そしてそれは、女に優しい男・男に優しい女を増やそうということではなく、その枠組みを相対化し、人と人としての恋愛・友人関係、あるいは隣人関係を当たり前にしようというものです。個人の選択として異性からの魅力を追及することは否定しませんが、それを当たり前と押し付けることは否定します。
「ジェンダーロールを降りた男は女にとって魅力がなく、女は男にとって魅力がない。誰が望むのか」という意見がありましたが、私自身もふくめ、ジェンダーロールの押しつけをなくそうとする者は、そのような「異性に魅力的で、異性パートナーを得なければならない」強迫からの解放を訴えるものです。
こういう心理が「ウィークネス・フォビア」です。この「弱くあってはならない、弱く見られてはならない」という強迫が、「弱者」への嫌悪、特に自らの存在を主張する弱者への恐慌的敵意に繋がります。 その根底は、社会が作り出した「弱さ」へのスティグマの恐怖です。 twitter.com/mipoko611/stat…
「被差別者は差別されないように努力して自らを磨き、能力を認めさせて差別を解消すべきだ」という考え方、これが全く以て差別思考以外の何物でもないということに気づかない人は本当に多いと思う。なぜ「差別されない」だけで努力や承認を必要とするのか。差別側にある人はそれなしに認められるのに。
「抗議」へのカウンターが「興味なし」というところから見ても、俗に「右傾化」「保守化」と言われる現象の本質は「私化」の深化だと改めて思う。それは私生活を豊かにしようという志向にとどまらず、自らの私生活を専らの価値基準とし、私生活を超えたもの、豊かにしないものを忌避・拒絶するものだ。
「医療現場に優先的にサージカルマスクを回すために布マスクを配布する」という言説があるが、2月からマスクが増産され医療機関等に配分されているはずなのに、現場のマスクは未だ十分でなく、毎日交換もおぼつかない。なぜそうなのか、政府は説明する責任がある。