コトデンでの“喫茶店” (5) 運転室仕切り扉に曲面ガラスを使った贅沢な設計 少しでも旅客収容力を高めるため? 運転機器をカバーする関係? 単なるデザイン上の理由から? 瓦町留置中の車輌で、仕切り扉の構造を見学することができました。かなり凝った設計であることが分かりました。 1976-4-5撮影
1978年の三宮増結シーン 「輸送力増強」こそがまだまだ最大のお題目だった時代。 連解運用が5000系から6000系に変わったのはこの前年のことだったと思います。 前回の連解削減でいずれ全廃は予想されましたが、全線的な減量は経営「適正化」改正とはいえ悲しい限りです。 #阪急電鉄 #阪急電車
オヤ17 1 (EL乗務員訓練車) @弘前 1980年3月撮影 鉄ピク誌最新号に興味深い記事を見つけた。 本車の訓練機器は事故廃車ED75 736の運転台等を再用したとのこと。 こうした現場人回顧談の記録はかけがえのない財産だとつくづく思う。 大山正著「長町機関区ものがたり」 3. 国鉄OB談話から
キユニ28 3 @富山 1980年3月撮影 実車が一度も纏ったことのない色に塗って、やれ国鉄色ノスタルジーだとかには違和感があるのですが、キハ47顔の二色塗りはコレがあったのか! 改めて写真をじっくり見ると、やはり違和感ありありです(笑) 尾灯横に押し釦スイッチが付いていますね。(マイブーム♪)
定山渓鉄道お別れ乗車 使用した切符が発掘され日付が特定できたのが、自分史的(笑)には今年の大きなトピックでした。 車内はモ2103ですが、模型塗色の有力資料になりますね。(自分は作りませんが(爆)) ネガカラーは「Ⅱタイプ」になる前のものは変色が少ないように思います。 1969年10月30日撮影
南部縦貫貨物 D451も良い状態で保管されている由。 露出不足でモノクロに見えるボツコマだったが、シャドーを上げてやると色が戻ってきた。家庭でカラーの補正ができるようになるとは夢にも思わなかった世代。手焼きは超高価だったし、まず自分の思い通りには上ってこなかった。 1980年3月14日撮影
乗ってビックリ! 伊予鉄303〜304 1980年8月撮影 車体は普通の旧型車なのに、運転台を見ると最新型デスクタイプのコンソール!! 直感的に神鉄3000系と似た見付だと思いました。(どちらも三菱電機製) 後でエアサス·WN駆動·全電気指令制動化されていると知り「玄人受け」の電車やと感じたものです。
名残りの神戸臨港線 1985年10月31日撮影 最後の頃になって漸く重い腰を上げて撮ったものです。既に湊川貨物駅は廃止され、高浜埠頭のサイロまで神戸港駅の入換便として平日のみ運転されていたように覚えています。