小田急貨物 栢山〜富水間 1982年5月25日撮影 #私鉄貨物 #小田急ED1031 #小田急トフ
宇治山田にて 1979年7月11日撮影 この頃の名古屋〜山田線は、2250、6421や680の特急格下げ車、1450、1460などの初期高性能車とかバラエティに富んで魅力いっぱいでした。今はローカルも“新型車”で、ジジイには形式さえ分かりかねます(笑) #あおぞら号60周年 #近鉄
#みんなで10系客車の写真を出そう @新潟 1980-3-9撮影 「きたぐに」に入ったオロネフ10 2002です。オロネ10 2049から1969年改造とのこと。本来なら5と6を付番されるべき1・2と重複して「二車現存」的になっていたのは、客車ファンには有名な話ですよね。
なんたって10100系 (7) 名古屋線(名伊)では、10100は名古屋側に連結するのが基本のようでした。(A編成は物理的に無理なので伊勢側) B編成は仕方ないとしても、前パンフェチとしてはあまり写欲が湧かず、ついでに撮っていたのが正直なところでした。 @鳥羽 1979年7月11日撮影 #近鉄 #ビスタカー
新潟交通東関屋の車庫を初訪問時、モワ51はラッセル専任だと思っていた自分と職員さんの会話 「モワはなかなか走る機会がないんでしょう?」 「貨物を牽いてますから」 「エッ、貨物が走ってるんですか!!!」 それから自分の潟交詣が始まったのは言うまでもありません。 1982年2月17日 燕〜灰方間
なんたって10100系 (9) 個人的には 撮るなら流線型 乗るなら貫通型 でした。 貫通型の車掌台側は前面眺望が楽しめました。車内アコモは今となっては質素なのがお分かり頂けるかと。 10316 1979-7-11 10105 1979-7-27 #近鉄 #ビスタカー
なんたって10100系 (12) 当夜は鉄研先輩のクルマで明星駅前に車中泊。駅員さんが蚊取り線香を恵んでくれた。 23時すぎに車庫裏側へ行ってみると、10105が水銀灯のスポットライトを浴びてちょうど良い位置に休んでいた。 隣の12200系車内では、整備作業が続く。 1979年7月10日撮影 #近鉄
新潟交通モワ51牽引貨物 (2) 先日の投稿には多くの反響があり正直驚きました。 白黒だとイマイチかもしれませんが、当時は自分でDPE(死語(笑))処理ができる白黒メインで撮っておりました。 今や自分でカラーのトリミングや色調整を寝転がってでもできるとは夢のようです。 小中川?付近 1981-3-2
なんたって10100系 (13) 湯の山温泉行 @四日市 1977-7-8 特殊狭軌線を訪ねるべく急行から降りると、コレが停まっていました。10102側からカメラを向けると動き出してしまい、1/125ではブレています。 どこ始発だったのか? 併結だったのか? 車内の寛ぎ具合いからは線内折返しではないような……
コトデンでの“喫茶店” (1) 線路端で眺めて国鉄客車貫通路の如く素通しだと思っていた、自分の極初期の記憶。乗ることがないまま、阪神線上からは消えてしまいました。 高校入学がなんとか決まった短い春休み、いの一番に見たいと思ったのが琴電で生き残っていた “喫茶店” でした。 1976年4月5日撮影
大阪発東京行旧国?? 関西では旧国の方向幕は(戦後は)使われませんでした。関東からの転入車はそのままで、基本無表示(白幕)で走っていました。 写真のクハ79920番代は、紙か何かでカバーしていたものが剥がれかけていたようで、よーく見ると「東○」と読めるような気が・・・ 1973-3-29撮影
コトデンでの“喫茶店” (3) 自分の行動記憶を蘇らせるため、ネガの順に選別せずに拙作を並べさせて頂きます。 (1)(2) 池戸で見送った平木行。筵の日除けは切符売場(小屋)のものでしょうか。 (3) 折り返してきた列車に西前田まで乗車した車内風景 (4) 西前田で下車した列車の後ろ姿 1976-4-5撮影
