現、文化が好きです。その中で一つ、強い危惧があります。アメリカ有害コミック騒動で焼け野原になった場所のひとつが、少女たちのためのフィクションでした。
かわいいもの、コケティッシュなもの、恋への憧れ。衰退したのは商業上の理由であった、と後の世には語られています。けれど、わたしにはそうは見えないのです。
「おたく」文化が差別的であると批判されるとき、しばしば、その少女趣味性や女性の描き方が対象になります。そして、一連のキャンセルカルチャー問題を追いかけてきた人はご存知でしょうけれど、作り手の相当数が女性です。
アメリカの「少女趣味的な」文化やロマンスコミックが衰退したのは、本当に、ただ、「売れなかったから」なのでしょうか。少女を扱う表現は、本当に「正しくないもの」なのでしょうか。
私は私の愛する文化が、自分の創作が、「正しくないもの」とされる未来を望みません。
最近の美少女コンテンツ炎上の本質って、「性的であるか否か」というより「可愛い+少しセクシー的な表現の是非」なんちゃうか、と思えてきており
赤松健先生当確でふじすえ事務所が湧く(撮っときゃよかった…)