「「「「風向き 変わりそうねぇ」」」」 悪いオタクの手付きすぎるわい
「でもこのコーナー、鬱陶しいね!」 お前は本当に無敵だよ
解説が欲しいところでは能登由美子になり、黙っててほしいところではプロスペラになる、無敵ナレーター
「何者かになりたかったキーファが自分の道を見つけた」こと自体は「ひとは、誰かになれる」というDQ7のキャッチコピーとも相まって綺麗な結実ではあるんだけど、その選択に至る歪みが全部周囲に回ってきたのを本人だけが綺麗な思い出として昇華してる風なのがきっついのよね…
「これから王になる者」 これを指してるのが主人公じゃなくて語り部というフェイク、じゃあ主人公は「何者でもない者」ということになるのか
「バギー船長の冷徹なる右腕」としては慕われても、バギーの代わりは一生務まらないので、もうクロコダイルにクロスギルドを御することはできないだろうな
ミホーク、戦闘狂までは行かないというか、あくまで自分のペースを崩したくないので、「戦いたい時に戦いたいだけで全員を同時に敵に回すのは面倒くさい」とかいう、お前大概にせえよという感じの出力になる
ワンピース、よく「幕間の世界情勢が動くタイミングが一番面白い」とか言われることの多い漫画だったけど、最終章なので毎週のように世界情勢が大きく動くし、各勢力の思惑が複雑に入り乱れてるので、もう宇宙一面白い漫画になっとる
バギーはシャンクスにロジャーの後を継ぐ王になってほしかったが、肝心のシャンクスにその気がなくて感情の行き場を失っていたのが、20年経ってようやく自分が海賊王になるという夢を改めて見出したと、重くね??
バギーのシャンクスへの感情が二次創作より重くてビビるんだわ
バギー、ラッキーマン気質の男ではあるけど、それでも本人のカリスマと意志はクロコダイルなんぞより遥かに上だということが示された回だったな(鰐はよくも悪くも殻を破れないタイプ)
でも今回の戦パートカットは演出上良いと思う なぜなら信玄の言葉通り「もう既に信玄が勝った戦」なので
常識的に考えたら兵力が劣る側が籠城策を放り出して野戦に望むのは完全に自殺行為なんだが、置かれている立場から追わざるを得なくなるのを見越してるんだよなー信玄
エリクト姉貴もグエルくんもみんなグルなんだけど何も言えないし、一番言葉を選ぶべきミオリネがあんな調子なのでもうめちゃくちゃ(プロスペラ仮面は一人でいい空気を吸っている)
ミオリネ、悪いところが親父にそっくり
「政治の話をしている場合じゃない」 「現実の話だ」 こういう切り返しができるのがラクレスの強いところ
「海兵に懸賞金をかけ、海賊だけでなく一般市民の貧困層も煽ります」「貧困層は今日を生きるために自分達を護る味方である海兵にも牙を剥きます」「その結果さらに治安が悪化して貧困層は余計死にやすい世界になります」というクソみたいな悪循環をやってるのでバギーの野郎許せねぇ(正当な矛先)
クロスギルドの元々の構想はクロコダイルがほぼ一手に担っていたことを考えると、頂上戦争の時のアレコレやなぜか表紙で動物との可愛らしい組み合わせをやってるせいで忘れがちだけど、サー・クロコダイルはマジの巨悪であるということを再認識する
海兵に懸賞金をかけた結果、悪どい海兵ではなく真っ先に善人であり海兵の見本となるべき人物から死ぬの、無常すぎるしクロスギルド最悪だな…
女忍者VS巫女、大河で出てきていい絵面の閾値を超えてて最高
殺人毒栗、ニンジャスレイヤーより先に大河で出てきたのが信じられない
マリオの映画観てきた。全部知ってる画面、知ってる音楽、知ってるキャラだけで構成されてる安心感の塊のような映画だった。説明過多な部分はなく、見ようによってはむしろ省略しすぎとも取れるんだけど、そこは「世界一有名な配管工を知らん人はいない」という信頼感で成り立っている。集大成。
ラクレス様、「覇道」を歩む者であって、「王道」を歩む者でこそないけど、「外道」ではないというのが格の高さを担保している
大河でオリキャラに尺を割くの、面白ければいいけどそうでなかったら普通の作品よりマイナスの影響がでかすぎることがよくわかった(鎌倉殿は本当に上手くやったんだな…)
持たざる者たちが「私にはこれしかないんだ!」と言いながら誰かの言いなりになって死んでいく一方で、エラン5号くんは自分がハッピーになることに何の疑問も持ってなく、ただただ前向きだからそういうところは好感が持てる(性格はクソ虫)