コトデンでの“喫茶店” (5) 運転室仕切り扉に曲面ガラスを使った贅沢な設計 少しでも旅客収容力を高めるため? 運転機器をカバーする関係? 単なるデザイン上の理由から? 瓦町留置中の車輌で、仕切り扉の構造を見学することができました。かなり凝った設計であることが分かりました。 1976-4-5撮影
名残りの神戸臨港線 1985年10月31日撮影 最後の頃になって漸く重い腰を上げて撮ったものです。既に湊川貨物駅は廃止され、高浜埠頭のサイロまで神戸港駅の入換便として平日のみ運転されていたように覚えています。
1978年の三宮増結シーン 「輸送力増強」こそがまだまだ最大のお題目だった時代。 連解運用が5000系から6000系に変わったのはこの前年のことだったと思います。 前回の連解削減でいずれ全廃は予想されましたが、全線的な減量は経営「適正化」改正とはいえ悲しい限りです。 #阪急電鉄 #阪急電車
定山渓鉄道お別れ乗車 使用した切符が発掘され日付が特定できたのが、自分史的(笑)には今年の大きなトピックでした。 車内はモ2103ですが、模型塗色の有力資料になりますね。(自分は作りませんが(爆)) ネガカラーは「Ⅱタイプ」になる前のものは変色が少ないように思います。 1969年10月30日撮影
乗ってビックリ! 伊予鉄303〜304 1980年8月撮影 車体は普通の旧型車なのに、運転台を見ると最新型デスクタイプのコンソール!! 直感的に神鉄3000系と似た見付だと思いました。(どちらも三菱電機製) 後でエアサス·WN駆動·全電気指令制動化されていると知り「玄人受け」の電車やと感じたものです。
キハ90系の運用を雑誌で知って美濃太田で待ち構えると、やってきたのは58系・・・ 職員さんに訊ねると置き換わって名古屋第一機関区に留置してあるとのこと。近鉄黄金駅が近いと教えてもらい訪問。 ああ、やっぱ列車姿を撮りたかったなぁ〜 1976年9月23日撮影 #試作車
短過ぎる貨物 1両だけだったら真横から撮った方が良かったかと。 地方私鉄の貨物は、貨車の両数に一喜一憂したものです。 新飯田は「しんいいだ」だと思っていました(笑) 24年前の今日が営業最終日だったと知って。 1982年2月17日撮影
ちょっと短い貨物 でも社有ワフ付なのでポイント二割増し♪♪ 1979年8月30日撮影
DD54 牽引特急「出雲」 小出しにして5年ぐらい持たせます(爆) 当然狙った訳じゃなく、蒸機のついでに撮ったもの。蒸機よりこっちの記録が貴重になるとは予想だにせず。 1973年3月30日撮影 しかし、姫新線に入線実績があったとは浅学にして今日まで知りませんでした。 #54の日
南部縦貫貨物 D451も良い状態で保管されている由。 露出不足でモノクロに見えるボツコマだったが、シャドーを上げてやると色が戻ってきた。家庭でカラーの補正ができるようになるとは夢にも思わなかった世代。手焼きは超高価だったし、まず自分の思い通りには上ってこなかった。 1980年3月14日撮影
局地的岡臨ブームに便乗(笑) つい先日、ポジ捜索のついでにデータ化していました。虫の知らせ、っちゅうやつでしょうか(笑々) 訪問時にはこの車輌でガッカリ?でしたが、今となってはこのゲテ加減もたまりません。 1980年8月撮影
高森線181レ 高森〜阿蘇白川間 1981年7月26日撮影 これの折返しは立野〜長陽間で撮るために、周遊券では乗れないバス代を奮発。 しかし停留所へ辿り着く前にバスの姿が見えてしまい、手を降って乗せてもらった記憶。たぶんフリーストップではなかったと思う。 バスの運転手さんには感謝しかない。 twitter.com/nantetsu_rail/…
瓦町のトップスター(笑) こんなバケモノ(失礼)めいたのが毎日都心へ顔を出していたとは、今となっては信じ難いような気がします。(正確には平日限定とのこと。) 車内を撮っていないのが残念でなりませんが、後悔先に立たず(常套句w) 1980年8月1日撮影